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隣人愛とは

 隣人愛とはキリスト教の重要な教義です。
 聖書の中では、「善きサマリア人」の話で出てきます。
 聞いたことはある言葉だとは思いますが、日常で意識している人は少ないのではないでしょうか?今回はこの隣人愛について考えてみたいと思います。

 まずこの言葉を2つに分けると、「隣人」と「愛」になりますね。
 1つずつ定義を明らかにしていきましょう。

 まずは「隣人」。あなたにとっての隣人とは誰でしょうか。隣に住んでいる人?それは言葉の意味としては正しいですが、ここでの隣人とは心理的な距離で隣にいる人を示します。

 例えば、家族、同僚、友人などが挙げられるかと思います。しかしそれだけでしょうか?
 あなたが海外に行った時、そこで日本人に会ったら同族意識が芽生えませんか?ヨーロッパでアジア人に会ったらどうでしょう?
 初めて会うその人にも、なにか特別な感情が生まれないでしょうか?
 隣人とは決して自分の身の回りの人を指す言葉ではありません。誰を隣人だと思えるかということです。
 今の時代ではインターネットで共通の趣味を持つ人に出会ったら、顔を合わせなくても隣人になると思いますし、人間だけでなく動物や、私たちと常に共存している環境問題なども考えようによっては隣人です。

 次に「愛」です。愛という日本語にすると誤解されがちですが、「思いやり」という言葉のほうが適切な気がします。人に対して思いやりを持つことは小学校の道徳でも習いますね。
 聖書の中でキリストは、「あなた自身のようにあなたの隣人を愛しなさい」と述べています。まず前提として、自己愛が必要なのです。
 自分が持っていないものを他人に与えることはできませんね。それは愛も同じです。

 日本人は自己犠牲の精神が強すぎると思います。それは自殺・うつ病などの統計に表れています。自分の愛し方がわからない人に他人を愛する方法はわかりませんし、自分が死んでしまったら他人を助けることもできません。
 この大前提を無視して、他人に思いやりを!と言っている人が多いので、忘れるべきでないポイントだと思います。

 話をまとめると、、、

 まず隣人という括りに際限はなく、誰を隣人だと思えるかということです。全ての人やものを隣人だと思うことが可能です。
 そして愛とは自己愛の上に成り立つもので、思いやりを持って接することです。

 自分を含む全てのひとに思いやりを持って接しようということですね。

ヘイトが増しているこんな時代だからこそ、愛のある行動ができるといいですね。


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