VIDEOPHOBIA
宮崎大佑監督の「VIDEOPHOBIA」を観た。
ブログでこんなことを言うと本末転倒なのだけど、この作品をいちいち言葉で語るのはなんだか野暮ったいと言うか、自分の語彙も足りない気がしているので、あえて自由きままに「イメージ」を投影していくような感覚で書いていこうかと思う。
とても単純な感想だけ先に書いておくと、アホみたいに面白い映画なので、とてもおすすめ。
平日の真昼間の、空っぽな、「空虚なカンジ」の正体が一体なんなのか結局掴めないままダラダラと生きてきたけれど、この作品「VIDEOPHOBIA」を観ることで
自分が知りたかったことを映像として提示してもらえたような気がした。
デジタル空間への逃避はもうすでに完了してしまったのかもしれないと感じさせるほどに、平日の真昼間はやっぱり空っぽだ。
この国で何故か最も尊いものとされているような「青春」を通過し終えた後にはずっと、モノクロームな舗装されたアスファルトが延々と続いている。
どこが起源なのかわからない悲しみを纏い続けるのが義務と化しているのか知らないが、幼い頃に恐れていた「空虚なカンジ」が、もう隣に居座っている。
「空虚なカンジ」は自分の中での印象に過ぎないけれど、イメージを必要以上に大きく感じる心になってしまった。
技術の発展とともにイメージはより具体的なカタチで可視化されるようになって、それは再び強度を増した見えないイメージに還元され、ひとの心に住み始める。
もはや、イメージからの逃げ場としてこの空っぽな、舗装された現実世界が存在しているような気すらしてくる。
肉体とアバターの間を常に揺れ動くように生きている。
不気味だけれどひたすら心地よいこの映像作品は、巧みな編集技術で書き換えられた過去や悪夢の複製なのだろうか。
作品の冒頭、MacBookの画面を見つめる主人公の女性を正面から捉えることで「観る/観られる」の関係を反転しにかかる。そこから常に生じる現実と想像との「揺らぎ」が心地よい推進力となって虜になってしまう。
この始まり方からして、果たしてこれは「見つめている」のか「見つめられている」のかが曖昧だったりする。
真夜中に主人公がベランダから見かける人影に2回ともあまり説明がないのも、強烈な演出だなと個人的に思う。
ラストのカットでは、主人公が鏡を見つめている。Jホラー的というか「リング」っぽくもあり、「鏡の国のアリス」的でもある、印象的なラストカット。
この作品の公式サイトには、何人かの著名人の絶賛コメントみたいなのも掲載されていたのだけど、
その中で小泉今日子が「ヌーヴェルヴァーグの香りがぷんぷん匂う」とコメントしていた。
「ヌーヴェルヴァーグ」と言う言葉を最近やっと本で知った俺は、「ヌーヴェルヴァーグっぽさ」ってこういうことなのか〜と安易な感心をしながら画面にかじりついてこの作品を鑑賞した。
エンドロールの曲のミュージックビデオも宮崎大佑監督が作ってるみたい。
誰かがYouTubeのなんかのMVのコメント欄でも言っていたのだけど、Jin Doggは俳優やったらすごい合ってそうだなと思う。
Kamomekamomeの新作出ないのかな。「エクスキューズミー」が個人的にとても好きだ。