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春も哀れかな

今 まさに萌葱の時

武蔵野に浮かぶ森の梢は、まさに まさに、その時である


二月の始め、立春を過ぎると、森は すこーしずつ、水をあげてくる

その梢は、少しずつ 少しずつ、日に日に、赤みをおびて太くなって行く

そして 今 全力で若葉を吹き始める

どんなに寒が戻ろうが、誰もこれを止めることは出来ない

喜ぼうが 惜しもうが 春を止めることは出来ない


これはこれで、なんと せつなく 哀れなことであろうか

それは秋の散りゆく木の葉だけではない




二十年ほど前のこと

旅先で一人の同世代アメリカ人と出会った

名前も顔も忘れてしまったが、なんともせつない目をしていたことは覚えている

その彼は私に「哀れとは何か」と言うようなことを英語で尋ねてきた

「哀れって言ったら、みっともないことじゃねえか」と私は日本語で応えた

すると 何やら写真を見せながら

「日本のこう言うような情緒が好きなんだ」

と言うようなことを また英語で語ってきた

その写真の事も、今 覚えていないが、散りゆく様な無常の景色が映し出されていたような気がする


そして そこにいた数名でそのことについて語り合った
私は旅の途中で見た光景を話しはじめた
それはそれは何とも一言では言えない「ある夏の日」の無常の出来事である

彼はそのとりとめもない刹那を感じ涙を流している




あれから 二十年が過ぎた



そして この今 

この美しい春に この とりとめもない春に

わたしは 哀れびを感じている











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