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屋敷林

武蔵野というところにその昔お百姓さんはたくさんいたであろう。
トトロがいた頃かかチョンマゲをしていた頃か、地主なのか小作なのか詳しいことは今となっては見えてこないが、農家の主に北側には林や背の高い生垣があった。

林は竹であったりケヤキであったり樫の木であったり様々であろうが、その役割は毎年やってくる冬の北風を防ぐことは一つのことであろう。

竹が生えていればタケノコとして食べることができ、細工すれば農作業の道具になる。
広葉樹の落ち葉を集めれば畑の肥やしになり。
枯れ枝や間引き材はは薪になる。
100年単位で立派に太くなった欅は時が来て切り倒し、数代ごとに立て替える邸の大黒柱になったり、氏神様に奉納したりとか。

とにかくその昔、邸の周りの林は至る所にあって人の暮らしと共にあったのだ。

そんなことは昔のこととして皆知っているはずであり、さらに
今はもうないことも知っている。

都市住宅の開発事情で分譲化された武蔵野であるが、その頃の影は今でも残っている。
そう、小さい頃見ていた絵本『機関車やえもん』のように。

その限られた姿は日本の景色として、できる限り残していきたいものと思って、私は植木屋として努めているのだ。


暮れも大詰めの今日12月28日、庭木のお手入れをしていた。

道ゆく年老いた男性が話しかけてきた。
「その木は切らないのかい」
「その木ってこれですか?じゃまなんですか。根本からってことですか。」

それは屋敷林の名残の幹がふたかかえもある、電柱よりも背の高い大きなケヤキの木だ。

「うん。葉っぱが散るだろう。」
「じゃあ、、、切っちゃいますか。」
「うん、気をつけてね。」
そう言ってその年老いた男性は立ち去っていった。
見たことのない人だ。土地の人ではないであろう、歳いってからどこからか越してきたと思われ、思いつきなのか親切心なのか知らないが、今までの人生経験上でそんな言葉が出てきたのであろう。

もちろん私は切らない。

しかし、わからないではない。
令和の時代、落ち葉はただのゴミでしたかない。

だけどさあ。

そんなものかねえ。と思ってしまう。
しかも、『おい、ジジイ!年寄りがそんなこと言うな。』

テレビドラマじゃあないけれど
それは人間の傲慢ですよ。







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