「ソルトバーン」鑑賞後メモ

 遅ればせながら鑑賞。ドスっと胸に突き刺さる一撃。今作の時代設定は2006年となっているため、主人公のオリヴァー(バリー・コーガン)らはミレニアル世代の若者ということになるが、そんな彼らのほとんどが破滅していく様子を観るのは、ギリギリ同じ世代に組み込まれる年齢である自分としてはショッキングなところもあった。フィリックス(ジェイコブ・エローディ)の屋敷における登場人物らのキャラや関係性の構図がジェネレーションの壁を超えて相互理解を深めることの難しさを最初から仄めかし続けており、終盤の大きな悲劇に対するそれぞれの反応の仕方によってその断絶に対する絶望がピークに達する。幻想を拭いきれない年長者と、主体性を獲得できないまま精神を病んでいく若者、そしてその両方を(本当に)簡単そうに欺いて払いのけてしまうひとりの男。

 若者の性行為に関する描写がセックスよりも自慰行為の方が印象的に描かれる点や、フィリックスの精液が混じったバスタブの水をオリヴァーが啜るインパクトの強い場面が象徴するのは、虚しさを享受すること、貪り尽くすことでしか新自由主義的な価値観における至上の喜びには到達し得ない、というひとつの現代批評的な視点であるようにも受け取れた。事実、今作はその虚しさを直視しきれない人間が終盤に脱落していく。だからこそ、ラストにおけるフルチンのダンスシークエンスが存在していて、それは瑞々しい喜びと虚しさに溢れている。

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