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ひとり親の子離れ宣言(仮)
往生際わるくかっこわるい私
娘が大学生になったときに、一緒に暮らせるのは、あと4年だと腹をくくったつもりだったけど、どう考えても無理な気がしている。
娘と共に過ごせない夜なんて、空虚すぎる。
オンラインで会話ができる?そんなの全くもって慰めにはならない。
無理無理無理。むりむりむり。最難関レベルのミッションだ。
子供が自立するって、こんなに痛みを伴うものなんだな・・・
すがすがしく晴れやかなものかと思っていたけれど、
わが子を見送るその時を想像しただけで 耐えられない思いになる。
小学校や中学校、高校の卒業式とは訳が違う。
社会人となり見送ってしまうと、どんどんどんどん手が届かなくなる。
頭ではわかっている 子供は自立するものだと
喜ばしくうれしいことだと
それでも、私の心は頭の指令を聞き入れようとはしない。
やり残したことはたくさんあるけど、後悔はしていない
お手伝いは一切させてこなかったし、しつけも手を抜いた。
いい訳だけど、日々を回すので手一杯だったから、スピード感重視で、
やれることは全部、手をまわしてきた。まるで敏腕(?)マネージャーのようにあれやこれやと世話を焼いた。
子供をしつけるという点では、私は親として失格だ。
今でもあれやこれやと娘の世話をやいている。
「ママ~、水筒に水いれてほしいな~」
「自分でいれれるやろ~」といいながら、いれてしまう私。
「ちゃんと充電しいや~」といいながら、
毎晩せっせとスマホやヘアーアイロン、iPadの充電をする私。
「ほんま、親の顔がみたいわ~」といっては、2人で失笑している。。。
でも、大切にしたいことは、全うさせてもらった。
娘との毎晩の会話と、「ぎゅっ」と娘を抱きしめること。
娘の心の状態を常に感じ取れるように注力してきた。
そうしていくと、娘が必要とする言葉がわかってくる。
大切な時に、娘のやる気スイッチを押してあげられることができるようになるんです。日々のたわいもない2人の時間が、子供を支える大きな力になると身をもって体験しました。
私にとって、子育てとは、常に子供に試されているゲームのようなもの。
常に自分が成長することを要求され、少しでも、娘の一歩先へ先へと進み続けなければいけない、サバイバルゲームなんです。
あーでもないこーでもないと悩みながらの日々が、一瞬で報われる、そんな瞬間がきたとき、何よりもの幸せを感じます。
一瞬が一生の感動になります。
子供たちの未来へ向けて
私の親としての役目は、新たなステージに入ろうとしている。
娘にどういう背中を見せていくか、
親として試されているサバイバルゲームは続きます。
人生100年時代の到来は、私たちに一生働くことを強いています。
健康寿命を延ばし、DX人材やリカレント教育にと、常に成長し続けることを要求され、Well-Beingな社会の実現に向け、自主的に主体的に将来設計を立てるように言われています。
理想の実現に向けて、自主的に考える・・・要領の悪い私にとっては、
正直、生きづらさも感じます。こうしろ、ああしろと言ってもらった方が楽。
でも、今は、多様性と変化の時代。学び自分で考え生き抜く時代なんです。(まさに、サバイバル!)
不安は常にあります。
でも、この時代の先頭に立つ私たちが、挑まずして将来はありません。
その先に、子供たちの未来がつながっているのだから。