しつこかった夏もようやく過ぎ去ろうとしているので、一夏の思い出を書き残しておく。
私が中学生のときだから、もう10年も前になるだろうか。
3つ下の弟と、「蚊箱」なるものを作っていた。
東北の片田舎にある実家。
夏休みに、私たち兄弟は2人並んで勉強するのが常であった。
クーラーや扇風機がない部屋であったし、あの時代は死ぬほど暑くもなかったわけで、部屋の窓を開けて風を呼び込むことで涼んでいたのである。
窓を開けているとどうなるか。田舎に住んでいる人なら、いや、もしかしたら住んでいなくてもお分かりかもしれぬが、奴らがやってくるのである。
そう、蚊だ。本日の主人公である。
庭先の生垣から奴らは襲来し、あれよあれよと足や腕にくっつき、ご自慢の長い針で血を吸っていく。
「かっゆ!!」
私も弟もかきむしりまくっていたし、叩いた蚊は日に5匹以上。
白いノートの上に、固く動かなくなった蚊の黒い死骸がぽとぽと落ちる始末であった。
今夏、どのくらい仕留めたんだろうな。
そんなことを思った私は、ふとあることを思いついた。
今まで仕留めた蚊を集めておこう。
そう、それで例の「蚊箱」が誕生するのである。
母親がもらってきたギフトの空き箱。
ピンク色で、周りがハートで色取られたその可愛い箱の中に、私たち兄弟は、せっせと蚊の死骸を入れていった。
どちらかが仕留めれば、「蚊箱、蚊箱ー!」と浮たった心でせかし、まだ足がぴくぴく動いている蚊を、ぽとりとその中に入れた。
幸い(?)箱は外側が透明で、中の様子が見えた。
お盆の頃には、箱の3分の1が真っ黒になるくらいに蚊でいっぱいになっていた。
それを私たち兄弟は、満足そうな笑みで眺めていたのである。
あるときには、叩きどころが良くなくて半分生きている蚊もいた。それを容赦無く、蚊箱の中に入れる。中にいるおびただしい同胞の亡骸を見てどう思うのか。じっとりと観察したりもした。
まさしく狂気である。
これを自由研究にしたらどうかね、と弟に提案する私も本当におかしかったのである。
だが、蚊箱の終わりはあっけなかった。
夏の終わりとともに、私たちの蚊箱に対する執着は、驚くほど萎んでいったのである。
9月になり、あまり蚊が飛ばなくなると、蚊箱はもう私たちの一夏の行為に後ろ指を指すものでしかなくなっていた。
私は蚊箱の蓋を開け、茶色い燃やすごみの袋に中身を流し入れた。
彼らの体は軽かった。すっかり乾いていて、それはまさしく亡くなった後の殻だった。異様に虚しかったのを覚えている。その刻み込まれた虚しさが今も拭えないからこそ、こうして書き残しているのだろう。
幼少期〜青年期の人間はときに残酷だ。
なめくじに塩をかけたこともあるし、飼っていたカマキリにイナゴを与えて捕食する様を眺めたりもした。人に対してだって、平気で傷つく言葉を吐く。そして、そういった記憶は今でも自分の中に残っていて拭い去ることはできない。いくら後悔しても、そのときの自分を抱えて生きていくしかないのである。
一般的に血を吸う蚊というのは、メスである。出産を控えたメスが、子供を産むための栄養を得るために血を吸いにくる。
あのときの自分はそれを知っていたかどうかは覚えていない。知っていたとしても、25歳になろうとしている今ほど、身にしみて考えはしなかっただろう。
蚊箱の中の、それこそ何十何百の蚊の亡骸を思い出すと、あの頃の私はなんと無邪気で狂気的だったのだろうかと、唇をぎゅっと結んでしまうのである。
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