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「ダサい」とは一体、何だろうか?

新年から世界中でいろんなことが起きている。そのせいで忘れてるかもしれないですが、2025年の年末にB'zが紅白歌合戦に出演した夜、X(旧Twitter)にて「B'zダサい/ダサくない」論争が巻き起こった。

「B'z、90年代はクソダサくて、文化的素養が少しでもある人ならみんな大嫌いだった」と言うポストに対し異論や同調、その他が数多く投稿された。

B'zの話題に及ばず、この興味深い難題として「ダサい」の実像を織物のように考察して行きたい。

B'z 5th Album「IN THE LIFE」(1991)

最初にオチのようなものを書くと、価値観と言うものは歳月や消費や情報の中で、地域性や経済の色々な高低差や、歴史の前後関係の中で変化するものであって、栄枯盛衰的に昨日「是」だったものが今日は「否」となって行くものだ。なぜだかそう、言い切ってみた。

特に若者文化の中で取り交わされる「ダサい」「ダサくない」と言う価値観は、最前線で重んじらる踏み絵だ。なぜかと考えれば、“モテ”や性的活力が大きな背景としてあるからであろう。「貧乏そうに見える」もダサいの価値に入って行く系なので、往々にしてそう見えないように若者は着飾る。僕のような50代ともなると性対象とのコミュニケーションも減り、ファッションも若い頃に比べればテキトーになって行く。生きることに慣れてしまうと体型も崩れ、「性」「モテ」のパースペクティブから乖離し「ダサい」も否応なく含有して行く。しかし、なるべくならそうは思われたくない。恥のパワーというものはやはり大きい。ファストファッションの登場は一見してこうした貧富やセンスの差を是正したようにも思う。

「アウト」(ダサい)であったものが「イン」になる。この現象をメディアは大きく内包する。特に笑いのジャンルにこの現象が先鋭的に起こる。「エロい」も早いが「笑える」の流れもずいぶんと早い。昨日笑えたものが今日には笑えないものになる。欲望のそのスピードで加速的に消費と合致し流れ去る。「かっこいい」や「美しい」と言う価値観の方がまだ長く味わえるものではないだろうか。高級車の流麗なデザインは長持ちをし、静かなラヴェルのピアノ曲は永続的で遅い時間の中で響く。迅速に変化する笑いのその中に含まれるものは単に“面白さ”のみに収まらない。大きく精神史を司り、人々のアイデンティティを変える力がある。

80年代の人気お笑い番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)では、70年代の懐かしのアイドル伊丹幸雄や天地真理らをフックアップする。番組内で彼らを若いフレッシュなアイドルのように扱うことにより“トホホな笑い”へと導いていた。その後、90年代初頭『とんねるずの生でダラダラいかせて』(日本テレビ)の中でもいわゆるオワコン芸能人を再ブレイクさせる。70年代に一度アイドルとして隆盛を誇った錦野旦をサブ文化的な視点で捉え直し、“わざわざ”ビッグ・スターの「スターにしきの」として珍重する。かつての豊かな日本のテレビ文化はイケてないものをイケてるものに転換する副次的な術を開発していた。そのやり方はクエンティン・タランティーノの映画の中にも伝染して行ったように思う。彼もまた昔懐かしい往年のムービースターを“あえて”再フックする。

こう言ったイケてない筈のものをイケてるものへとフェイク的に蘇生し、価値転換を図る源流を少し探ってみよう。60年代のその先駆としてPOP ARTがある。あまりに分かりやすい例で申し訳ないが、アンディ・ウォーホルが60年代に好んで描いた“キャンベルスープの缶”は1900年の段階からあのお馴染みの紅白デザインであり、彼は凡庸な商品を新しいアート運動の中で蘇生させたのだ。当時のPOP ARTは最前線の情報芸術ゆえ、このような離れ技が可能となった。70年代末のその先駆としてはYMO人脈が総出で創ったアルバム『スネークマンショー』での笑いや、湯村輝彦率いる東京の“ヘタうまイラストレーション”の絵の中の価値観にもそう言った態度を見ることができる。“ヘタうま”の祖、湯村輝彦は「米屋の親父が描いた絵こそ素晴らしい」と発言している。

湯村輝彦による矢野顕子 album「ただいま」(1981)ジャケット・イラストレーション

ニューウェイヴ期の都会的で特権的な身のこなしは「ダサいもの」を笑っていた。冷笑的と言う言葉は近年SNSの中で悪い意味を帯びつつあるが、かつての冷笑はハイブロウさの証であり、インテリ文化の遊びの流儀だった。現行では流通していないであろう古い価値を若い視点から捉え直す。これは一種の差別的な行いの“戯画”である。その皮肉な「からかい」は現在のコンプライアンス時代の以前にあった笑いの中の必須技芸と言えよう。英国の先鋭コメディ集団、モンティパイソンは徹底的に英国北部のリーズ(日本で言う関西)の旧態的な人々の荒っぽさをからかい、とんねるずの石橋貴明は古参大物テレビプロデューサーをからかい、小島よしおは半裸で中央に立つ名司会者をからかう。

この「からかい」は存在や価値の高低差を利用して成立する。高級的な事象が無ければ、低級的な事象をからうことはできない。逆も真なり。例えば、70年代に頭角を現したハイブランド、コムデギャルソンやヨージ・ヤマモトのような洗練美が無ければ、下町の民はそれをあげつらい笑うことはできない。大阪発の俗語「オシャンティ」「シュッとしている」は、南船場(東京で言う代官山のような地域)をクールに歩くカップルや、客に緊張を強いるオシャレなショップ店員に対して、下町の民(あるいはその気分)からの柔らかな攻撃語と読むことができる。「あの兄ちゃんオシャンティーやわぁ。シュッとしてるな。西成のおっちゃんと比べてみぃ」と言う使い方である。似たものとして「シャレオツ」も、揶揄的な言葉だ。

80年代になり経済的な豊さが日本国内の暗い戦後を払拭して行く中、外来的な文化が大きく花開く。バンドで言えばdip in the poolが最新のファッション・モードを携えイギリスのROUGH TRADEからデビューを果たす。端正で簡潔で美しく、世界に通用しうる音楽を奏でるグッドルッキングなバンドである。コムデギャルソン発祥の地である同潤会アパートは原宿の竹下通りに位置しており、この時期の最新モードの大体は港区や渋谷区を中心に展開されていた。こう言った戦後の贅と美、その文化の頂点を一部とし渋谷系やその後のサブカルチャーも存在し得たと言えるだろう。もちろん、渋谷系がただ都会的でオシャレだったわけではなく、迫り来る不況への備えとして、ポップやガジェット、バッドテイストなどを含有していた。

dip in the pool

1993年。新聞の一面には「就職難」の文字が踊る。私、小田島等はこの就職氷河期世代の最初に属する年齢である。95年には阪神淡路大震災やオウム事件が起こり、『エヴァンゲリオン』(テレビ東京)が放映され好評を得る。時代の様相が急に変わり、痛ましさや翳りや背徳性のようなものがベースになる。ニューミュージック〜ニューウェイブ〜渋谷系までの優雅な文明の終わりの頃と言えるかもしれない。マニア向けに言えば「トノバン(加藤和彦)的文明」の最初の終焉だ。

アニメ文化のメジャー化から「ダサい」と言うものの変質が始まる。先の『エヴァンゲリオン』の大ヒット、オタクの街である秋葉原の隆盛、村上隆のハイコンテキストな絵画世界、つんく♂の仕掛ける少女アイドルたちの新しい様式、などが目立った動きであろう。タフな時代のタフな美が登場する。これらの動きに「小山田圭吾 vs 宅八郎」なる構図もすっぽり重なる。また、インターネット掲示板サイト2ちゃんねるの文字列上の戦いにおいても“小山田叩き”が存在した。フリッパーズ・ギターを高校時代に聴き、その品質に驚き心酔した私自身としてもこの交代劇のようなシーズンは過酷で、心を病んでしまいそうになった。オタク文化のメジャー化はかつて日陰にあった一つのジャンルがオーバーグラウンドへと移ったとも言えるが、1982年の段階で晴海で開催されたコミックマーケットの入場者数は一万人を超えている。そして、フリッパーズ・ギターがデビューし、ピチカートファイヴが『女王陛下のピチカートファイブ』をリリースする89年には、コミケの入場者は10万人を超えていたのだそうだ。サブカル、オルタナティブと呼ばれるジャンルの民はこう言ったコミケの隆盛などを全く知らずに朝までクラブで踊り明かしていたということになるのだろう。アニメ文化の台頭と不況の到来が状況を徐々に変化させる。本来、日影的存在のものが「イケてる」ものになっていく。その最大瞬間風速がこのタイミングであったように思う。

コミケの聖地・大田区産業会館

サブカルやオルタナティブが目指すその指標は主に白人社会(ロンドン、ニューヨーク、パリの文化)へ据えられていた面が多分にあるだろう。それに対し、日本のオタクたちは(たとえアニメーションの源流がWalt Disnyであったとしても)国内で純粋培養された景色の完成を目指していた。こうした自国的な美を認めて行くフェーズは『B'zはダサいだけではない』と言う、ある意味での深い理解へと直接ではないにせよ繋がって行くように思う。

90年代初頭。外国人の目がアニメ文化へと向いてくる。Matthew Sweetというオルタナティブ・ロックのミュージシャンが漫画『うる星やつら』のキャラクター、ラムちゃんの刺青を入れ日本の雑誌でそれを見せていた。彼のシングル『Girlfriend』(1991年)のMVでは寺沢武一の『スペースコブラ』が使われた。Matthew Sweetはアニメ贔屓であった。その少し前に英国産のハウスやテクノの12インチのジャケットに日本のアニメ・漫画絵が使われる。英国のお洒落バンド、Saint Etienneの変名ユニット"Cola Boy"のジャケットでは江口寿史の絵に酷似したものが使用される。こうしたオルタナティブで起こった逆輸入現象は更に状況の変化を促すこととなる。村上隆はこう言ったスピード感を迅速に読み込み、自身の絵画へと定着させて行ったのではないだろうか。

Saint Etienneの変名ユニットCola Boyの12inch「7 TO WAY ONE」(1991)
Matthew Sweetのラムちゃんの刺青

近田春夫の先鋭的な偉業についても書きたい。近田は常に時代をリードし新しい表現を提示して来たロック・ミュージシャンだ。70年代中期の東京のロックシーンの中で氏とそのバンド、ハルヲフォンが創作したロックと歌謡曲を合体させた楽曲群は大きな発明だ。森進一や平山みき、フォーリーブスなどの既存の歌謡曲をGLAMやPUNKにアレンジしてカバーした傑作アルバム『電撃的東京』の画期性は、今も日本のポップカルチャー史に燦然と輝く。彼が蒔いたその“フェイク歌謡曲”の種はその後も有形無形にコピーされ発芽する。作詞家・秋元康は近田からの影響を公言しており、氏がプロデュースするお笑いコンビとんねるずは、こう言った“フェイク歌謡曲”系を数多く歌っている。『雨の西麻布』『歌謡曲』『人情岬』『ホテルアルゼンチン』『大きなお世話サマー』などがそれである。その他の一例として、サザンオールスターズ『そんなヒロシに騙されて』(1983年)や、いとうせいこう作詞のYAYA『夜霧のハウスマヌカン』(1986年)、Mi-Ke『思い出の九十九里浜』(1991年)、瀧勝(ピエール瀧)の『人生』(1991年)など枚挙にいとまが無い。クレイジーケンバンドも近田からの影響を公言している。近田の行ったロックの側からの歌謡曲への批評的な接近の早くは1976年に行われている。文化的素養のあると言われるサイドから一般文化を揶揄うような批評的表現にも見えるが、歌謡曲(特に筒美京平)へのリスペクトを携えているので、ただそれをイナたいものとしてみていたわけではない。この部分に氏の深みがある。ダサいものとそうで無いものを中央で融合させた弁証法的解決の表現と言えるかもしれない。

些か雑なまとめであるが、こうした種々雑多な出来事の交差の果てに、いつしか全ては混ざり合い飽和し通史の順は崩れて行く。結果的に「ダサい」「ダサくない」とは一体何であるかわからなくなって行く状況が醸成される。

近田春夫は自著『考えるヒット』でB'zのそのサウンドを三度褒めている。また、00年代のあるインタビューの中で、歌謡曲やJ-POPを良い音楽として聴く行為は「やせ我慢」であると語ってもいる。

近田春夫&ハルヲフォン、2nd album「電撃的東京」(1977)

SNS内部で取り交わされる言葉たちと、その態度や背景の類についても書きたい。

「B'zはダサい」と主張する側は少数派で、文化的素養があり、20世紀的な美の基準を知る者たち。街に流れる流行りのラブソングに辟易としている。食品添加物やテレビ番組の雑さを嫌うと言う側の人々。世田谷区的。そんなイメージだろうか。一度、そう仮定しよう。
「B'zはダサくない」と主張する側は多数派でワイルド。大迫力のメジャーなハリウッド映画を好む。いちいち小さなことは気にしない。ハードロックを聴いてコカコーラを飲み干し、4WDの大きな車にドカンと乗る側と言うイメージ。埼玉県的。一度、そう仮定しよう。
この「B'zダサい/ダサくない」論争は、そう言った二つのゾーンの抗争であろう。もちろん、そんな分かりやすい二つのゾーンはあるようでないかもしれない。いや、そもそも論戦と言うものは否が応でも一度は二つに分かれるのかもしれない。

田舎は文明が無いから劣していると言う物言いは、自然や人間を軽視し都市文明を是とした近〜現代以降のものだろう。2025年の現在において過度に開発された都市部こそが素晴らしいとは決して言い切れない。都会に疲れ地方へ暮らし出す人々もいる。
また、かつての心温まる故郷として機能しえない田舎というものもあるだろう。開発により変わって行く景色。立ちいかぬ経済により生まれるシャッター街。若い後継者のいない過疎の村。これらは原風景のそれを残していない。
また、都会というものも過去のその姿ではない。80年代にファッションの街として隆盛を誇った原宿にはカラオケ屋や100円均一の看板がデカデカと設置される。竹下通りは別として、かつてこの地にそう言った大衆的な店舗は皆無だった。

SNSでは差別的な意見への反動が可視化される。不況と格差の社会の中で大半の国民は傷ついているのであって、中心地のタワマンに住んで大きな犬を飼っている人が貧する人を見下すことは不芳だろう。弱者的思考が上位に昇るのも頷ける状況である。
また、弱者とされる側からの意見にも些か盛り過ぎなものもある。小さな傷口をあえて広げて見せ『さぁ、私は傷付いた被害者だ』と言うような、性急な自分語りに酔い出す人もいるかもしれない。『B'zをダサいと言うインテリ層は私たちを責めている』という過度な反応はなかっただろうか。

一昔前であれば「舌戦」はテレビ番組のエンタメにもなり得たが、「私」が滅されると同時に肥大もしてしまうSNS上の戦いは、かつてのままの姿ではない。経済の下落の中で人々は互いを傷つけない方向へと寄り添う。現在のSNSの公衆性は敏感で、沸いては消えるヘイトを拒む。闊達で江戸弁的な悪口の持つ威力は消失しかけている。全く許しの無いクリーンなホワイト社会化への一途という状況には怖いものがあるが、もはやこの流れは止まらないのかもしれない。こうした状況下で「〇〇はダサい」と言う物言いは乱暴だという見方も可能になる。

そして、第三の側に“クソリプ”的なるものがある。これはもはや“なし崩しの態度”の類であろう。「B'zダサい」と言うテーゼに対して「いや、売れてるじゃん」というような物言いはアンチテーゼにならない。SNSでは野次馬的な意見も均一的に現れる。ゆえに全てが面白い具合でもって混乱して行く。現在の国内外の政治の破茶滅茶さに対抗する物言いとして、この“クソリプ”は無効化を完了する。無効化には無効化で応戦という格好だ。ここに“クソリプ”のアドバンテージがある。第一次世界大戦直後のヨーロッパやニューヨークから発生した“ダダイズム運動”の馬鹿馬鹿しさに近いものかもしれない(全然違うか)。

マルセル・デュシャン「泉」(1917)
男性用小便器を彫刻作品としてそのまま展示した革新的な作品。

デザインの世界で「下げ」のデザインというものがある。クール過ぎるデザインは人を選んでしまうので売れなくなってしまう。一般的な様子を前面に出して取っ付きやすくするというやり方は、車のデザインや食品パッケージなどで数多く見られる。ラーメンのパッケージに先端的なアート性の類は必要がないだろう。ヒットソングの裏側にもこうしたものは見え隠れする。

長々と書いてはみたが、ここで「ダサいからって悪いのだろうか?」と言う巨大な禅問答が頭上に現れる…。考えれば、別に悪くもなんともない。誰かがそれにより死んだり、森林が枯れたり、会社が潰れたり、湖が枯渇するわけでもない。そして、サブカル的な価値観の側からの「B'zはダサい」と言う物言いにも一応の歴史観、信憑性はあるだろう。

私が個人としてB'zに対して思うところは。スタジアムロックを成し得たグループは日本に少ない。一つはここに尽きる。REOスピードワゴンやエアロスミスのそれだ。声量や体力の問題もあろうと思う。大昔に一度だけパチンコを試みた事がある。その時、偶然にもビギナーズラックで大量に玉が出た。そのパチンコ玉と当時のB'zの最新ベスト盤『TRESURE』『PRESURE』とを交換した。マジマジとそのCDジャケットをアートフォームとして眺め、印刷の仕上がりを確認しサウンドを聴く。徹頭徹尾、人工的な響きの世界が展開されていた。音楽というよりも、何か硬質なデータのような塵のないハイパーな響きが其処にはあった。一般的に売れるのも頷けた。詞の表現で気になる部分として、森高千里や岡村靖幸、吉井和哉(イエローモンキー)にもある、オーセンティックな歌謡的詞世界を飛び越えたものを感じた。そして何より、稲葉浩志の“本当のこと″を絞り出すように歌うあのボーカルの技巧が気になった。

当のB'zのメンバー二人の実生活を想像してみる。これがなかなか見えずらいあたりにスターたる威厳を感じる。もちろん富裕層であるし都内の中心部の立派な家に住んでいるだろう。きっと別荘なども持っているだろう。世界的な名画の一枚や二枚は所有しているに違いない。シュルレアリストのマン・レイのオリジナルプリントなどを長い廊下に飾っているかもしれない。あるいは普段から常にペプシを飲み、ゴツい高級車に乗り、聴く音楽と言えばハードロックで、皮パンを履いて高級シャンパンを抜き、夜には外人のお姉ちゃんを抱き寄せバドワイザーで乾杯しているのか。それでは水分の摂りすぎだ。ハードロックを茶化したように書いたがそれは違う。レッド・ツェッペリンという偉大なるハードロック・バンドが神として座しているジャンルである。B'zのあの完璧な人工性はツェッペリンのそれにも近しいと気づく。

led zeppelin 

年末に巻き起こった「B'zダサい、ダサくない論争」全体も、SNS民たちの“楽しい陣地取りのゲーム”として捉えると愉快であろう。もしかしたら、その大半の意見はAIが生成しているかもしれない(それはジョークとして)。一般市民が「ダサい」「ダサくない」と言ったところで、彼ら(B'z)は巨大な仏像のように鎮座し、私たちはその掌の上で転げているような状態かもしれない。B'zはその富裕さに甘んじず、贅肉を落とし30年前のシルエットを保っている。スターの鏡だ。松本孝弘は大阪の豊中出身で稲葉浩志は岡山の津山出身だそうだ。心の奥に地方都市の包み込むような温かさを知る二人であろう。

かつて、マイケル・ジャクソンが『BAD』(1986年)と言うシングルを出したが、これは「悪い」と言う意味としてではなく「カッコイイ」と言うスラングであった。その妹、ジャネット・ジャクソンも『NASTY』(1986年)と言うシングルを出す。“NASTY”は「不快な、汚れた」と言う意味であるが、ジャネットは「エグいくらいスゴイ」と言う意味で使い直している。ヒップホップの民はイケてるものを「ILL」(病んでいるの意)と呼ぶ。しかし、この「ダサい」だけは未だその意味のみに定まっている。決定的に強い不動の語彙と言うことかもしれない。通りで論争にも及ぶわけである。

しかし、この世はわからない。いつしか「DASAI」が「Kawaii」みたいに世界共通語になるかもしれない。明日にはこの「ダサい」が「最高」の意味に転じるかもしれない。



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