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焚曜日のこと|11月26日(火)奈良原生織


火曜日で、いい風呂の日。

火曜日には存在感がない。
金土日月に負けるのは致し方ないとして、火水木の平日のなかでもとくに影が薄い。
水曜日には『水曜どうでしょう』や『水ダウ』があり、海外だけど『アダムス・ファミリー』のウェンズデーとかもいる。
木曜日はそれ系はなんも思いつかないが、金曜日の前夜祭的な開放感がある。

なのに火曜日にはそのいずれもない。
それは土日祝休みのホワイトカラー中心主義的な考え方かもしれないが、それにしても「火曜日」の記号的な弱さは事実である。だからいっそのこと「焚曜日」とかにしたらどうか。火曜日の復権が待たれている。

週末を使って弾丸で地元に帰った。24日の日記によるとさざわさんと同じタイミングだったっぽい。奇遇。でも電車混んでたし、そういう時期だったのかも。
手土産にルミネの豊島屋で鳩サブレ四枚入りを買ったところ、バッグ型の箱が通常の柄のほかに、つがいの鳩を描いた柄の二種類から選べた。そういえばいい夫婦の日。二個買ったので、せっかくだから一種類ずつもらった。
つがいの柄は両親にあげた。通常の柄は祖父母に渡すつもりだったけど時間がなくて親に託した。昨日祖母から電話がかかってきて、電話口でしきりに「はとがし、はとがし」と言うので何のことかと思ったら鳩菓子だった。「鳩菓子ありがとう。年末は二〇枚買ってくるように」と言われた。私の祖母にはリンドールより鳩サブレが似合う。でもたまにはああいった珍しい洋菓子も喜ばれるかもしれない、とも考える。

火曜日なので在宅勤務。
朝はマーガリン入りバターロール二個、昼はレトルトカレー、夜はミジンコ食堂の魯肉飯。

Zoomで全社会議を聞いてたらハルシネーション(hallucination)という単語に目がとまる。そういえばツイッターでもよく見かける。生成AIが虚偽の情報をあたかも本当かのようにアウトプットするみたいな文脈で使われるとのことで、さては『2001年宇宙の旅』の人工知能HALから来ている新しい単語だな、と思う。というか絶対それだろ!くらいの勢いでググったが、違った。幻覚や妄想という意味の由緒正しき英単語だった。
「ググる」などがまさにそうだが、固有名詞が一般名詞化した単語が好きなので、少し残念な気持ちになる。

夜のミジンコ食堂では「春と修羅」というカクテルを飲んだ(カバー画像はその接写)。宮沢賢治の同名の詩をモチーフにした青くてあまいお酒。ミジンコ食堂には文学作品をモチーフにしたカクテルがほかにもいくつかある。タイトルだけではなくて「赤シャツ」「マドンナ」とかもある。一杯ずつ説明に紙幅が裂かれており、愛を感じる。

カクテル「春と修羅」の説明文。


ここミジンコ食堂は説明するのが難しいお店で、まずメニューの幅が非常に広い。和定食もカルボナーラもガパオライスもある。店内は水槽にアフリカツメガエルがいるし、犬のおもちゃは売ってるし、背丈くらいある植木鉢がいくつも置いてあるし、キッチンの奥のテレビではいつも有名な映画が無音で流れている(今日は『鬼滅の刃・無限列車編』だった)。
そして料理はなにを食べても美味しい。こういう一見雑そうで実はちゃんとしているお店が一番ありがたい。いつかZINEのメンバーと一緒にここでご飯を食べて、「檸檬」のカクテルとか飲んで、得体の知れない不吉な話をしたい。

夜はYoutubeで妻に教えてもらった「団地への招待」という動画を見た。
西東京に今もあるひばりヶ丘団地の広報用につくられた動画で1960年のものらしい。親が生まれるより前の時代だがそれにしてはフルカラーだし画質もきれいだな、と思って調べると、小津安二郎の映画がカラーになったのも58年『彼岸花』からということなので、特別珍しいというわけでもないのかもしれない。そのへんの時代感覚はあいまいだが、リアタイで経験した2011年の地上デジタル放送への完全移行は忘れないだろう。震災直後の7月、『笑っていいとも!増刊号』の生放送中にアナログ放送が終了した。
地デジカという細長い鹿のキャラクターがいた。当時まだ父の部屋にブラウン管テレビがあった。どちらもいつの間にかなくなっていた。

「団地への招待」は公団入居に当選した女性とその婚約者がひばりヶ丘団地で暮らす兄夫婦のもとを訪れ、一日をともに過ごす中で団地生活の極意を教わるという筋立て。ゴミの出し方、断水時の対処方法、集会所でのご近所付き合いなど実践的なハウツーがクラシック音楽を背景に一人称で物語られる。
部屋の内壁のコンクリートは乾ききるのに二年かかる(だから家具は壁からすこし離して設置しなければならない)という話があり、乾いてから分譲したほうがいいのではないかと思った。
あとガス中毒の注意喚起が繰り返しなされていた。風呂を沸かすにもストーブを焚くにも換気は欠かせない。兄嫁とその息子が一酸化炭素中毒で死にかけるシーンで『亡き王女のためのパヴァーヌ』が流れる。
東京のような都市部でも、今みたいに気密性の高い建築に人間が住みはじめたのはたかだかここ半世紀くらいのことなんだ、と思う。それ以前の住宅には構造的隙間があり、風に運ばれてさまざまなものがきっと絶えず出たり入ったりしていた。
動画には「社会生活」とか「共同生活」といったワードもよく出てくる。外気や昆虫の侵入を防げるようになった一方で、団地では他人の生活が壁一枚挟んで直に伝わってくる。ひとつ屋根の下に穿たれた無数の密室で、何百何千という人々がひしめきあって暮らしている。匿名的に見えるがそこにはたしかに個別の生があり、具体的な生活がある。

『火を焚くZINE vol.1』に載せた「犇く」という短い小説は団地的な集合住宅を舞台にしている。
私自身住んだことはないけれど、ないからこそ、そこで暮らしている人の生活に、そこで暮らすことを選んだ背景に興味がある。60年以上前の「団地への招待」の動画を今Youtubeで見ている他の人たちもきっとそうで、コメント欄には「ここに映っている人の大半はもうすでにこの世にいない」といった趣旨のコメントが目立つ。そういったコメントを残した人たちの、陳腐といえば陳腐だが、切実にこみ上げてくるなにものかがあるようなその感慨は、今回の小説に限らず、私がすべての小説を書くときに表したいと思うものとそう遠くない。



奈良原生織
北関東の平野で生まれ育ち、現在は神奈川県横浜市在住。小説を書く会社員。先日十ヶ月ぶりに髪を切ったが、あまりにわずかな変化なので誰からも気付かれない。ポメラニアン(キングジムのポメラを愛用している人のこと)。


【「火を焚くZINE vol.1」発売予定】
◆2025年1月19日(日)文学フリマ京都9 @京都市勧業館みやこめっせ1F
→関西方面で買えるのは今のところこの文フリ京都のみ!


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