「街と本、街と本屋の二項対立」 野田きりん
第二章 街と本屋
街と本が二項対立であるように、街と本屋も二項対立であるのです。ファストな利便性を提供する場所と、スロウな世界を提供する場所と。再び私は、街がどうだとか、本屋がこうだとか、やがて本屋が街を席巻するだろうとか、そういうことを云々している場合ではなく、ここでもやはり私は傍観者でいるということしか出来ないのでしょう。
本屋では、本屋好きにしか分からない超常現象が起こります。それは、あたかも本が棚の中からささやきかけてくるようなのです。声に従ってその本を取ってみる。そうして最初の数ページを読んでみると、これは出会うべくして出会った本だったのだということが分かる。そういう「本に呼ばれる」ということが起こるのです。
たぶん、人は本屋に入ると、新しい感覚ーつまり、新しい世界を受け入れる心持ちということですがーが研ぎ澄まされるのです。その感覚自体のわくわくを楽しみ、それがもたらしてくれる新しい世界を楽しむこと、それが本屋の楽しみなのではないでしょうか。
しかし、この頃の街を見ると、そういう意味での本屋は減ってきているのではないかな、という印象を持ちます。本屋も出版資本の経営下にある以上、商品価値の高い本を売っています。それはテレビのコマーシャルによく似ていて、目立ちやすい作りになっていて、すぐに役に立つ本です。そういう本を売っていく本屋は、これからもずっと残っていくのだと思います。
ですが、本当に本屋好きが楽しめるような本屋は、だんだんとなくなっていくのではないかと思うのです。
ゆく川の 流れは絶えず 無常にても 流るる水は 変わらじとこそ
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