「省庁による障害者雇用の水増し事件」にモノ申す
2018年8月に、驚きの事件が起きました。「中央省庁による障害者水増し問題」です。本来、企業や行政における50人以上の組織は、障害者を雇用する人数が法律で決められています。当然中央省庁にもそれが当てはまります。その省庁は、数字上であたかも雇用しているかのように水増し(という名の改ざん)をしていたのです。私は某TV番組に呼ばれ、コメントを求められました。しかしメディアでは当たり障りのないコメントしか紹介されませんでした。私がこの事件で感じたことを伝える場がほしい。提言を伝えなければいけないと思い、こちらにモノ申すことにしました。
僕が何を思い、何を考えたのか。こんなことをお伝えしながら、なぜこのような事件が起きたのかを皆さんと考えてみたいと思います。
「間違った」「見誤った」ではなく「うそをついた」
彼らが行ったことは「間違い」「見誤り」ではありません。「うそ」をついたのです。故意に改ざんをしたのです。僕はそう思っています。障害者手帳のガイドラインが間違っていたとか、指針がなかったから、とお茶を濁しています。しかし基準は単純で、障害者手帳を持っているか持っていないか、です。それだけの簡単な基準を間違えるはずがありません。実際は、「健康診断で緑内障や糖尿病だった人」「会社を休職している人」「過去に死亡した人」が障害者として雇用カウントされていたのです。この方々は、当然障害者手帳は持っていません。取ることもできません。この方々、本人は障害者としてカウントされていることは知るよしもありません。「間違い」「見誤り」でもなんでもなく、故意に「うそをついた」ということです。
真面目に取り組んでいる企業はどうとらえたか
企業は今回の事件をどう感じるでしょうか。「人には厳しく指導しておいて、自分たちは何もしていないではないか!」「企業にだけ罰則があって、行政にないのはおかしい!」など、ほとんどの企業が怒っていました。「こんな方法は誰も思いつかない。」と、怒りを通り越してあきれている企業もありました。一方で、官公庁が一斉に大量採用を始めたとしたら、「企業の採用ができなくなってしまう」ことを危惧する声も多く見受けられました。
企業は、障害者雇用を20年、短くても10年以上取り組んでいます。かつて15年前は「義務」で嫌々と取り組んでいる企業が大半でした。しかし今では「戦力」として障害者を採用しようという企業が増えています。どうしたら現場の理解が広がるか、どうしたらいいマッチングになるのか。どうしたら採用がうまくいくのか、どうしたら定着するのだろう。日々、試行錯誤しているのです。企業の人事をはじめ、各職場では、労力をかけ日々失敗と成功を繰り返しながら、ノウハウを積み重ねていっています。こういった歴史が怒りになっているでしょう。
「うそをついた」よりも「差別している」ことが問題だ
僕は今回の事件は、単なる水増し事件ととらえていません。誰かが悪いから正した、と簡単には終わりません。僕は「うそをついた」のではなく「差別をした」と思っています。「障害のある人たちを排除した行為」なのだと思っています。「障害のある人はお荷物だ。」「仕事はできない。」「面倒見るのは大変だ。」こういう差別が根底にあるから、この事件は起きたのです。ここが一番の問題だと思います。このような差別は、彼らの多くの機会を失くしているのです。今回の事件のように。
できないのではなく、できるのだ。お荷物ではなく、戦力だ。
間違いなくいえることは、障がい者は「お荷物」ではなく「戦力」です。「何もできない」のではなく「何でもできる」のです。障害があるのだから、どこか一つ二つできないことがありますが、ただそれだけのことなのです。
国民に与えた影響は、計り知れない
僕がもっとも心配しているのは、国全体に与えた影響です。この影響は、とても大きい。日本中に広く行き渡りました。そして重い重い空気を与えました。解決までの時間は長くかかる。そう感じます。
障害当事者とその家族を合わせると、日本の人口の15%になるでしょう。障害当事者の友達を加えれば、人口の35%は越えるでしょう。国全体に何らか身近な人が関わっていることなのです。広いのです。そして、人権侵害の重み、人を排除することの根深さがあります。人を人と思わない行為を国の方向性を決める人たちがやったのです。重さの問題は大きいです。国民への心のダメージは重いと察します。長さについて。彼らの差別的価値観はすぐに変わるものではありません。さらに、障害者の負のイメージを国民全体に与えた訳ですから、払拭するのにも長い時間がかかるでしょう。今回の件で、国民全体に与えた影響は計り知れません。責任があまりに大きい。
これから何をすべきか
とにかくこの負の状態を変えていかなければなりません。障害者雇用を前に進めるには、課題が三つあると考えています。
一つ目は、現場の人全員が、障害のある人のことを知ること。これはもっとも重要なことです。障害はどんな種別があり、それぞれどんな状態なのかを知ることです。さらには、実際に障害者向かい合って話をすることです。まずは、知ればいい、会って話をするだけでいいのです。そうすれば、同じ人間なんだと思うことでしょう。受け入れ態勢の基本ができてきます。
二つ目は、一人ひとりと向き合い、適材適所を考えることです。障害によっては、できない仕事がありますし、働けない環境があります。たとえ同じ障害名であっても、配慮しなければいけないことが一人ひとり違うのです。したがって、当事者の適性や能力を把握することが大事であり、その上で現場の仕事内容や就業環境とをつなげなければいけません。マッチングに力を入れるのです。障害者だからといって聞いてはいけないことなどありません。差別偏見のバリアをとり、普段通りコミュニケーションすればいいのです。
三つ目は、いろんな障害の人と働くことです。例えば、視覚障害者は何も見えない人と思っている人が多いです。しかし、視覚障害の中で、視野狭窄といって視野が10%の人や30%の人がいることは知られていません。聴覚障害者は何も聞こえない人と思っている人も多いです。しかし、補聴器をつければ聞こえる人、口の動きで言葉が理解できる人がいます。たとえ同じ障害でもあっても、できることやできないことが違うのです。下肢障害、腎臓障害、うつ病、てんかん、統合失調症などなど、いろんな障害種別の人たちと働くことで気づくことが必ずあります。
省庁はこれら3つの課題を、経験値が足りない訳ですから、一早く推し進めなければいけません。一度採用したから終わりではなく、何度でも試行錯誤しなければいけないと感じます。
さいごに
今回の事件は、障害者への差別偏見が根深く残っていることが露呈しました。障害者に限ったことではなく、世の中にある差別は、「知らない」ことで生まれます。したがって、「知る」ことで無くすことができるのです。見聞きすること、会うこと、話すこと、で無くすことができる。そんなに難しいことではありません。
世の中にある差別は、一人ひとりの少しの関心があれば、変えられると信じています。今自分は、無関心でいないだろうか。傍観者ではないだろうか。国全体でこのようなことを考える機会になればと思っています。将来このような事件が起きない土壌づくりになるでしょう。