ロボット・ドリームズ、パノプティコン、アクセシビリティ | 12月24日 すしメロディ

津村記久子「ログアウトボーナス」

文學界 2024年11月号に載っていた 津村記久子「ログアウトボーナス」を読んだ。スマホゲームの中毒になってしまう人の話で、シンプルに共感できる話だった。エクセルのファイルを検索してから開くまでのあいだにゲームについての思考が侵入してきて集中力が切れてしまうシーンなど、なにかに中毒になったことのある人ならみんな身に覚えがあるのではないだろうか。身の回りになにかに中毒になっている人がいる場合にも理解が進むと思う。今現在中毒で悩んでいる人は伴走者として読んでみてもいいとも思う。

ふつうに「小説でわかるスマホゲーム中毒」のように読んで"使える"と思った。"小説"であることと"使える"が両立していることに意味があるように思える。

映画「ロボット・ドリームズ」

それから、二日前に観た映画「ロボット・ドリームズ」に味があってずっと考えている。簡単に話すと犬がロボットを買って楽しく暮らしていたのだが… というところから始まる話なのだが、たとえば、あのロボットに選挙権はあるのか?というような野暮で些細なことまで考えても楽しい。もちろんあの世界に選挙があればという前提になるけれど、選挙権をはじめとした基本的人権に類するものがロボットに認められているなら、序盤のシーンであんなふうに閉じ込められたり、あんなふうにひどい目にあったりしないんじゃないか。でも、観客にとっては登場する動物たちとロボットとのあいだにある差が自明じゃないから観ながら世界に入り込んで思考する必要が出てきて、最終的にロボットの一級の市民じゃない雰囲気を感じとり、なのにロボットに悲惨さがなく、感情があり、愛があるあの行動が観客の心を動かしているのだとおもう。

ロボットが花畑を夢見るシーンで犬がでてきたときには「犬のこと好きすぎる…」とおもってグッと来たが、でも同時に、ロボットは犬が購入して組み立てたにすぎないし、いろいろ遊んだ思い出があるとしても、所有者を愛することは購入時点でかなりプログラムされているのでは…?と思ったりもしてしまう。そしてそのアナロジーで、家畜化された愛玩動物たちも人間に懐くような個体が選ばれて繁殖させられてきた歴史があるから今のような形になっているわけで、遺伝的にあらかじめ愛することをプログラムされているという対応のさせ方ができなくもないような…

まあでもこの辺はほんとうに些細な話で、セリフなしのアニメーションの演技だけでここまでちゃんとおもしろくて筋もわかるというだけでかなり大変な作品だと思う。音楽も良い。

学校がパノプティコンかどうかという話題が盛り上がっていた

Twitterではフーコーが学校をパノプティコンとしているかどうかという話題が盛り上がっていた。ぼくの観測する限りでは火元はこのツイート。

このツイートはフーコーは学校はパノプティコンなんて言ってないという指摘(すでに削除済み)にぶら下げられたリプライで、正確にはこのツリーの最初のツイートが火元なんだけど、該当箇所の原文なり原著を貼るならまだしも、一般書を貼って素人はこれ読んでおけと言うのはいくらなんでもおかしい。権威によって押しつぶすような話の展開をするくらいなら論拠を提示しないほうがまだマシで、ふつうにおかしい。

なおぼくはフーコーが言ってるか言ってないかには一切興味がなく、子どもを同じ空間に閉じ込めて管理するということがパノプティコンとして機能しないわけがないと思っている。

語彙を獲得する

きょうはいくつか社外ミーティングがあって、そのなかで「弊社といたしましては」という言葉がスラスラ口をついて出てきてビックリした。ぼくは30も半ばになろうというのにプログラムばっかり書いてきたせいか弊社・御社・貴社の区別がかなり曖昧で、間違えないために口頭では社名、文面では毎回調べる、という使い分けをしていたのだが、急に語彙を獲得したらしい。たしかにここ最近は社外とのやり取りが自分比で爆増していたので獲得するタイミングとしてはおかしくないのだが、やはり予想していなかった言葉が自分の口から出てくるとびっくりする。

その後、「じゃあこのあと飲みに行きますか」という話をしたのだが断られた。当然だ。相手方には家庭があり、家庭があるという話も聞いていたのに、クリスマスイブだということをすっかり忘れていた。

スカスカおせち

クリスマスに恋人と過ごすべきという規範を内面化していないのでクリスマスでギャーギャー言うネットの文化が昔から好きじゃないのだが、お正月はめでたく過ごすべきという規範は内面化しているので、年越しの準備をしていないことにすこし罪悪感がある。

グルーポンのスカスカおせちがずっと面白いのは、お正月はめでたく過ごすべきという規範を内面化していることとも関係していると思う。見知らぬサイトで豪華なおせちがお得に買えると知って、ワクワクしていたに違いないのに、届いたものがスカスカじゃあまりにも悲しい。そしてやっぱり面白い。悲しい・さみしい・面白いが混ざった不思議な感覚で、松本人志のビジュアルバムにスカスカおせちのネタが入っててもぜんぜん納得する。

アクセシビリティについて

mixi2のアクセシビリティとも絡めたこの記事を今日読んだ。

ぼくはどうしても晴眼者なので、このような記事を書いてくれるだけでたいへんありがたい。

どの程度のアクセシビリティを担保してリリースするべきかという話は(あらゆるものがそうであるように)ある程度ビジネス要件が絡んでくるとも思うが、それ以上にユニバーサルデザインや技術者倫理の話題だとおもう。

市川沙央さんが提起する読書バリアフリーの問題には紙に拘る各種文芸誌のアクセシビリティの低さへの指摘も含まれているように思うが、あまり正面から受け止められていない気がする。紙が好きなら紙でもいいと思うが、それはそれとして紙面にアクセスできない人に対する別の入口が作られる必要があると思うのだけど、どの程度配慮されているだろう。

たとえば以下の文章では、回転ドアのアクセシビリティの低さを指摘したうえで、「回転ドアを取りやめる」のではなく「回転ドアを付ける場合は回転ドア以外の入口も確保すること」をガイドラインとしたADAAGの事例が紹介されているが、紙面を回転ドアだと思ってもらえればいいと思う。

そして、紙しか発行していない同人誌の多さをみると、このまま批評や文芸の分野で軽出版の流通量が多くなることで、紙面にアクセスできない人々がますます排除されることが予想される。

近頃の人文はなにかあればケアだの多様性だのと言っているのに、コンテンツ提供者としては倫理に欠けているというのは恐ろしいことだ。


すしメロディ
寿司になりたいという理由でこの名前にした。
「お寿司が好きなんですか?」と聞いてきた人に「あなたが大谷翔平になりたかったとして、大谷翔平を食べたいと思いますか?それと同じですよ」と答えたが、大谷翔平は食べたい。

【「火を焚くZINE vol.1」発売予定】
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機械書房(水道橋)
書肆書斎(梅ヶ丘)
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〈茨城〉
生存書房(土浦)

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