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塩野七生著「日本人へⅤ 誰が国家を殺すのか」

 本書は、塩野七生氏が、「文藝春秋」で現在も連載しているエッセイ「日本人へ」をまとめた五巻目(2017年10月号~2022年1月号の49編)の書籍である。塩野七生氏は、イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説、エッセイを多数出版している日本を代表する文筆家である。歴史を背景にした豊富な知識と知見に裏打ちされた見識、そして歴史上の人物と同時代を生きているかのような、彼女ならでは表現は、多くの愛読者を惹きつけて離さない。それでは、私が印象に残ったエッセイのいくつかを紹介したいと思う。

コロナウイルスで考えたこと:2020年2月19日記
ロックダウンはしなかったヴェネツィアの例:2021年1月21日記
 
人類の歴史は疫病の歴史と言ってもよく、発生と終息の繰り返しである。このエッセイが書かれた時期は、ちょうど新型コロナウイルスによる世界的なパンデミックと時を同じくした。このため、筆者は、歴史からみた人類と疫病の戦いを、何度か取り上げている。その歴史とは、今から六百年以上の昔、中世ヴェネツィア共和国の疫病対策である。

 ヨーロッパの人口の四分の一は死んだといわれるペスト。日本史で言えば足利時代。ヴェネツィアは、世界で最初の恒常的な国家による疫病対策に着手した。
 疫病発生地から来た船や、一か月もの長い船旅の間に原因不明の病因で病人が出た船は、ヴェネツィアについても都心部への着岸は許されない。湾内に数多くある島の一つに強制的に下船させられる。しかし、この島は、広さはあり緑にも恵まれているので、居心地は悪くなかっただろう。だがここで「四十日間」を過ごすのだ。隔離中も、ヴェネツィアの病院からの検診はつづく。隔離される前に病状があらわれた人は、別の島に移されて病因の解明が行われる。その結果、疫病患者と判明した人はその島で治療され、他の病気の人はそれぞれの専門の病院に送られて治療がほどこされる。
 今ならば水ぎわでの対策と言うのだろうが、人や物資の出入りを全面的に閉鎖することは許されないヴェネツィアのそれは、現代と比べてもなお、この面での先進国に恥じない完璧さだった。
 人道上の精神が高かった、からではない。都市国家として生まれヴェネツィアは、天然資源に恵まれていないので、人間の一人一人を「資源」と考えていた。流行病対策も、国の安全保障の一つ、と考えていたことを示している。結果はどうだったのか。
 「地中海の女王」と言われるようになった十三世紀から数えただけでも五百年に及ぶ、長期にわたる繁栄である。経済力の維持、建築・絵画・音楽・演劇と、多方面にわたる文化のリーダーでありつづける。これもすべて、同時代のイタリアの都市国家の中では唯一、人材が流出するより流入していた、ヴェネツィアだからできたことである。(中略)
 文明国であることの条件は、軍事力や経済力だけではない。人命と衛生に対するセンシティビティ、にもあるのです。 

塩野七生著「日本人へⅤ 誰が国家を殺すのか」より

ヴェネツィア共和国はこのやっかいな侵入者を、相当な程度に抑えることには成功した。しかし、疫病は、毎年毎年襲ってくるわけではない。それでいて、相当な程度に被害を抑えるためだけでも、追撃体制は常に機能させておく必要がある。それには、少なくない費用がかかる。国民全体にとっての安全保障、とでも考えないかぎり、長年にわたって出しつづけることはできなかったろう。提案したのは政府だが、国民の側も、このことの重要性への認識を共有していたのではないかと思う。なにしろ四百年もの間、こんな支出は無駄だからやめよう、という声は一度も出なかったのだから。

塩野七生著「日本人へⅤ 誰が国家を殺すのか」より

 約500年前のヴェネツィアで、今回の新型コロナの水際対策と、本質的に同様な対策が行われ、その備えが、400年間にわたって、国家の安全保障として、継続されていたこと。そして、そのことが、ヴェネツィアの繁栄に寄与した歴史は、驚きに値する。ビスマルクの「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言う言葉がある。コロナ禍が過ぎ去りつつある今、日本の安全保障の中で、疾病対策の継続性は、どうなっていくのか、国民の一人として注意深く見ていく必要があると感じた。
 「検疫」は、英語で「Quarantine」。中世ヴェネツィアの言葉で「四十日間」を意味する「Quarantena」に由来する。ヴェネツィアの水際対策の隔離期間「四十日間」である。


老いて読む、「君たちはどう生きるか」:2020年8月21日記

 筆者は、以前、このコラムで、次にローマから帰国したときは、子供たちを相手に、寺子屋をやってみたいと書いていた。その後、寺子屋の教科書にと、一人の読者から、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の活字版と漫画版を受け取る。筆者が、その本を読んだ感想が興味深かった。まず活字版の感想。

 全体の構成が実に良くできている。文学でも芸術でも音楽でも、構成が良くできているという一時はすこぶる重要で、長年にわたって多くの人々から愛された作品のほとんどは、構成が良くできているのだ。個々の文書や色彩や音色の美しさよりも、重要なのは構成。作品に接する人の心の流れを、強制的にではなく、ゆるやかく自然に導くという感じでリードしていくのが、構成によって生まれる力なのだから。

塩野七生著「日本人へⅤ 誰が国家を殺すのか」より

 何かを伝える行為をしている人には、示唆に富む内容である。表現しようとしている物の幹となる部分の重要性と在り方を語っていると感じた。

 またマンガ版については、構成力のお粗末さを指摘。とくにキャッチコピーに嚙みついているのも、面白い。

 マンガ版のキャッチコピーは、(中略)
「自分の生き方を決定できるのは、自分だけだ。人間としてあるべき姿を求め続ける、コペル君と叔父さん。永遠の名作が、80年の時を経て、ついに漫画家!」これで二百万部以上も売れた作品に文句をつけるのは流れに逆らうもいいところだと思いつつも、逆らうことにしよう。
 自分の生き方を決めるのは自分だけ、ではまったくない。決めたのは自分、と思っているだけで、実際は、出会った人やその時代の空気、その空気がどうあろうともその時代に生きていた人たちの感性、等々に影響されて、自分でも気づかないうちに決めていた、にすぎない。それを一言であらわせば、「運」。才能などは、運に恵まれれば自然に育ってくるものである。
 人間としてあるべき姿を求め続ける、のほうは理想。まずもって、あるべき姿とは何かが、たいていの人にはわからない。子供だからわからないのではなくて、大人になってもわからないのが人間の現実。

塩野七生著「日本人へⅤ 誰が国家を殺すのか」より

自己成長は、行動し、その中での、新たな人との出会い、影響により加速し、その人の生き方を作っていく。「運」というものがあるなら、それを引き寄せられるよう、行動し、何かを感じられるような感性を磨いていきたいと思った。


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