つづる季節:3月11日
花は咲く あの日の寒さも糧として 気づけば遠くここまで来ていた
こんにちは。ひつじのまさこです。
12年前の3月11日、私は4月の復職に向けて準備をしていました。
家で頼まれた買い物をしに、お店へ向かって歩いていた時のこと。
それが、あの時間でした。
あれっ? 揺れている? と思って、建物側に寄りました。
近くを歩いていた人同士、「揺れてますよね」「電線めっちゃ揺れてますね」などと言いつつ、不安を紛らわそうとしていました。
関西にいて、その状態でした。
東北は福島にいる友人のことが、心配でした。
今電話してもつながらないだろう。メールなら後でも読んでもらえるだろう。
そう思って、メールをしました。
けれど同時に、迷惑じゃないだろうか、とも思いました。
きっと安否確認の連絡があちこちから来ているはず。
そして、阪神大震災の時と同じように、きっと余震も続くはず。
そんな中で返事をよこせと言わんばかりに思われないだろうか、と。
数日後届いた返事に、「メールありがとう」とありました。
ありがとう、は、こっちのことばなのに。
涙が流れました。
みんな無事です、という知らせと、「ありがとう」ということばに。
12年。干支は一回りしました。
その間に、仙台や塩竈を訪れる機会がありました。
大好きなゆるキャラのひとり、むすび丸にたくさん会えました。
同時に、「津波はここまで来た」という印や、建設工事の現場もたくさん見ました。
それ以降、なかなか足を運ぶ機会がないのですが、
気にかけていますよ、ということをここで伝えたいと思っています。
阪神大震災の時に、関西のことを気にかけていただいたように。
いつ何が起こるかわからない。
だからこそ、こんな日は考えていたい。
もし今、それが起こったとしたら。
あなたはあの日あの時、何をしていましたか?
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