人生のキーワード「やりたいこと・やれること・やるべきこと」を展開する
人生の最初から最後まで、社会との関りで、この三点がキーワードとして頭の中を飛び回っています。
受験で、就活で、転職で、家庭で、地域で、サークルで、旅行で、その他、あらゆる人生の岐路で、人は自分の「やりたいこと・やれること・やるべきこと」について、自問自答しているのではないでしょうか。
1 3つのキーワードの中身は ?
「やりたいこと」とは、欲求であり、好みであり、願いでです。
「やれること」とは、可能性であり、能力であり、適性でしょう。
「やるべきこと」とは、役割分担であり、責任であり、使命ですかね。
もっと、噛み砕いた表現があるかもしれません。
このキーワードをより明確にするのは、反対語、あるいは否定語です。
これも、3つあります。
2 反対語は3つ。
三点キーワードに対立する対極のキーワード。
「やりたいこと」 ⇔ 「やりたくないこと」
「やれること」 ⇔ 「やれないこと」
「やるべきこと」 ⇔ 「やってはならないこと」
右側の反対語も、強烈な存在感があります。
判断決断の主導権が、右側になることもあります。
人生の岐路に立ち、悩み苦しむのが、この反対語との葛藤ですね。
3 6つのキーワードを生かす「今」
ところが、人は「今」、この瞬間を生きています。過去は終わったこと、未来はまだ来ていないことです。
未来がどうなるのかは、その時にならないと分かりません。
分からなくても、人は「今」未来のために、判断し決断し続けています。
買い物一つとっても、同じですね。
「そうだ、胃腸薬がきれてきたから、買っておこう」なんてね。
過去の経験や周囲の情報から精一杯考えたとしても、予測不可能な領域が必ずあります。
その意味で、判断決断には「博打」の要素があります。
「博打」を嫌がり、見て見ぬふりをしたり、成り行きに任せたり、「現状維持」の決断も、一つの判断です。
ところが、「現状維持でもいいや」と思っても、実は内外の様々な因果関係の影響を受けて、常に変化に巻き込まれているものなのです。
止まっている世界は、この世にないからです。
つまり、何もしなくても「何も起こらない」わけではありません。
毎日同じ仕事をしていても、人員削減されることもあるのです。
「なんで俺が。定年まで、続けたいのに」
こんなことは、起こってほしくないものですね。
だからこそ、常に「キーワードに基づく備え」が、人生には必要ではないでしょうか。
4 キーワードから一つだけ選べるか?
「やりたいことしかやらない」という考え方があります。
仕事も付き合いでも、「やりたいことしかやらない」と明言する人。
でも、本当に100%思い通りになりますか。すべての関係で、思い通りにならないことが普通にありますよね。
同様に「やれることしか、やらない」という考え方もあります。
得意なことしか取り組まない。自信のあることしか手を出さない。実績のあることだけ取り組む。
でも、どの分野でも、社会情勢は変化してきます。
結局、常に勉強したり研修したり訓練が必要になり、自分を磨いて向上させないと変化に対応できません。
時代に対応するための努力によって、「やれる」ことの領域が広がり続けていきます。
今まで事務所で仕事していたのが、リモートで在宅で仕事するようになるのも、一つの例ですね。
可能性とは、固定的なものではありません。
また「やるべきこと」だけに徹する人もいます。
立派に見えます。強気に見えます。過激な人もいます。イデオロギーにこり固まった人もいます。特定の哲学や独自の考え方しか認めない人がいます。でも不自然ですね。
政治や軍事になると、どうでしょう。
命の犠牲を強いる発想は、「やるべきこと」を口実にして、非情な命令に従わせたり、支持を強制したり、洗脳したり、罰することが、現実には起こっています。
いくら一つの考え方にこだわっても、結局、他の5つの考え方か問われます。反対、反抗、批判にさらされます。
結局キーワードを分離して、特定のキーワードだけを重視することには、無理があります。
いずれ行き詰ります。
こう考えると悲劇というものは、キーワードの中で「一つだけ」にこだわり過ぎたから、起こるとも思えるのです。
個人も組織も社会も、極端な選択によって、悲劇、対立、争い、悩み、様々な問題が発生します。
個人も社会も、一つのキーワードだけで生きていけるわけではありません。すべてが一体的であり、それが現実であり、真実であると思えるのです。
では、6つのキーワードの「捉え方」について、考察してみましょう。
5 6つのキーワードを「一つ」に統合
ここで、閃きです。
本記事の発端が、この閃きからでした。
自分は一つ。その自分を「立方体」に例えてみてください。
「立方体」には、同じ大きさの面が、6つあるではありませんか。
おお、これだ。
互いの面は、表と裏にあり、この面の大きさは同じ。6つの面があつまったのが、一つの「立方体」なのです。
向かい合う各面が、「立方体」そのものを構成する大切な面なのです。
自分も組織も社会も「立方体」だとすれば、各面をどうやって尊重するかが、「生きる・活躍する・発展する」生き方の本当の出発点ではないでしょうか。
この分析手法は、社会の全ての場面で、活用できます。
「この仕事はやりがいがあるんだけど、上司の命令がきつくて、無理な事ばかり言うんだよなあ。でも、家族のために、ガンバルしかないのさ」
三つの要素が展開していますね。
ところが、『受忍限度』を超えると、大変なことになります。
「この仕事、全然、やる気にならない。俺には合わない。もう上司の命令には耐えられない。いくら会社のためにといったって、薬を飲まないと体がもたないよ」
自分も昔、無理して我慢して働いているうちに、体調を崩したことがあります。結局は転職しましたが・・・・。
当然、個人の人生や社会生活だけでなく、独裁も民主主義も戦争も、分析できると考えます。
最前線の一人の兵隊と上官。
隊長「突撃」
兵士の胸の内 ( 俺、こんなところで、死にたくないよ。『突撃しろ』と隊長は命令してるけど、前線は地獄だ。わかってないんだよな。『国のため、絶対君主様のため』っていったって、俺は徴兵されてきただけだ。期間が過ぎたら、故郷に帰るんだ」
キーワードが展開していますね。
人権尊重や民主主義は、何を大切に扱うのでしょか。
具体的には、この立方体全体(六つの面)を尊重していくことが、人権尊重や民主主義の土台ではないでしょうか。
ところが「立方体」には、さらに上の概念があります。
それは、社会を包む大自然との関係で、とらえられるキーワードです。
6 「立方体」を超えるキーワード
「大自然」も入れたキーワードとは、実に身近でシンプルなものです。
それは、次のキーワードです。
「生きる」
「生かす」
「生かされる」
大自然の動植物に至るまで、このキーワードは共通です。生態系による循環ですね。
このキーワードに、反対のキーワードはありうるのでしょうか。
「生きる」 ⇔ 「死ぬ」
「生かす」
「生かされる」
どうも、うまくいきません。
死んだあとは、「自然界に回帰」していくことを「生かす」「生かされる」ととらえる哲学もあるでしょう。
でも、反対語としては、どうでしょうか。
「生かさない」「生かされない」というのは、どうもなりたたないように思えます。
大自然とは、それほどスケールが大きいということでしょう。反対語は、通用しないようです。
「生きる」「生かす」「生かされる」の三つのキーワードだけでも、優先順位を決めたり、一つだけを選んだり、他を否定したりするとは、できるでしょうか。
できませんね。
「生きる」「生かす」「生かされる」の三つのキーワードは、社会・自然、あるいは本質に関わる言葉ですから。
では、6つのキーワードと同様に、この3つのキーワードを、一体的にとらえる幾何学的なイメージを考えてみましょう。
それは、「コイン」です。え、10円玉か。
「コイン」だと、裏と表しかないように見えます。実は、もう一つ側面があります。周囲の面ですね。
つまり「円柱」のイメージです。(大根に例えた方がよかったかなあ)
「円柱」は、『大根』のように、どう薄く切ろうと「円柱」なんです。
「円柱」という立体のどの面も大切です。どれひとつ失っても「円柱」は成り立ちません。
悟りとは「生きる」⇒「生かす」⇒「生かされる」と物事を深く認識していくもののように思えますが、実はすべてが原因結果で結びつき、意識・無意識は関係なく、もともと本来一体だと考えるのが「円柱」の見方です。
文章だけで論理的に表現しようとすると、難解な哲学論文になりそうですが、『幾何学的に捉える』と、あっさり本質を受け止めることができるのではないでしょうか。
7 まとめ
苦しみとは、特定の面のこだわりが、強すぎるのが原因。
だとすると、全てを大切にして受け止めれば、未来に向けて勇気をもって決断していけるのではないでしょうか。
「立方体」や「円柱」を自覚して、一生懸命考えて決断した自分を、けっして卑下することはありません。
その時その時の決断は、どんな決断であろうとも、本人が思っている以上に奥が深くて、幾つかの面が一体的に作用しているものと捉えることができるのです。
たとえば私の学生時代、将来何をやりたいのかわからぬままに、多少とも関心を持った授業を選び単位を取りました。
合わない仕事に就いてから、真っ暗な気持ちで悩み苦しんで、三年後に転職しました。
20年後に人生を振り返った時、驚いたことに授業で学んだことをすべて現場で取り組んできたことに気がついたのです。
「人生に無駄なものはないな。いつか、わかるものなのさ」
こう考えるようになりました。
キーワードと幾何学的な図形は、バランスを意識して利用すれば、深く「自分」と「世界」を受け入れられるようになれると思えるのです。
どうぞ、お試しください。
人生観や社会観だけではなく、創作にも広がりが、出てくるのではないでしょうか。
追記
この記事の作成では、さすがにバテました。珍しく長考につぐ長考でした。投稿してから、気分転換にファンタスティックコントでも書こうかなと思って寝たところ、翌朝、コントのアイデアが30本浮かびました。
突拍子もないアイデアなので、またしても長考中です。