【朝渋読書部】ニッポン2021-2050 データから構想を生み出す教養と思考法
少し間が空きましたが、先日読了したのはこちら
Kindle頼んだつもりが、書籍で届きました・・・さらに、kindle版安くなってるし・・・(´・ω・`)
落合陽一氏と猪瀬直樹さんが1章ずつ書く対談形式っぽい作り。
落合さんについては、言うことは基本ぶれないです。
猪瀬さんの最近ってワイドショーで見てるイメージしかないのですが(苦笑)、経歴的にはとても素晴らしく、東京都の改革もかなり推し進めていらっしゃったことが所々伝わる本でした。
今の「日本」はいつできた?
本の中心テーマの1つに「近代」が据えられています。
今日本に生きる日本人が「日本」「日本文化」「常識」「日本式生活」「幸せ」と問われて思い浮かぶものたち。これらの歴史自体、いつからか、って考えたことはあるでしょうか。
これが、意外と浅くて明治維新後成立し「創られた」たものである、というのが二人に共通する指摘です。
書籍の中では特に20世紀後半における日本の原風景は「ドラえもん」と落合さんが新鮮な視点で指摘します。しかし、この原風景、今の日本に現実的には残っていないものばかり。そもそも、この原風景を本当に感じた人がどれだけいるのか・・・ということすら曖昧です。
以前、クレヨンしんちゃんのお父さん、「ひろし」は日本の中でも勝ち組サラリーマンである、というツイッターが話題になりました。
ドラえもんや、クレヨンしんちゃんを見ていると感じる「懐かしさ」ですらすでにもう成立しなくなっているものが原風景である日本。
そもそも、明治維新前の日本は、「日本語」と言っても方言同士で話し、なかなか通じないような時代だったと猪瀬さんは指摘します。それが明治維新後「日本語」として成立し、「日本」が作り上げられたのです。
この近代に出来上がった「日本の考え」によって苦しんでいる人や、制度の歪みが現れている箇所というのは、多い気がします。
日本は島国であり、かつ他国の侵略を受けなかった国として、稀な立ち位置にいる国ですが、私達が「日本」と思っている様々なものが実はここ100年で出来上がった、創られたものばかりだとしたら・・・と思ったとき「日本」とは一体何なんだろう、という疑問が浮かびます。
この前提をおいた上で、2020年に迎えるオリンピック。ここでどんな「日本」を見せていきたいのかだろうか?ということを問われています。
それは、文化的なことだけではなく、国際社会における日本の位置付けや存在感をどう定義し、発信をしていくのだろう。ということも含んでいます。
2020年から先の日本
本の冒頭に、下記のツイートの引用があります。
このツイートによって、日本の思考が2020年で止まってしまっており、2020年以降の日本について考えられない(考えたくない)自分たちに気が付きます。
すでに、日本は昔のような技術立国ではなくなりました。
しかし、日本人の大半は気がついていない(認めなくない)事実のような気がするのです。
経済ランキングはすでに、世界3位。しかし、未だ日本にはまだ中国には負けていない!という危機感のない空気がはっきりと残っており、それが思考停止を生み出している1つの要因という気がしています。
個人的には経済成長だけを求める考えではないので100%賛同するわけではないですが、2020年以降の日本を想像したときに拭い切れされないこの不安は何でしょう・・・。
それでも、落合さんは言います「日本には可能性が残っている。だから日本で活動を続けている。」そのうちの1つが「デジタルネイチャー」の実現であることは、これまでの書籍からも読み取れる話です。
オリンピックにおいて、その2020年以降の日本の萌芽を感じさせるような「日本」を見せられるのか、はたまた単なる「日本文化カッコイー!クール!」で終わっちゃうオリンピックになるのか。そんな視点で見ていると、ちょっと楽しみな気がしますね。
個人的には後者で終わっちゃうんだろうなぁと、今から見る気が失せる予想をしています。
かといって、典型的日本人の私は何かをしようともするわけでも、何かができるわけでもない、という大きな諦めを持っているのも事実です。
その中で日本を憂い、なんとかしようとしている落合さんについては、希望と尊敬の一言しかないのです。(落合さん、ごめんなさい!)
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