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創るとわたし

ふりかえる。

(あの日のわたしと、今のわたし。これからのわたし。

アマプラで劇場版ルックバックが配信されたと知り、さっそく観た。

この作品は原作から入った勢の一人だが、読んだ当時は物語をどう受け止めていいのかわからず、あまり没入できずにいた。
読むタイミングが今じゃなかったのかもなあと、1度だけ読んで、再び読みたくなるタイミングが来たら再読しようと思っていた作品だ。

どっこい、アニメ映画化され、さまざまな人の手で織り上げられることによって、わたしのなかの解像度がぐん!と上がった。(144pから4Kくらいに爆上がり)

観始めて2日だが、7周するほど突き刺さっている。

藤野と京本は、別個の異なるキャラクターとして描かれているけれど、
同一の人物でもあり、世界中に居る創作好きな”わたし”でもあり、”わたしの一部”だと受け取った。

かくいうわたしも小3のとき、友人4人と新聞係になって毎週クラス新聞を発行し、
四コマ漫画と編集を担当していたもんで、
この作品と己のドンピシャシンクロ設定に「他人とは思えぬ…!」と震えたし、
友人の1人が、京本同様小学生顔負けなくらい絵が上手い子だったので、「おいおい俺らの話ですか?」と思った。
(似たような経験をしている人はたくさんいると思われる。)



藤野のような負けん気に根性、悔しさをバネにする力、爆発力、他者を惹き込む表現力、プライドの高さ、気の強さ。
京本のような集中力、素直さ、好きなことを貫くゆるがなさ、
「みんな」が学校に行っていても、「行かない」を選べる強さ、突き抜けた作画力。

なんてつよつよな攻撃力と防御力か。

京本が、憧れの作家先生(藤野)に対して、「あなたの生み出す作品がどれだけ素晴らしいのか、どれだけ大好きなのか」を早口で伝える姿には、かつての、そして今の自分と重なった。

むかしむかし演劇を観に行ったときに、とある大好きな作家さんを見かけて、理性が行動を抑える前に好きの感情が溢れ返ったことがあってだな。
京本のように追いかけて、快くサインとツーショット写真を撮ってもらった当時の自分。

好きな人に会って、直接感想を伝えられる奇跡よ。



背景美術に出会った瞬間の、京本の「見つけた…」の表情にはブワッと鳥肌が立ったし、
美大に行くと決意した京本と藤野の会話や二人の描写は、
まるでマインド(植え付けられた社会通念、ノイズ)と心(本心、欲求)のような関係だなあ、自己対話だなあと思いながら観ていた。



あらためて創作、創造の「創」という字を調べてみる。

きずができる。きずをつける。
「きず」という意味がある。

創る側も、それを受け取る側も。
無傷ではいられないのかもしれない。

背中を見て。

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浅井なつみ/Natsumi Asai
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