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利賀、吉祥寺、新たなるシステム|12月15日(日)松本アリヤ

昼から吉祥寺に集合。SCOT「世界の果てからこんにちはⅢ」を見るため。
SCOTという劇団は鈴木忠志が主催している。

鈴木忠志
1939年静岡県清水市生まれ。1966年、別役実、斉藤郁子、蔦森皓祐らとともに劇団SCOT(Suzuki Company of Toga-旧名 早稲田小劇場)を創立。新宿区戸塚町の早稲田大学のそばに同名の小劇場を建設し、10年間活動する(2015年、早稲田大学は鈴木忠志に名称使用の了解を得て、跡地に「早稲田小劇場どらま館」を再建した)。1976年富山県利賀村に本拠地を移し、合掌造りの民家を劇場に改造して活動。1982年より、世界演劇祭「利賀フェスティバル」を毎年開催(現在の名称は「SCOTサマー・シーズン」)。世界各地での上演活動や共同作業など国際的に活躍するとともに、俳優訓練法スズキ・トレーニング・メソッドはモスクワ芸術座やニューヨークのジュリアード音楽院など世界各国の劇団や学校で学ばれている。独自の俳優訓練法から創られるその舞台は世界の多くの演劇人に影響を与えている。

https://www.scot-suzukicompany.com/profile/

SCOTサマーフェス(富山県利賀村)に初めて行ったのは2年前で、演劇に従事していた/いる先輩Aと、お笑いサークルの後輩Bと一緒に行った。その時と同じメンバー。演劇を何本も見て、しかも利賀村で見るということは、まず空気が違う。空気感とかそういった曖昧な表現ではなく、空気そのものの質感が違う。音が違う。大気の振動が違う。

利賀村の闇はすごい。人類は火を扱えるようになった時、同時に闇を発見したのだと大澤真幸が鈴木忠志との対談の中で言っていた。
私の場合は、利賀村で闇を発見した。
質感を持った巨大な闇。
ONE PIECEのティーチの闇のよう。実際に見た事はないが。

演劇「シンデレラ」を見る前に、会場となっている一軒家の前で待っていると、入場待ちの時に突然の豪雨に見舞われた。でも別に、早く入場するとかいった事はなく、わりと放っておかれた。(テントに避難させてくれたような気もする)
早く屋内に入れてくれないことに文句を言っている人も多少いたが、なんかダサい存在だった。
SCOTのスタッフたちは、自然になれているというか、そういうものとして過ごしている感じだった。山なのだから雨くらい降る。

今回、2024年の新作は病院が舞台だった。
図らずも、読んでいる『魔の山』と響き合う。魔の山はサナトリウムが舞台。
平田オリザの『S高原から』も、『魔の山』のオマージュで作ったという(こまばアゴラさよなら公演で見た)。
トーマス・マン『魔の山』読んでいるが、上巻の途中段階では、主人公ハンス・カストルプがサナトリウムで色々な人に絡まれているだけだが、ずっと面白い。(毒舌家のイタリア人文学者セテムブリーニから目が離せない)

久しぶりの吉祥寺だった。
大学から一番近い栄えた町が吉祥寺だったから、学生時代よく通っていた。
はらドーナッツを食べた。
吉祥寺シアターの近くには、角海老があった。吉祥寺という街には、意外とそういうアダルトなエネルギーの渦巻く地帯が存在する。

ところで、「ショベルカーとギリシア: 鈴木忠志対話集」(ゲンロン)を読んでいて、東浩紀がこのようなことをいった。

東 今日、最初に「なぜ演劇に興味を持つようになったのか」と聞かれました。さきほどはうまく答えられませんでしたが、対話するなかでだんだん見えてきました。ひとことで言えば、それは、ぼくがいまゲンロンカフェという「劇場」を経営しているからだと思います。  なぜこんなことを始めたのかと言えば、鈴木さんも関わられていた『批評空間』、その終刊後の展開に疑問があったわけです。『批評空間』は一時代を築いた批評誌だと思いますが、いまはほとんど痕跡を残していません。柄谷さんはNAMという組織を立ち上げましたが、長くは続かなかった。では彼らはなぜ失敗したのか。ぼくは、原因は単純に物理的な拠点を持っていなかったことにあると思います。大学の研究室でも出版社の一角でも喫茶店でもなんでもいいのだけれど、ここに来れば柄谷行人がいる、ここに来れば浅田彰がいる、という場所を持たなかった。代わりに彼らは、インターネット論などを取り込み、「アソシエーションのアソシエーション」といった非常に抽象的な理念を掲げた。けれどもそれでは運動は続かないんですね。物理的な場所がないと記憶は肉体化しない。集団もすぐ崩壊する。

鈴木忠志. ショベルカーとギリシア: 鈴木忠志対話集 (pp.27-28). 株式会社ゲンロン. Kindle 版.

『批評空間』は批評家の柄谷行人と浅田彰が編集した伝説的な批評誌である。
対して、地。チ。
根拠地の思想。
根拠地があること。大江健三郎にとっての愛媛のように、鈴木忠志にとっての利賀がある。
身体的な場所があるのはいい。
初めて利賀でSCOTの演劇を見た時、その根拠地の思想に触れて身体が湧き立ったのを覚えている。
全く新しいシステムが、ここに存在する!という喜び。
土地の呪力と魔法。
精神ばかりを尊重し、物質を軽視していた私にとって、蒙が啓かれる思いだった。

東 でもそうなると、地方に行くことにはどういう意味があるんですか。地方に行く、というのはたいていの場合は地方の人々にむけて演劇をすることだと思うんだけど、鈴木さんがそこで地方の人々を相手にしないのだとしたら……。
鈴木 なんでわからないかな。あんたも悪しき演劇ジャーナリズムに冒されてるよ。わたしは地方に行ったんじゃない。利賀には東京支配の日本を捨てるつもりで行ったんだよ。その日本を構成している地域を含めて日本を捨てるために日本にいると言ったって、べつにぜんぜん矛盾じゃない。日本を捨てるためにアメリカに行くやつのほうが芸術家としてはバカだ。
 だから外国人がね、利賀に来て「ここは日本じゃない」って言うんだよ。日本の一般のシステムとここはちがうからね。東京の劇場は管理と経済効率のシステムでがんじがらめ、利賀の劇場は、わたしが使っていいと言えば二四時間使える。料理は参加者がみなで作るから、イタリア人でもアメリカ人でも当番で作る。それから食事代は自分で払う。もちろん出演料は出すけど、そのなかから食事代を払ってもらう。訓練のシステムもちがう。演劇は偶然性に左右されるから、夜中の二時ごろ思いついて稽古したりすることがある。日本中でそんなことできないわけよ。だからここは日本じゃない、となる。そういう、日本にいままでに存在しない場所を作るために利賀に行ったんです。それを、富山でやってるから地方だというのはバカなんだよ。どこだっていい、ニューヨークでもいいし、もちろん中国でもいい。しかし理想的にやれたのがたまたま富山だった。 

鈴木忠志. ショベルカーとギリシア: 鈴木忠志対話集 (pp.36-37). 株式会社ゲンロン. Kindle 版.

反権力ではなく、非権力でどうやるか。
それはシステムを自ら作り上げること。そこにこそ希望がある。

自分にとっての根拠地はどこか?別に、どこでもいい。
旅先を根拠地とすることもあるだろう。
差し当たって、気候が穏やかで、気圧の変化が一定であればよいと、最近の気圧の乱高下に体調を崩されまくっている身としては思う。あと、Wi-Fiが入れば、とかいうと、怒られそうだが。
 
『世界の果てからこんにちはⅢ』では、最初に病院で本を孤独に読んでいる、確か『日本人の未来』といったようなタイトルの本を読み耽っている中年男性が(車椅子に乗って)登場し、そこに同じく車椅子に乗った男性が話しかける。
「その本を読むと元気が出るのか?」
それに対して、本を読んでいる男性。
「元気なんか出やしないよ」。
 
「なんでそんなに小説を読むの?」と普段聞かれた時。
「面白いから」と、差し当たって答えている。でも正確ではないかもしれない。つまらない時だってあるし、そのつまらなさを楽しんでいる時だってある。字が気持ちいい時もある。目のリズムが心地よい時。色々な時がある。

そう。偉くなりたいから読んでいる、という時もある。


吉祥寺の東進ハイスクール

いかれた(失礼)イルミネーションが東進ハイスクールの壁に施されていた。この猿のキャラクターは人気があるのだろうか。受験産業についてもいつか書かなければいけない。

それにしても最近舞台に上がれていないからか、全然文章でボケられない。
そろそろ主催ライブをやる。


松本アリヤ
ピン芸人・文筆家。


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