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歌や小説は不幸のためだけに作られるのではない|12月13日(金)奈良原生織


通勤前によく寄っている西口のローソンの有線で、ビリー・アイリッシュ「BIRDS OF THE FEATHER」が流れている。
リリースはたしか半年くらいまえ、夏になりかけた頃だった。そのわりに冬に似合うのはコード進行がワム!「Last Christmas」と似ているからかもしれない。私は曲を聴いてもコード進行がどうとかまではあまり考えない(というかぼんやりとしか分からない)のでこれは音楽に詳しい友人から教わった情報です。夏にその友達と私と妻の三人で世田谷公園の噴水のそばでかき氷を食べながらそんな話をした。

寒い。
橋の上であったかいものを飲みながら観音様と川を眺める。コート、ダウン、手袋、長靴、毛糸の帽子と、みちゆく人は皆それぞれのやり方で防寒している。「夏の軽装はどれも似たようなものだが、冬の防寒はそれぞれに異なっている」みたいなことを思う。

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』


トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭は、読んだことはないけれど何かの抜粋で知っていて、私はその意見にいまいち納得できないでいる。似ていることは同じであることとは違うのだから、その言い方は幸福に対してフェアじゃない。
あとは、

似たような喜びはあるけれど 同じ悲しみはきっとない

Aqua Timez「虹」


というAqua Timez「虹」の歌詞にも同じような違和感を抱いた。

「人の感覚は幸福の前では鈍らされ、不幸の中では逆に研ぎ澄まされるものだ」と思うことで強引に理解しようとしたが、それでも私の中にある文章の客観性を重視したい気持ちが勝って、居心地の悪さから抜け出せない。

なにもトルストイやAqua Timezを責めたいわけじゃないです。彼らが悪いって言うんじゃないです。これは私の側の問題なんです。

だって、このことについて正しくあろうとすれば

まったく同じ幸福もまったく同じ不幸もこの世には存在せず、ただ、似ているが少しずつ異なる幸福と、似ているが少しずつ異なる不幸だけがある。

虚無の文章


とか書くことになるのだろうけれど、これじゃあどんなメッセージを伝えたいのか、さっぱりわからない。というかそんなの、歌詞や小説で言われるまでもなく当たり前のことだ。

当たり前じゃないことを言うためにトルストイはわざわざ小説を書いて、Aqua Timezはわざわざ歌を歌った。正確な表現かどうかは置いといて、不幸の個別性を拾い上げることによって救われた読者やリスナーがきっといた。でもそれは私ではなかった。たぶん、きっと、私がちゃんと不幸になったときはじめて、それらの言葉が身に染みるように響くのだろう。
でも私は不幸になんかなりたくない。誰も不幸になんかなりたくない。一生幸福なまま、小説も音楽も100パーセントで愛したい!

寒い。
会社、あったかい。会社、すき…。
しかし会社のトイレは普通に寒くて正気を取り戻す。寒さは健康な排泄を著しく妨げる。
執務室ばかり暖房ガンガンにしてトイレをおざなりにするのは、頭隠して尻隠さず、という感じがする。でもトイレは換気してるから仕方ないのか。
昼はキッチンカーのカオマンガイを食べた。

仕事のあとは道玄坂の小料理屋みたいなとこで、大学のゼミ同期三人と飲み会。
金曜日の渋谷を歩く。文字通り人をかき分けるようになる。
半年前までは「ことばの学校」へ通うため毎週このあたりに来ていた。懐かしい。いつも遅刻ぎりぎりで、結構な上り坂を息をあげながら歩いていた。
今日の店を予約してくれたRから事前に、全体的にすごく厳しい店であり、全員酒を注文するか確認された、予約時間に遅れる場合は連絡が必須だとか聞いてたので、びびりながらも五分くらい遅れて到着すると、まだ一人しか来ていなかった。
Iと会うのはたぶん大学卒業ぶり。ワイシャツにネクタイという服装以外、大学生の頃とぜんぜん変わらない。いつも笑っているような顔。
なんだあみんな遅刻かあ、と思いながら狭い長椅子に滑りこみ、Iがすでに飲み始めてたので私もビールを頼んで、とりあえず乾杯。いつぶり?みたいな確認の会話をする。
数分後にスーツ姿のOも合流。新卒で新聞社に入ったOは今は霞ヶ関で働いていて、年末なので(なのかは分からないが)忙しいということだった。お疲れ様の乾杯。
我々をさんざん脅していたRは結局30分くらい遅れてきた。今日の午後に金沢出張から帰ってきたばかりでその後も打ち合わせ続きだったという。店はふつうに良くて、料理も美味しいし店員さんもべつに遅刻を怒ったりしない。すべてRのハッタリだったのでは無いかと思えてくる。
炙りしめさばとかおでんとかを美味しく食べたんだと思う。

終電近く、一足先に店を出る。今日会った三人とは大学時代それほど親しかったわけではなくて、卒業後もほぼあっておらず、ここ数ヶ月のあいだにあった何かの流れで誘ってもらっただけなのだが、10年来の友人ということになるはなるし、会えば話したいこともある。いつからそんなことができるようになったんだ、と自分に驚いた。人と会うこと、人と目を合わせること、酒の入った勢いでしゃべり、しゃべられること。そういうすべてを怖がっていた自分はいつの間にいなくなっていた。俺にはもう小説も音楽も必要ないんじゃないかと思う。でも小説を読むし、音楽を聴く。なんなら書くし、楽器を弾くし、歌を歌いもする。


奈良原生織
横浜市在住。食べきれないりんごを焼いてパイにする計画がある。


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