「#ミトヤマネ」鑑賞後メモ

 ワイドショーの街頭インタビューを模した映像から本編が始まる。玉城ティナが演じる「ミトヤマネ」というインフルエンサーに対しての印象が何人かの一般のファンの口から語れるのだが、それぞれトーンには違いがあるものの基本的には全肯定の意見しか語られない。その後、valkneeの「KILLING ME!」という楽曲が爆音で流れるOP映像が始まる。ビートをプロデュースしているのはSTARKIDSのBENXNI(いまだに読みがわからない)というだけあって強烈でトランシーなものになっており、リリックも映像も現代のSNS模様やそこに跋扈するインフルエンサーらの生活を過剰に描出することで戯画化していくようだった。絶賛か全否定、たまに賛否両論、といったような極端な方向の議論(?)しかなされない世界を抜け出すには、「KILLING ME!」と希死念慮を力強く叫び倒し、祈るしかないのか…なんて。

 今作の主人公である山根ミトはインフルエンサーとして現代日本の若者を中心に広く知られている存在として描かれており、インスタ(的なプラットフォーム)やYouTube(的なそれ)などに写真や動画を投稿することを主な仕事としつつ、時にはちょっとしたテレビドラマに出演したりもする。それらの運営をサポートしているのは実の妹であるミホ(湯川ひな)とミトのマネージャーである田辺キヨシ(稲葉友)であり、自宅での写真、動画撮影はミホが行い、スケジューリングなどの全般的なマネジメント業務は田辺が担っている。そういえば、この3人が同じ場所にいる場面などにおいて今作は引きのショットが多用されているような印象を受けた。観る側が若干不快感を感じるレベルの気持ち悪さを伴うような独特の引き方で、各登場人物の表情も微妙にボヤけてしまい見えづらかったのだが、それに加えて玉城ティナのスタイルの良さがかなり際立って見えたりもするのでただの会話を写しているだけの場面がなぜか異様に現実感を伴わないものとして映し出される。

 今作において重要なモチーフのひとつとしてインターネットがあること、そして山根ミト本人のセリフによっても言及される「現実世界」と「仮想空間」の境目の曖昧さはこの作品の解釈を深める上でも重要なレイヤーとして存在していることは確かだろう。本編の中盤あたり、valkneeとバイレファンキかけ子もカメオ出演を果たしているクラブでのシークエンスにおいて盛り上がりが最高潮に達した直後、グリッチ的なノイズとともに映像が乱れ始めたかと思うと数秒間、なんとなく「バニラスカイ」を連想させるような画素数の粗い高層ビルと青空の映像が突然インサートされる。この辺りから観客側の現実/非現実の認識を撹乱するような演出も増えていき、ラストにおいてはもはや全てが反転してしまったかのような展開が待ち受けている。人々の認識の境界線上を自由に動き回る存在、象徴としての玉城ティナという見方はたしかにとてもしっくりきた。可愛過ぎ、スタイルよすぎ、可愛過ぎ(川柳)といったような具合で本当に現実味がない。それでいて、宮崎大佑監督の前作にあたる「VIDEOPHOBIA」の主人公が作中で見せていた表情と重なるような瞬間も何度かあり、個人的には少しグッときた。「推しの子」的なアイドル像、反キャンセルカルチャー的な目配せといったレイヤーもしっかりあってとても現代的ではあると思うけれど、ちょくちょく挟まれる偽OPNのようなニューエイジ的なシンセ音はなんとなく陳腐なようにも感じた。valkneeの楽曲のテンションが振り切っていてリリックの内容的にも作品にがっちりハマっていたので、そこだけやんわりしていたのが少し気になった。個人的にはもっと恐くてもよかったゾ。

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