(無料記事)『共産党と強いつながりがある某人々への言及の仕方』2022-12-05
「共産党と強いつながりがある」を枕詞にすると出て来る、温泉むすめ放火者についての話題がおさまりません。まあ、べつに名前を伏せてもあまり意味はないので言ってしまいましょう。一般社団法人Colabo代表の仁藤夢乃氏です。
以前より暇空茜氏らが、東京都への情報公開請求やColaboのHPの情報などを突合して、Colaboの実態には会計上、またそれ以外もかなりの問題があるのではないか?と問題提起をして以来、この問題についての火は燃え広がる一方です。
特に11月29日にColabo側が暇空氏の動きを「誹謗中傷」として訴訟するという提訴宣言記者会見を行ってからは圧倒的に話題が加速しています。
その中には、太田啓子・神原元・堀新といった親フェミ・左派的な発言を繰り返していることで知られる「香ばしい」弁護士が幾人も含まれており、見るからに強烈な党派性を放ってしまっていました。
Colabo問題に沈黙を薦める人たち
さて、ネットでは全般的に祭りムードですが、逆に危惧の声も出てきており、暇空氏らが情報公開請求などで得た情報の拡散に手を貸したり、Colabo批判をするのを制止する声も出て来ています。
もちろん、そのほとんどはColaboに党派的に味方したいだけの人によるものでしょう。
しかしそれだけでなく、普段「ジェンダークレーム」や「キャンセルカルチャー」に批判的な人の中にも、こうした情報拡散や批判の拡大を制止している人がいます。法的リスクを考えてです。
なぜなら件の弁護団が、暇空氏の「誹謗中傷」に関するRTもいいねも訴える!と威嚇しているからです。会見の中で、いいねやRTを含め、被告は順次追加していくという旨の宣言も述べられています。
これらを受け、拡散に最も慎重な態度としては手嶋海嶺氏のこちらのnoteが挙げられるでしょう。
人によっては原理主義者と呼ばれるほどの表現の自由支持者である手嶋氏がここまで言うのは、 Colabo弁護団が、会見で述べた威嚇を実行しかねない連中だ、という現実認識のなせるわざでしょう。
また筆者のある知人はこの騒動を見て「暇空は絶対勝てない」と言っていました。
なぜなのか聞いたところ「Colaboが都の補助金や委託事業との関係で不正をしていたら、都と都知事の責任問題になる。裁判所も都のやってることを否定できないから、Colaboの不正会計なんて事実認定できるわけない」ということでした。監査請求についても「問題なかった」という結果になるに決まってる、と。
つまりColaboの不正を認めると都の不正をも認めることになるので、暇空氏に対する訴訟でも裁判官がその認定を避け、「不正なんかない」という事実に則った判断がされる。その結果、Colabo批判は事実に反する誹謗中傷ということになるだけだという意味でしょう。
実際のところは、都の住民監査請求で「理由あり」という結論になったことも、裁判で都の違法行為が認定されることも、普通に、とは言いませんが現実にあります。直近でいえば時短命令裁判がそうですね。
しかしながら裁判所に行政の行為を擁護する強い傾向がある、これもまた事実と考えられています。行政の不正を認定すると裁判官自身の出世に響くという話も普通に語られています。
極論、憲法学でいうところの統治行為論はそれを表立ってというか開き直って認めた話である、と言えるかもしれません。
何が言いたいのかというと
都が保身のため全力で火消しをする
→その結果、Colabo及び代表の仁藤夢乃氏は公的に「無実の人」になる
→意気揚々と例の「弁護団」が疑惑拡散者狩りとして訴え始める
→裁判所も都に忖度して次々と「有罪」認定する
というルートの可能性がある、ということになります。
以上のリスクというかバイアスがあるからこそ、Colaboの疑惑情報を拡散するなという人達は警告しているわけです。
名誉毀損の概略
まずは名誉毀損の概略を示しましょう。
これは条文そのまんまですが、この前半部分「公然と」「事実を摘示し」「人の名誉を毀損」が、名誉毀損が成立する3要件と呼ばれているものです。
ちなみに「事実を摘示し」とあるのに、「事実の有無にかかわらず」とあるのでこんがらがるかもしれませんが、最初の「事実」は「具体的な事象」という程度の意味です。そして次の「事実の有無」とは「真実かどうか」ということです。
つまり
「なにか【具体的な事象】を公然と言ったり書いたりして、人の名誉を害したら、それが【真実かどうかは関係なく】名誉毀損になる」
と書いてあるわけです。
また、民事裁判の損害賠償として名誉毀損が争われる場合にも、同じ基準が当てはまることになっていると考えて下さい。以下の議論も同じです。
さて、一般的に言って、特定の団体やその代表者が不正行為を行っている、というような話をネットで公然とすることは、まんまこの3要件を満たしてしまいます。
だからといって、それだけで犯罪として取り締まっていたら、今まさにColaboや仁藤氏を全力擁護している人たちの大好きな政権批判報道なんて日本から絶滅することになります。
そういうわけで名誉棄損罪にはこのような緩和規定があります。
これを整理したものが、刑法の教科書などに必ず載っている「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損」しても大丈夫になる3要件です。
すなわち
・「公共の利害や、公務員に関する事実に係る」(公共性)、
・「目的が専ら公益を図ることにある」(公益性)
・「真実であることの証明(あるいは、真実だと誤信しても仕方がないほどの理由)があったとき」(真実性)
には罰しない、とされています。
今回のColabo問題に当てはめてみると
公共性について
みなさんが一番知りたいことを最初に言いましょう。
Colaboについて現在騒がれている問題は、主として、補助金の受給や都の委託事業に関するものですから、思いっきり公務員の公務に関する事実です(公共性ヨシ!)
では、補助金事業・委託事業以外のColaboの活動を批判するのはどうでしょうか。実はそれも「公共性ヨシ!」の可能性が高いです。
Colaboは社会運動をしている団体ですから、そもそも公共の利害に関することをしていると言えます。この「社会運動についての議論だから公共の利害に関する話」という理論は、我々にちょっと馴染みのある裁判例でも踏襲されている考え方です。
それはどの事件かというか、石川優実クソリプ本裁判です。なぜなら、元ツイートが#KuTooという社会運動への批判の文脈を持つという理由で名誉毀損を否定したからです。
そもそも「個人的なことも政治的なことだ」というのがフェミニズムのスローガン(だから何にでも言い掛かりをつけてくる)ですが、それをさておいても一般的に「社会運動」に対する論評が公共的な話題だというのは常識的にも是認されるところです。
補助金・都の委託がない部分であっても、Colaboの活動に論評を加える行為には公共性があると考えます。
あ、さすがに仁藤氏の容姿を侮辱するとか、そんな完全な私事にまで侮辱を加えたとかはカバーできないと思われます。
公益性について
「公共性」が認められる場合、基本的には特段の事情でもない限り「公益性」も認められると言われています。
実際に石川優実も「クソリプ本」の中で、原告に対し「対面でこんなへんてこりんな人に会ったことない」などの相当侮辱的な言辞を弄しているのですが、これも許容範囲とされました。
ちょっとやそっと皮肉や揶揄が入ろうと、それぐらいで「社会運動についての議論の中だけど、公益性ナシだ!」と認めるのは困難というわけです。
Colabo叩き叩きの人達は「Colabo叩きはミソジニーだ!あいつらに税金の使途がどうとか高尚な興味なんてあるわけないんだあああああああああ!!」とよく言いますが、少なくとも私は無理があると考えます。
ましてや市民オンブズマンでないから住民監査請求はハラスメント、などという神原元弁護士の放言に至っては、ネット上でお笑い種にされて当然と言えましょう。
真実性について
以上の検討によって、公共性と公益性については、まず社会問題としてのColabo問題に言及する際にはまあ大丈夫だろう、というのが私の結論です。
はい、我々がColabo批判に加わる、あるいは拡散に加担する場合、最も注意すべき部分がこの「真実性」です。
我々がColaboについて得ている情報というのは主に
・情報公開請求で得られた文書の写真
・Colaboのウェブサイトなどのネット公開情報
・Colabo関係者や弁護団員たちの過去発言
といったものです。突きつめれば大抵の情報は、都かColabo側からのどっちかから出て来ているわけです。
それらの情報を漁り、怪しい点があることを突き止めて紹介してくれているのが暇空茜氏やエコーニュースをはじめとする、現在Colaboについて調べている人々です。
一般ネットユーザーが彼らの出して来る「暴露情報」に言及・拡散するにあたり、比較的安全なのは
・直接的な写真、スクショなどの証拠を出している。
・そこからあまり推測を重ねていない。
ものでしょう。
たとえば二つの資料で示されている同じになるはずの金額を比較し、端的に「こちらの数字と全然違いますねえ」などというのは、提示者が画像を加工でもしていない限り一見して真実性があるわけです(その「数字の違い」が誰のどんな不正や間違いを意味するのかはまた別ですが)。
ここで暇空茜氏の「信者」の方に注意しておきます。
「暇空さんの言ってることはこの画像からだけじゃ断言できないけど、きっと他にネタを持ってのことだと思うよ。ぜったい大丈夫だよ」として安易に拡散するのは、推奨しません。
確かに暇空氏は、自分で「隠し玉」の存在を何度も強調しています。
つまりいざその真実性を問われても、証拠はまだ公開していないだけで最も効果を発揮する機会に出すだけだ。と自信を露わにしています。
実際に幾つかの件では、Colabo側が反論するやいなや、伏せていた反証を挙げて相手方に恥をかかせるということしており、ファンの人気と信用を博してもいるようです。
しかし、一般の人がそれを当てにして「暇空氏が出してる限りの情報では不正とは言い切れないけど、でも今度もまだ証拠を出してないだけで本当なんだろう」という信者ムーブで、証明されていないColaboの不正を断言することは推奨できません。
暇空氏の「隠し玉」は、あくまで暇空氏の戦略上、都合のいいタイミングで暴露するために準備されているものです。
あなたが訴えられたとき、
「仁藤弁護団に訴えられたんだよ!ねえ、あんたが握ってる証拠っての教えてよ! あるんでしょ!?」
と暇空氏に頼んだからといって、出してくれるとは限らないのです。たとえ暇空氏にハッタリが皆無で、なおかつ暇空氏の考え通り有効なものだったとしても、です。あなたの都合はあなたの都合です。暇空氏には彼の都合があります。
それに、もしも暇空氏があなたの窮状に同情して、自分の戦略を曲げて情報を公開してくれた場合、それは暇空氏への迷惑にもなるでしょう。
調子のいい想像をするなら、あなたが訴えられたことが知れ渡ればその論点についての世間の注目が集まり、それが理由で暇空氏が「おっ、今が公開の好機!」と思ってくれるかもしれません。
また、Colabo側に勝ち点を与えたくないがために、暇空氏があなたの尻拭いをしてくれる可能性もあるでしょう。
しかしそうなる保証はありません。
またそもそも、暇空氏や他の情報提供者自身が誤っている場合もあることは当然です。
その場で根拠を確認できない情報、確実性の低い推測にコミットする場合は、ちょっとこの指とめて拡散を再考するか、自分で調べてその不確実性を埋めるかしてください。これはColabo問題だけでなくどんな問題にコメントする時でも基本的な態度です。
そして不確実さを埋める根拠が見つかったら、その根拠を添付して拡散すればよいのです。もし見つからなかったら、できればその事実を注意喚起してあげてください。そうすることでこの話は不確実な部分であると周知して味方のやりすぎを防ぐことができ、また他に証拠を持っている人がいるなら教えてくれるかもしれません。
おまけ
ちなみにちょっと悪だくみをして「語尾を否定や推量にしておけば何を言ってもオッケーじゃね!?だってオレ断言してねーし!」と考えている人がいるかもしれません。
それは考えが甘いです。
たとえば、今からあなたのお隣さんの玄関口に行って
「○○さ~ん!あなたが殺人犯だなんてボクは信じませんよー!!信じませんからねー!○○さんが人を殺したなんてーーーー!!!殺人犯だなんてーーー!!!」
と、怒鳴りまくったらどうでしょう。
近所の人は「えっ、このひと殺人の疑いがあるの!?」となって、○○さんは名誉を毀損されます。このように否定文を装って人の名誉を毀損することは可能ですし、そうしたケースを除外するなんてどこにも書かれていません。
ほら、刑法には「事実(具体的な事象)を摘示」とあるだけです。それを肯定文で伝えればなんて言ってないでしょう。
「○○さんは殺人犯だ」というのも「○○さんは殺人犯ではない」というのも「事実を適示」には違いなく、そして真実かどうかは関係ありません。
「殺人犯ではないという事実の摘示」によって「名誉を毀損」することは、それが本当のことだったとしても法的リスクになるのです。
したがって明らかにおかしな言い掛かりを、否定文や疑問形で発すればOKという悪だくみはしない方が無難です。
無罪になる≠リスクがない
さてここまで、Colabo問題に触れるうえで名誉毀損にならないためのポイントを述べてきました。
結論(つまり今後の私の方針)としては「仁藤氏の容姿とか完全なプライバシーを攻撃するならともかく、Colaboの問題を扱う分には基本的に公共性と公益性はOK。あとは真実性の確認には注意を払いましょう」です。
ただしこれは、あくまで「最終的に無罪になり、賠償金を取られずに済む」確率が高くなるためのポイントに過ぎません。
開示請求や法的措置を取られた場合に実務上発生する負担をゼロにできるものではないわけです。あるいは法的でない方法による個人特定などの迷惑行為を喰らうおそれもあるでしょう。
そして彼らは最初にも述べたように、そうした攻撃をいつしてもおかしくないのが「彼ら」キャンセルカルチャー側の人間なのです。
もちろん、訴訟会見によって一気に情報が広まり、多くの人間が言及するようになりました。
今のところよほど悪目立ちするか、鉄板で法的措置が取れるようなバカ失言(それこそ、言われたColabo側がラッキーと思って勇んで法的措置を取るレベルの)をしない限り、一般市民としてこの問題に普通に言及したくらいでは、自分がババを引く可能性は低いと言えましょう。
しかしそれはあくまで確率の話です。
ゼロではありません。
ですが、それは元々あらゆる問題につきまとうリスクに過ぎません。
交通事故や路上犯罪に「絶対に」遭いたくないのなら家に引きこもってろと同じで、発言による法的リスクも本当にゼロにしたいなら、SNSなんざやめろって話です。
これからも自分の発言に気を付けつつ、言論の自由を謳歌していきましょうね。
……最後に、「批判されたColaboの活動が滞って、少女が救われなくなったらどうするんだ!責任が取れるのか!!」というバカ過ぎる批判について、ツイートした私の見解を載せておきます。
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