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気が向くとは思い出すことの先にあってだね

お久しぶりの登場が単に気が向いただけだとしたら、随分と気が向かない期間があったということになる訳で、気が向かない理由が大なり小なり明瞭なり不明瞭なりなくてはならない構成要素となってしまうことに他ならないわけです。つまり、気分が乗るとかやる気になるとか、唆されるとか励まされるとか、今までの気分を覆すナニかを認めることで先に進んだ自分をいかに格好良く魅せ、あたかもまるでこれが懸命な天命かのような雷に撃たれたような衝撃によって轟く衝撃がそうさせたかのような素晴らしい言い訳があるかのように演出しないといけないことになります。長々と何を述べているのかわかりませんね、要は単に忘れていただけだという事実の前には己の気分は太刀打ちできないということであります。接続詞は正しく使いましょう。

言葉を操るときには己の特性が色濃く、というか能く強く現れます。好きな子と話せた日の夜に心は数時間前から戻らず現実に言葉は姿を消し、デート前には軽薄なプラスチックナイフを磨くような言葉が溢れ、未来を掴もうとする者には多弁として顕れ、過去を上塗りしせんと試みればそれほどに足元を囲う。であれば他者に投げかける言葉が己の気分に依って、というか酔ってしまった結果ばかりが相手の理解に影響を与えるに過ぎないということが、似過ぎない結果としてコミュニケーションのキャッチボールを始めてしまい、原因から分け前を貰うように、相手から受け取るボールに己の感情が揺さぶられていることに気付いたときにはもう戻らない言葉を反芻してしまう結果として後悔や栄光という勲章を心に宿すことの一助となるわけですね。ええと何を言ってるか解りましたかね。比喩と隠喩と暗喩と直喩が、自身の自信による語感と煙に巻きたい気恥ずかしさを誤魔化しきれない様子によるものだという意識くらいは、肌身に染みているというか意識的な自覚というか、自己愛の芽として言葉を昇華させる手段に過ぎないのだと自覚することと相反しないことは、多少喋っても誤解はされないんじゃないかと思う存分に納得しているところです。

要するにとかつまりとか、便利な接続詞は時に疑問符として相手から続けて言葉を引き出す有能なアイテムになると共に、自己の意志を包み隠す非常に優秀なオブラートとして非情な手段となりうることもあります。為人が型抜かれるように周りから削られるというより固められる様な、端的で鋭い敵対心を孕む短い言葉なのかもしれない。それを何と表現し受け取るよりも、簡単に定義されて然るべきで、もし既に釣り合いが取れているのなら簡単に済むのになと言いたいわけです。言葉は酔わされ酔いは身体へと回ることが日常なら、確かめる術がなくては一方通行にしか機能せず、材料が不足すれば請求し、道に迷えば現在地を確かめなければならない。言い換えるのなら、言葉の意図か原因はたまた裏側か、確かめる術がそこにはあるということだ。端的にその変幻自在なシチュエーションを確実なワンシーンに落とし込める的確な立場を明確にするナイフが、疑問符付きの、つまり、と返答することに他ならないという色を帯びる。見せられたナイフの光が美しかろうが鈍かろうが、脅しと取るか降参と取るかは、言葉を投げた者に戻され、善悪良否を駆け巡りながら無理矢理にもクールダウンを差し込むには、余りにもパフォーマンスが高い文字の繋ぎに過ぎない。

ここでは理解力とやらは決して役には立つはずがないこともあると明示しておきたいのは僕の感情というか言い訳であるとしか言いようがない遠吠えであるわけです。受付嬢が受付を始めるのは、案内される意識を許し受け入れると決めたその期間内に他ならず、理解させるつもりがある言葉面は理解させるつもりがあるモノにしか宿らないという至極単純で真っ当なエゴイスティックな真実が残されてしまうわけです。逆説的に言えば、煙に巻かれながらも真意を理解したときこそ一流の理解者と成りうるわけなわけであったとさ。真意とは自覚とも無自覚とも、意識とも無意識とも相慣れ続けていることが認識に起こったときに初めて、人から影響を受けることができることに繋がる。雷に撃たれる。天命を授かる。人生が変わる。ここには何の例外もない。

だからつまり、気が向くなんてまるで何者かに影響を受けた様な、感動的なエピソードへの期待が向けられそうなシチュエーションは、誰かに酔わされたことを思い出し自認したときに初めて、起こり得る自分勝手な物言いに他ならないわけです。時系列なんてガン無視していいなんて、あえて書く必要もないくらいに自認は影響元を探れないなんて、ホントの事を言うと怒られそうな話です。要するに、Noteを書くべきだということをただ思い出したに過ぎないというセリフは、書くことを何に影響されたのか謎に包んだままにしたいと言う事なのです。

☆☆☆以下的確なChat GPT4oの要約☆☆☆

久しぶりに登場した理由が「気が向いただけ」なら、その期間に気が向かなかった理由があるはずだ。気分が乗らない理由を説明するためには、やる気が出た理由を格好良く見せる必要がある。しかし、単に忘れていただけという事実には太刀打ちできない。

言葉は自分の感情や気分に大きく影響される。好きな人と話した後やデートの前など、状況によって言葉の使い方が変わる。他者とのコミュニケーションも、投げかける言葉によって自分の感情が揺さぶられる。接続詞は便利だが、時に自己の意志を隠す手段にもなる。言葉が一方通行にならないようにするためには、確認が必要だ。言葉の意図や原因を確認することで、コミュニケーションが円滑になる。

理解力は必ずしも役に立つとは限らない。理解させるつもりがある言葉だけが相手に伝わる。真意を理解することができれば、一流の理解者になれる。

要するに、気が向くというのは何者かに影響を受けた結果であり、Noteを書くべきだと思い出したのも何かの影響を受けた結果だということだ。

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