さよならにはハグを
今の時代、完璧な「さよなら」が減ってきたように感じる。
それはもうSNSの発達のおかげに違いなく。
離れ離れになったとしてもネット上では繋がってる。そんな状態が当たり前になっている。
生死の別れか、恋人や婚姻関係の別れか、そんなことでしか潔く縁を切れないそんな時代。
だからこそ、節目としてのさようならは大事にしたい、と思う。
出会いあれば別れあり。
別れがなければ新しい出会いもない。
恐らく多くの人がそうしてきたように、私も今まで色々な人と別れてきて、新しい人と出会ってきた。
そして、今がちょうど別れのとき。
何回繰り返しても、やはり寂しいものは寂しい。
週に5回必ず行く場所があって、会える人がいて、他愛もない話をして、「また明日」が言えること。
仕事は辛かったりめんどくさかったりするけど、実は幸せだったと気付く。
こういうことはだいたい、終わったあとに気付く。
私がいた間にも何人かの方が退職されて、その度に悲しい気持ちになった。
それでも日々は続いていくもので、1ヶ月も立たぬうちにその人のいない毎日が完成されている。
悲しい気持ちもだんだんと薄れて、たまに思い出す程度になる。
だから、私が居なくなったとて、私のいない毎日が出来上がるだけなのだ。
そこはいつも通り平穏で、仕事は相変わらずめんどくさくて、他愛もない話をしながら、「また明日」で終わる一日があるだけだ。
それがとてつもなく寂しくて、悲しくて、
でもどこか嬉しくて。
何年か前から、大切な人とのお別れの時、必ずハグをするようにしてる。
だいたいはもう会えない人と、たまに友達とも、ハグをしたいと思ったらハグをする。
特に印象的な何かがあった訳ではない。
でもそれが、1番愛を伝えられんじゃないかな、と思ったからに過ぎない。
口を開こうとしても、きっと当たり障りの無い言葉しか出てこないから。
日本人にはあまり馴染みがないせいか、みんな照れくさそうにするけれど、なんだかんだ抱き締め返してくれる。
少しでもあなたの事を想っていたひとがいた事を、覚えていてくれるといいなと思う。
今日も大切な人とハグをした。
親子くらい年の離れた、それでも1番気の合う友人のような人だった。
そして明日の最終出勤日も、きっと抱きしめて回るのだろう。
自分がいて、みんながいて、めんどくさい仕事をして他愛もない話をして、でも「また明日」だけがない1日。
代わりに、さようならのハグをする。