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ゲームの役職に憧れるのはやることが決められているからではないか

ゲームにおいてプレイヤーは役職名を与えられてストーリーに沿ってキャラクターたちと関わっていく。二次創作でも多く作品があるように、その役職に現実で成り切ってみたり、その世界に行ったらこういうもんだろうみたいな妄想を人間は日々するのである。

ゲームによって役はさまざまで、指揮官であったり上司であったり恋人であったりする。しかし、どれも世界観に没入するために作られているから、プレイヤーが居心地の良さを覚えるものでなくてはならない。
みんなに慕われて、敵と戦って、功績を上げて…

そんな姿に憧れるのは、やることが決まっていてかつ欠けた自分の本来の欲求を満たしてくれるからだと思う。

マインクラフトでは「やることがわからなくて楽しめない」という人が一定数いたそうだ。そんなマインクラフトですら実績やボスシステムを導入してストーリーとしてプレイヤーを導くようになっている。

自分の居場所がわからない、何をしたらいいのかわからない、存在意義がわからない…そんな分割して切り離された個人主義の現代社会では、世界に根を張ることができずにフワフワしてしまっている人が多く存在する。ありふれた浮遊感を、中世のような役職で固定したアイデンティティを付与することによって地面に根を張るサポートをするようにできているのがゲームなのではないだろうか。

自分探し、という言葉があるように、現代社会では人間は個性から解き放たれて浮遊している。
ゲームの世界が現実だったら…自分に最初から決められた使命があればいいのに。

人生を迷走している時、よくそんなことを考える。現実社会では地位も身分もお金もないし、それはあったとしても風で吹き飛んでしまうような儚いものである。社会が単純で、わかりやすくて、優しかったらいいのになあ。


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