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離婚した私の働き方改革

夢なんてみるもんじゃない 

離婚をして、初めて主たる生計者となった私
パティシエという夢をあきらめ生活のための仕事を選んだ。
悩みに悩んで決断した選択
身を切るような思いとはこういうものなのか
ふと気を許すと、電車の中でも涙があふれていた。

そもそも私は、大学受験を失敗して以来、自信を失い臆病者でさえあった。
そんな私が、やっとの思いで就いたホテルでの仕事
趣味でお菓子作りしてきた私
器具の扱いや生地の混ぜ方、伸ばし方を仕事の合間に教えてくれた
そんなシェフの厚意に応えるのに必死な日々
家事育児にクリスマス、年末年始と
嵐のように過ぎ去った。
年が明け落ち着いた頃、
いきなり旦那から離婚を言い渡された。

運命の激流にのみこまれるままに、
2カ月後には離婚となっていた。

力になれることはすると、シェフの有難い言葉
嬉しかったが、いっそう悔しさも募った。
パティシエ目指して働き続けるのは、ひとり親になった今は無謀な道
体力面、金銭面、将来性、あまりにも不安定すぎる。
必死にやってきたことの結果がコレかと、、、呆然
夢なんかみるんじゃなかった。 

まったなしの目の前の課題にむけて 

離婚当時、収入が10万円にも満たなかった私は
容赦ない現実と不安がおしよせてきた。
生活の基盤を確保しなければ!
8年ぶりの会社勤めを目指し、派遣会社へ登録
元はIT企業に勤める技術者のはしくれだ
少しばかりシステム開発の経験があると、パソコンが得意とみなされる。
1回目の面談で大手企業への派遣先がきまった。
はしくれながらもIT企業に勤めていた自分に感謝した。
8年ぶりのオフィスワーク
事務所拠点のOA機器管理業務にあたった。
はきのない男性社員についてまわり、見様見真似で仕事を覚えた
更新終了とならぬよう、日々そつなく目立たずこなす
土日、年末年始、夏休みと休日も多い
定時の帰宅も約束されている。

当たり前に思っていた日常を保つのに必死だった
衣食住の確保と貯金
そしてなによりも 娘の笑顔
働けばいいってもんじゃない
 
子供にとって親は代わりはきかない
唯一無二の存在なんだ
私しかいないんだからと 肩ひじもはる

がんばっても 一般家庭の平均収入の半分以下

ひとり親家庭の平均収入は240万ほど
色々ひかれて、残ったお金でやりくりする
1万でも2万でもあればと
喉から手が出る思いで副業を始めた
整形外科の受付兼リハビリサポート
意外と、土日のみの人材は重宝されるようで
スキマ枠のスキマ収入で2、3万円となった。

国から支給される手当には手を付けない
月1万、2万…
少しだが貯金ができるようになった
娘の将来の為に、貯金をしたいの一心だった

3年後に契約社員
副業を禁止され収入は横ばい
娘が高学年になった
習い事や友達付き合いで支出がふえる
どうしたものかと、家計簿とにらめっこの日々

正社員になるしかない!

仕事をしながらの転職活動はしんどい
スキマ時間はハローワークの検索サイト
会社帰りにマザーズハローワークへ
面接都合に合わせ 仕事を調整 
時には理由をつけて 無理やり早退
収入もへるし気も使う 短期集中で終わらせたい
僅かなITスキルでも意外と必要とされているようだ
あっさりと内定をもらった

決まったら急に、現職場を離れがたくなった
退職を申し出たとき 部長から呼び出された
正社員にしてあげるから 少し待って とお願いされた
これまで正社員にしてきた実績までいわれた
ひきとめてもらったことが嬉しかった
退職届はひっこめ 内定は辞退した

その数か月後 当の部長は海外へ転勤
たまに戻ってきても私とは顔も合わさなかった
新任部長からは 正社員は難しいといわれた
現実はそういうものか 私が甘かった
同僚からは お人よしだとか詰めが甘いだとか いわれた
派遣時からお世話になってきた部長の言葉
信じたかったし 信じた自分は嫌いじゃない
でもやっぱり ショックだった

リベンジ転職活動

精神的な大打撃
感傷に浸っている場合じゃない
一人二役 待ったなし
即 転職活動を再開した
思うような求人がない あっても内定までいかない
切羽詰まり、辞退した会社の求人に再アタックしてみた
当然、書類選考で落ちた 人生甘くはない
海外の部長の顔がよぎりムカムカした
マザーズハローワークの相談員さんに文句を吐き出し
誰にもいえなかった辛さがほぐれた

43才は、年齢がネックになるすれすれだ
就職氷河期ど真ん中世代の私は 
諦めるということを知らない

勤務先範囲を広げ 
なんとか内定を手にした
正社員をあきらめかけていたが
もう逃さない
憧れの正社員だ

家族経営の中小企業 
大企業という安定感を失うのは不安
でも、ボーナスも寸志だがでる
月給もあがる
中学になる娘の準備に間に合った

ひとり親の自立を目指して

正社員になり
雇用を解除される心配もなく安心感がえられた
派遣や契約という立場的な疎外感からも解放された
収入もあがったが
父子家庭の平均収入に及ばず 
新卒時代ともほぼかわらず
自立したとはいえない
30代で途切れたキャリアの代償をじわじわと感じはじめた
結婚後も働きつづける同期が急にうらやましくなった
苦手なITから、結婚を理由に逃げた私が 今更いえる立場ではない

そんな私が、離婚をしてITスキルに救われるとは思わなかった
苦手意識はかわらないが、生計をたてていくためだ
ここからの6年間で、貯金をぐっとふやさないといけない 
ある程度の残業も可能となり 助けとなった
仕事仲間にも恵まれた

制服姿の中学の娘
確実に成長していた 
思春期 親離れ の文字がよぎる
いまかいまかと構えていたが
訪れるとあたふたするものだ
なんの知識も情報も役には立たない
センシティブな心のぶつかり合い
どんな言葉もしっくりこない
心がすれちがう日々

この時ばかりは、気も弱くなり
弱音も吐きたくなった
こんな時、父親がいたら
ちがったのかな?と少しよぎった
いや、ちがう
目の前にいる私と娘とわんこ
それで十分だ
大丈夫
今までも、乗り越えてきた 私たち

ついてきてくれた 娘
いつも癒してくれる わんこ

娘の将来の夢

高校受験を控えた娘
コロナ禍に入る直前に 旅立ったわんこ
娘は急に一人で寝ると言い出し
私も一人で寝る 
わんこの温もりがいっそう恋しい

公立高校へ進むとばかり思っていた 娘
私立でいきたい高校があるといいだした
自分なりに考え選択してくれたことが うれしかった
学費はかかるが 国の補助を利用させてもらい
元の学費の半分で通う事ができる

推薦入試に向け
将来の自分についての作文を書き始めた
無造作に机におかれた下書きをみつけた

私には、お医者さんになりたい や
先生になりたい といった
すばらしい夢はありません
でも、私には心からほこれる母がいます
母は仕事で失敗しても つらくても
絶対に私の前で泣いたり
諦めるようなことはしません
いつも前向きに何歳になっても勉強を積み重ね
楽しそうに働いている母を見て 
私もそんな風に 一生懸命働き 
一人でも生きていけるような
誰かに尊敬されるような人に
なりたいと思うようになりました

思いもよらない言葉でした
なによりも嬉しかった

ひとり親を生きなおす

かっこいい仕事をしていた訳じゃない
手ぬきでごまかし セールでしのいだ日々
色々な人に頭を下げお世話になった
娘のためにと思ってきたけれど
私が支えてもらっていた

離婚して たった10年
長い長いトンネルに入り込んだ気がしていたが
全てひっくるめて 愛おしい日々だった
感謝の思いがあふれだし
離婚したことを
自分の中で はじめて受け入れることができた

堂々と生きよう

娘は無事、高校に受かった
おじいちゃんもおばあちゃんも笑顔だ
我が家に10年ぶりの春が訪れた

ほっと息つく間もなく
また、日々のやりくりに追われている
こんな幸せも あるんだな

ここまでお読みいただき ありがとうございました。









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