ゴルフ練習場でマスクを取る
ゴルフ練習場で打席に立つ
久しぶりにゴルフ練習場に行きました。
打席に立って周りを見回すと、おおっ、誰もマスクをしていません。
素顔のまま、それぞれの打席で、真剣にクラブを振っているではありませんか。
コロナ下で、なんと開放的な光景。自然な姿。
まてよ、そうか。
合点がいきました。
自分もマスクを取って後ろのベンチに置くと、打席に入りました。
マスクをとった理由
すっかり運動不足の自分。
どうしようか。自宅でトレーニングのような努力は苦手。散歩・ジョギングの根気は無し。室内より屋外の運動が好きだけど、協調性がないのでチームプレーはだめ。
水泳はどうか。でも水泳はきつい。
ならば打ちっぱなしの練習場は、ひょっとしたらいいかも。
というわけで、やってきました練習場。受け付けをすまして打席に入り、準備運動を開始。
首も腰も膝も、関節が錆が落ちていくようにポキボキといい音を立てています。整体師に、体を伸ばされているような気持ちのよさ。
久しぶりだなあ。
まわりの打席のボールを飛ばす音が心地よい。白球の軌跡がはるか先に伸びていく。
自分は・・・打った打球は右へ飛び、力んでは左へと。
へそが曲がっているのかな。力を抜いたら、意外と中弾道でまっすぐ。打つほどに打ちっぱなし依存症に。
とはいえ、爽快。
コロナのお陰で、球を打つたびに、『ゴルフ練習場のよさ』を再認識した次第です。
理由① 練習場は屋外の吹きっさらし
ゴルフ練習場は、コロナ菌も吹き飛ぶような屋外の吹きっさらし。
都市の郊外や山の上、海の近くや河原といった、人口密度の低いところにその多くがあるのでは。
(最近は室内の練習場も増えていますが、今回は昔ながらの「吹きっさらし」練習場に焦点を当てております)
ゴルフは、かえって風があった方が、練習になるくらい。本コースでは、風の影響大ですからね。
そんな意味で、風と良い友達にも悪い友達にもなれる。
ゴルフ練習場は、自然と友だちになれる場。
理由② 各打席は広い
当然、ドライバーなどのクラブを振り回すのですから、各打席は安全のため規則正しく空間を確保しています。
ゴルファー同志は、しっかりと間隔をあけています。クラブがぶつかったら、大事故になりますからね。
ゴルフは、練習場もコースも、人とは離れてプレーするもの。三密にならないのが、ゴルフの物理的な特性、つまりメリットなんですね。
さらに、何打席も空いているなら、その中間を指定すれば、間隔を大きく開けることもできます。
練習場は、他者と友達になる場ではないのです。
自分の世界に閉じこもり、クラブとボールと対話する場です。
そのためのに、隔離した空間が、意図的に確保されている。いわば、自分のパラダイスが、平等な広さで確保されているわけです。
この安全距離がコロナ対策にもいいのでは。
理由③ 背中を見つめて
各人、並んでいる打席では、みんな同じ方向を向いています。
お互いに、背中を見ながら、練習しているわけです。
ただし、サウスポーの打席もあるでしょうが、お互いに向き合うことを避けて、大抵は端の打席になっていますね。数は少ないです。
全員、顔を合わせることはありません。
会話は無しです。
まったく当たり前の光景ですが、コロナ視点から改めて見ると、この施設環境はユニークではないでしょうか。
このようなスポーツ施設は、他には弓道場くらいしか思い浮かびません。
目標に向かう時、人はそれぞれの道を行く。わが道は白球の先にある。みなゴルファーは同じことを考えています。背中を見ればわかります。
なのに、フォームは別々。
球筋はバラバラ。
打球音もそれぞれ。
誰かの打球音が聞こえても、気にもかけず、互いに背中で孤独を共有する場がゴルフ練習場。
理由④ 移動しないで熱くなれる
ゴルフ練習は、人との出会いを求める場ではありません。
もちろん、プロのレッスンや教室、ご夫婦で練習に来たり、友達と練習する人もいます。
でも、それは少数。
大半は、芸術家でもないのに、自分の世界はこの打席だけと、閉じこもったまま。
トイレや自販機に行くとき以外は、まったく打席の中で過ごしているわけです。予定したボールがなくなるまでの限られた時間ですが。
自ら集団と関わらず、決まった限られた閉鎖空間の中で、ぜいたくな気分を独り占めしているのです。
走りもせず歩きもせず、それでいて身も心も、汗だくになる場。
理由⑤ 練習中は会話無し
練習は、沈黙で始まり、沈黙で終わる。
でも、打席の中では、沈黙とはいえ、実は『饒舌な時間』。
相手は自分自身。希望、楽観、夢が、頭の中を交錯します。
マスク飲食なんていう言葉もありますが、黙食どころか黙打を続けるのがゴルフの醍醐味。
ヤッター、ナイスショット。ダメだ。またミスった。どうしたんだ今日は。おっ、生涯最高のショット。
むきになったり、怒ったり、ほれぼれしたり、あきれたり。
喜怒哀楽を無表情の下に隠して、打ち続ける。熱くて静かな時間。
話す相手もなく、自問自答し続けるのがゴルフの練習。心はボールとともにあり。泣き笑いは胸の内。
そんな、濃密な時間がゴルフの練習。
でも、言うことを聞かないボール。
最後には「すべての原因はボールではなく自分にあり」という悟りの境地に至る道。諦めの境地か。
でも、やっぱりクラブを買い換えようかな。道具のせいにしたりして。これは煩悩か。
コースに出た自分を妄想し、仲間に自分のショットを誇りたい。妄想が、スコア新記録をだしたときにまで膨れたりして際限なし。
未来の楽しみを、脳裏に思い描けるところがゴルフ練習。
「沈黙は金」ではなくて、「沈黙はスコア」と、言いたいところ。
理由⑥ 大空間の途方もない誘惑
練習は広大なグランド。
プレー中、小さな打席をでることはない。
それなのに、広いグランドを独占。ただひたすらに、宙に舞うボールが、グランド上空の希望の星となる。
考えてもみてください。
この誘惑は、半端ではありません。
ナイスショットの快感は、とてつもないものです。
いいですか。ゴルフコースは、野球場よりはるかに大きいのです。野球場より広いゴルフ練習場は、いくらでもあります。
プロ野球場のホームベースに、ボールを置いてみましょう。ありえない例えですが。
男子なら、9番アイアン、つまりショートアイアンで、ホームランを打てることでしょう。ミドルアイアンなら、間違いなく野球場の外野スタンド中断に突き刺さる球を打てるのです。
道具次第で、女性でも高齢者でも子供でも、ホームランを打てるのです。
ただ、プレーする場所が違うだけ。
アメリカの大リーグの球場だって、日本の球場より広いとはいえ、ゴルフクラブなら楽にホームランを打てるのです。
それも、止まった地面のボールで。
野球のように高速のボールを打ち返すわけではないのです。
ドライバーなら・・・・・場外本塁打。
練習場で、たとえネットや崖に阻まれても、そんな飛距離の誘惑と快感に夢中になれる場所がゴルフ練習場なんです。
ボールで遊ぶ『地球上最大の施設』
だからこそ、ナイスショットの打球感に酔いしれる。手元には、軽く、直線的な、衝撃波の余韻がのこっていることでしょう。
いつの間にか、息は乱れて、背中の筋肉が張ってくる。
体はくたびれきって、ようやく練習終了。
打席を出るときにマスクをつける
打席に入って、マスクを外したのは私の判断。
出るときにマスクをするのも自分の判断。
マスクをして、キャディーバックを担いで、背筋痛に背中を丸めても、胸の内は大空間と戯れた喜びに満たされています。
もちろん、マスクをしたままの練習も、大いによしです。
でも、コロナが流行る中、どこかで思いっきりストレスを発散させないと、自分が可哀そうな気がします。
というわけで、練習場に入る時も帰る時も、受付の体温計測機で、ピッ。
さっ、帰ろう。
バイバイ、ホームグランド。
家では、noteが待っている。