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赤坂|1月11日(土)松本アリヤ

 ポストプロダクション。テロップの位置や、画面の色などを決め、番組の納品物を作ってゆく。

 忙しい時にあまり書くことがないのは、忙しい時というのは判断の連続で、判断というのは答えを出すということの連続なので、
問いを持てない、問いを深める時間がないのではないかと前に書いたが、
その他にも、言葉に遊びが無い、剰余の部分がないということもある。

 後輩が育っていないことへのグチや、
実際的な進め方の話、コミュニケーションの方法の話、動画ファイルの形式の話など、実際的な話、言葉の解釈の幅を狭めた、ストレートな、業界用語的なストレートさの言葉のみが求められる。

 後輩が育っていないことへのグチは、そのまま、職場の構造的な問題にも突き当たるのだが、そこを急に変革するのは難しく、本人の資質への苦言になってしまうところが歯痒い。

 資質というのは一体なんだろうか? 
 蓮實重彦は東大の総長時代、入学生に向けた式辞で「絶対的な差異としてあるあなた方」という呼びかけをしていた。資質というのは「絶対的な差異」なのか?

 ポスプロで一日部屋にこもっていて、移動のために外に出ると、赤坂サカスの街路樹がイルミネーション展開されていた。赤坂ACTシアターの右側のスロープを登っていく。普段あまり好きではないイルミネーションだが、ずっと窓のない部屋にこもってPCとテレビの画面を見ていたから、外だというだけで心地よい。赤坂ACTシアターや赤坂駅の一部分はハリー・ポッター仕様になっている。

 小人というと誤解を招くかもしれないが、縮尺が人間界には存在しない、ゼルダの伝説に登場するチンクルやコログのようなサイズの人間がいた。女性のようだ。パンツスーツ姿だった。彼女と同じサイズのノートパソコンを広げて作業している。こういう人がイルミネーションの近くにいると、クリスマスツリーの飾り付けをしている天使のように、そういう可愛い装飾などのメルヘンな仕事をしているものだろうと思ってしまいがちだが、実際にはメールを打ったりもしているのだなあと思った。しかし前段の、小さい人を見た時に、その人がメルヘンな仕事をしている想像をしてしまうのは差別だろうか?

 そんなことを考えていると、突如アスファルトの路面が盛り上がり、地下から巨大な尖頭のようなものがアスファルトを突き破って、冬の赤坂の夜に屹立した。高さはちょうど大きめのテントサウナくらいだった。尖頭とか屹立とかいうと、それが巨大な男根であるかのような気がしてしまう。実際は、灰色でしかし鉱物特有のツルツルした反射光を放っている、正八角錐の頂点のような、それでいてピラミッドのような広がりを持った角の物体だった。警察が来たので、その場を離れた。

 滝口さんが、日記にはただの出来事、意味を有しない出来事が書けると言っていた。日付のもつ強さ。それを、上記のような描写に日付を与えることで小説にできないか。
 しかし、それをゴロっと投げ出すだけの強さが書き手にあるだろうか。どうしても、意味をつなげてしまいそうである。

 日記形式で、マコンドやヨクナパトーファ州ジェファソンのような、架空の東京の都市を立ち上げることはできないか。
→別に、日記形式でなくていい。

 


松本アリヤ

お笑い。芸術。作家。

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