アオちゃんの音と、つないだ手
アオちゃんはお母さんと二人で、遠くのことばの教室へ行く。電車に乗って、階段降りて、カードをピッてする
この大きな駅につながる百貨店で、いつもお手洗いに立ち寄る。箱に入った果物や、ガラスの向こうのおいしそうなケーキ、ワインやお酒の棚が並ぶお手洗いまでのにぎやかな通路で、お母さんは、いつも少しだけ歩くスピードがゆっくりになる。
アオちゃんは心の中で話しかける。
『お母さんが大好きなものがいっぱいで、うれしそうなお顔してるね』
「よしっ」
いつもお母さんはここをでるとき、こう言うのだ。そのときアオちゃんが気づいていることがある。
『少しだけお母さんのお顔から色が消えたように見える。だから少しドキドキしちゃうの』
もうひとつだけ小さな電車に乗るとおはなしの教室に到着。
「アオちゃん、大丈夫?」
お母さんはこの道を歩きながら、いつもアオちゃんの顔をのぞきこむ。
「うん」
アオちゃんはいつもそう答えるけれど、
本当は少しきゅってお腹がへっこんじゃう。
『おかあさんこそ、だいじょうぶ?お顔の色が少し消えてきちゃってるよ』
アオちゃんはそう言いたくなるけれど、音にはならない。
教室に入ると、アオちゃんはニコニコしている先生とクイズをしたり数を数えたりする。
『ちょっとむずかしいから頭がもやもやねむたくなる。机の向こうとこっち側、遠いな。』
アオちゃんはいつもそんな風に感じていた。
今度はおかあさんと交代してアオちゃんは椅子に座って待つ。お母さんと話すときの先生の顔は
ニコニコ顔からピリピリ顔になってお話しする。いつも。
カーテンの揺れるすきまから見えるお母さんのお顔は、色が消えたままなの。
いつも。
でも今日はいつもとちがう。
アオちゃんはびっくりした。
お母さんのお顔が、暗くて濃くていまにも飛び出してきそうな、見たことのないごちゃごちゃに混じりあった色に変わっていくのがアオちゃんにみえた。
先生のいつもとちがうすこし大きな声が聞こえてきた時だ。
「アオちゃんは学校の教室で周りの話が分からないのにひとりでずっとそこに座っているの!孤独なのよ。たとえるのなら…今は犬小屋の火事。でもこのままムリさせたら大きなお家が大火事になるの!手に負えなくなるってことなのよ」
『火事、なの?私がお話上手じゃないから、うまく音にならないから、みんなと同じ教室でお勉強することは、火事になるってことなの?』
『ん?わたし、お友達のおはなし聞くの大好きだし、いっしょに笑っていると楽しいし、それにひとりで座っていたらコドクなの?コドク?』
先生にだってきっと何か考えがあるのかもしれない。けれどアオちゃんは、お母さんにそんなふうにお話をする先生が出す音を、とてもとても冷たく感じてお母さんのことが心配になった。
『先生は知らないよねぇ、見たことないよねぇ、
わたしとおともだちのお話、したことないもの』
先生の大きな音はまだつづく。
「わたしにはどうしてあげることもできません!」
アオちゃんはまたまたビックリ。
『え?おはなしの教室ってお母さんがいっていたけど。先生だけど、できません、なの?
…わたしがワルイ?』
教室を出て小さな電車の駅に向かうとき、つないでいた手が温かった。
すっきりとした色のお顔に戻ったお母さんが言った。
「ここはわたしたちに必要ないよね?いいかな?」
「うん、いらない」
アオちゃんは、はっきりキッパリと伝えたいことを音にして、つないだ手の温かさを確かめた。
お母さんのお顔の色、
アオちゃんは知ってるの。
いろいろな色、ある。
色が無くなっちゃうのは、
『ちがう』って
お母さんの心が言ってるとき。
アオちゃんとお母さんは温かいこの手でつながっているから、「わたしたち」だから。
『先生、わたしたちのお家は火事にならないよ』
アオちゃんの音はここにある。
終
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