「手から手へ」 くちなし
私の街に本屋さんがあったのは、ずいぶん前のことになる。入口からさしこむ太陽光が照明の代わりをつとめていたくらい小さなお店だった。奥に進むほどうす暗くなり、店主の居住スペースと店舗の境に『名探偵コナン』の暖簾がかかっていたのをなぜか覚えている。
置いてあるのは雑誌とマンガ、絵本、図鑑と参考書が少し。その街に住んでいる主婦と子どもを主要なターゲットに絞った品ぞろえだったから、人によっては退屈なお店だったかもしれないが、私は親しみ深くて好きだった。本屋さんといえば、一番にこのお店のことが思い浮かぶ。
少女漫画誌の『ちゃお』をよく買ってもらった。指折り数えて発売日を待ち、月初になるとのんきな母を急かして本屋さんにかけ込んだ。
おじさんは紐でくくったマンガ雑誌とお金を受けとると、白い平袋に包んで私に『ちゃお』を渡してくれた。その手は乾燥していて少しだけ茶色い。受けとる私の手もミカンの食べすぎで、黄色く染まっていた。重なる二つの手は、秋を迎えて色づきはじめた柿とイチョウの葉に似ている。
読書の秋ならぬ本屋さんの秋。紅葉は数週間で見ごろを終えてしまうけれど、本は季節を何度も越えて読める。手から手へと渡っていける。
おじさんと私のような店主とお客の手だけではなく、作家、編集者、デザイナーや校閲、印刷所、取次、配送業者など想像以上にたくさんの人の手が加わっていると知れば知るほど愛おしさでいっぱいになった。
最近は電子書籍やネット通販などで楽に本が買えるけれど、私は人に手渡される本と、その場を与えてくれる本屋さんが好きだ。その好きが高じて、今、街の本屋さんで働いている。
辛くてしんどいこともあるけれど、手から手へと本が渡っていく瞬間に立ち会えるのは幸せだ。
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