「ボーンズ・アンド・オール」鑑賞後メモ

 クライマックスでトレント・レズナーの歌声が聞こえてきた瞬間に思わず昇天。「(You Made It Feel like)Home」という曲名であったこと、それからリリックの内容を鑑賞後に確認した。それがあまりに今の自分の気分にしっくりきてしまって再び昇天。これはやはり神々の遊びなのか。


 2020年代は「軽やかさ」と「血みどろ」の時代になってきていると最近は勝手に考えている。音楽にしろ映画にしろ小説にしろ漫画にしろ、それは同じことだ。「軽やかさ=内容が薄い、軽い」ということではない。シリアスな主題に対していかにウィットに富んだ切り口でアプローチすることができるかどうかが大事になっているということだ。その点においては少し前に観た「ケイコ 目を澄ませて」は本当に素晴らしい作品であったことは間違いないが、ここにきてもう一本、いま個人的に感じているムードにより確信をもたらしてくれたのが、ルカ・グァダニーノの新作「ボーンズ・アンド・オール」だ。

 長編映画作品としては前作にあたる「サスペリア」のリメイク版と比較すると今作は驚くほどに軽やかなトーンでシンプルな物語が描かれている。70年代アメリカ映画的な「だらしなさ」と言ってもいいかもしれないその軽さはあまりに心地よく、恍惚とした気分さえ覚える。

 グァダニーノはいつも既存の社会システムに馴染めないでいる人間を描いている印象が強いが、今作においてもそれは同様だ。主人公のマレン(テイラー・ラッセル)はサリー(マーク・ライランス)やリー(ティモシー・シャラメ)といった人物たちと巡り合いながら自分の出自について知るための旅に繰り出していく。自分が本当に安らげるような居場所なんて存在しないのではないか、そんな漠然とした不安が心のどこかで常につきまとうような日々のなかでマレンとリーは自動車に乗ってアメリカの中西部を駆け抜けていく。

 マレンが作品内において最初に人間の体の一部を食べてしまう瞬間はあまりに唐突なタイミングで訪れるので、それが衝動的な行為であることを容易に読み取ることが出来る。欲望をコントロールすることが出来ない弱さと恐怖、そしてその不安に対しての反動で安心を求めるためにまた誰かを食べたいと思ってしまう悪循環によって彼女の生活は常に逃避行のようなものとなってしまう。食人という概念自体は我々の日常において現実味が薄いものではあるが、安らぎや居場所を求めようとする気持ちは誰にとっても普遍性のあるものではないだろうか。

 そういえば「serial experiments lain」という98年のアニメ作品において主人公の岩倉玲音は電脳世界を介して「世界」の外側にひとりぼっちになれる居場所を見出したが、現代においてはインターネットですらもはや窮屈に思えてくる。それならどこに居場所を見出せば良いのだろうか、この不条理なシステムを食い破ることが叶わないのなら、どうすればよいのか。その問いに対してのアンサーはラストシーンにおいて軽やかに提示される。グァダニーノは落ち着いているようでとても情熱的な側面も併せ持つ人なのだなと思う。


 「ほんの短い間だけ、私たちはそこに安らぎを見出した」


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