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私が一番大変だった時期
7月5日
私にとっては一生忘れられないであろう事件が起きた日だ。
ときは遡って2010年。
この日はじーちゃんとばーちゃんが関東の親戚の家に葬儀のために泊りがけで出かけていた。
当時私は訪問入浴介護の仕事をしていて人数の都合で休みをとれず、とーちゃんに休みを取ってもらって子ども達の学校や保育園への送迎をお願いしていた。
午前の仕事が終わって休憩していると、私の携帯にとーちゃんから電話がかかってきた。
普段なら、決まった時間に休憩がとれないので用があったらメールで伝えてくるはずなのに、おかしいな?と思って電話に出た。女性の声がした。
「××(結婚前の私のフルネーム)さんのお電話ですか?私総合病院の看護師の△△と申します。〇〇(とーちゃんのフルネーム)さんが正午頃パチンコ店で急な体調不良を起こしこちらの病院に救急搬送されました。つかぬことをお聞きしますが、どういったご関係でしょうか?」
「私は〇〇の家内です。携帯電話には結婚前からやりとりがあったので旧姓のまま登録してあるんだと思います。ところで彼の状態はどうなんですか?」
「脳出血の症状が出ているため、こちらに入院することになりました。すぐ来ていただけますか?」
訪問入浴介護の仕事は、看護師を含む3人一組で行う。
誰一人欠けても十分なケアができない。
私はまずチームを組んでいる他のメンバーに事情を伝え、できれば早退したいこと、今日の時点では病院にすぐに駆け付けられる大人が私以外にいないことを話した。
そのあと介護事業所の所長に相談し、代わりの人を急いで手配した。
(ヘルパー経験のある、今は別の担当をしている人が代わりに入ってくれた)
可能な限りの大急ぎで病院に駆け付けると、とーちゃんは体中に血圧測定器やら血中酸素測定器やら降圧剤の点滴やら、コードやチューブをたくさんくっ付けていた。
ぼんやりした表情に見えるけど意識はしっかりしていて、声はかすれてもつれ気味だけど話すこともできた。
病室に入る前に受けた主治医の説明では「(元々は右利きだったのだが)脳の出血箇所が右半身の運動分野にかかっていて麻痺が残る」だの「このまま寝たきりかもしれない」だのと恐ろしいことを言われていたので、少しだけ安心した。
学校や保育園に事情を説明して普段より長く預かってもらっていた長男・次男を迎えに行き、ありもので適当に作った晩ご飯を食べ、食後に子ども達とテレビを見ていたら、長男の担任から電話があり励まされた。
この時の長男の担任は、私の高校の同期だった。
この電話がなければ、私は一晩中ひとりで泣いていただろう。
翌日、新幹線で帰ってきたじーちゃんばーちゃんを駅からそのまま病院に連れて行くと、とーちゃんは左手でスプーンを持って食事をしていた。
その様子に、これは順調に回復するぞと確信した。
その後病室が大部屋に変わり、3週間後にはリハビリ専門病院に転院した。
とーちゃんの入院でバタバタしているときに、次男の担当の保育士さんや園長先生に、療育手帳の取得を勧められた。
とーちゃんのことに関しては身体障碍者手帳の取得についてと介護保険やサービスについての相談をするために連日市役所に通っていたが、ここに次男の療育手帳取得の手続きが加わった。
そして、今まで月2回療育センターに通ってグループ療育を受けていたものを、地域でやっている週1回のグループ療育に変える手続きもすることになった。
とーちゃんの上司に連絡して、とーちゃんの職場や宿舎(当時単身赴任だった)に行き、挨拶したり長期休職に係わる必要な手続きを教えてもらったり、部屋の掃除をしたり必要なものを部屋の中から探して持ってきたりしたが、もういろいろと、心と体と脳の限界がきてたんじゃないかと思う。
(とーちゃんの職場に行く前日に38.6度の熱が上がり冷えピタとのどぬーるマスクと解熱剤で一気に回復させたんで、限界突破したのかもしれない)
頻回にとーちゃんの衣類等を洗濯し届けるため病院に通い、次男のグループ療育に毎週通い、長男のケアも考えていたのでこの時期は必死だった。
ばーちゃんは親戚の「孫が喋れなかったけど手術したら喋るようになった」という話を聞いて、(既に自閉症と発達遅滞の診断はでていたのに)「次男も手術したら喋れるようになるかもしれないから、総合病院に連れていけ!」と言い出した。
総合病院にばーちゃんと次男を連れて行き、小児科の先生に事情を説明して「ヨメの話は聞いてくれないので、先生から次男の障害についてばーちゃんに説明してもらえないか」と頼んだのもこの時期。
秋にとーちゃんが退院し、自家用車を左手と左足だけで運転できるよう改造してもらった後、職場復帰した。
退院時の介護度は、要支援2。半年後には自立の判定となった。
とーちゃんは現在、足については歩くのは少々体が傾く程度に回復し、手は元々利き手だった右手がいうことをきかないので(特に寒い時期)時々イライラして自分に怒っている。
はあーっ
ここまで書いたの読んだら、私すごく頑張ってたんだな。
体もメンタルも結構やられたけど、よく頑張った。
このあと次男のことでいろいろ悩んだり苦労したりしたけど、それはまた別の記事で…
(長男のことでも悩んだけどね)
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