ベビー袴とHITONOWA誕生ストーリー
私は3人の子供を育てています。大学でサークルを立ち上げるほど服が大好きだったので、子育てしながら色々作りましたが、服作りは本当に子育ての助けになっていました。今日は最初のころに作ったベビー袴の誕生秘話と初心者ママの子育てとショップ開設に至るまでのお話です。5000字超えて長いです!お時間あるときにどうぞ。
一人目の子供の妊娠がわかったのは結婚して半年くらいのことでした。女の子だったので、妊娠中にベビードレスを作りました。それは、自分が結婚式のときに作ったウェディングドレスと同じ生地でできた特別なドレス。8年前、赤ちゃんの退院時に着るような服は、百貨店の高級なベビードレスか、レンタルの着物を上からかけるか、という具合だったので、市販のものを探してもあまり欲しいと思えるものがなかったのです。そして私は学生の頃から7年続けたアパレルの立ち仕事も長距離通勤もやめたばかり、妊娠中にちょっと時間があったので、自分のウェディングドレスの余った布をひっぱりだして、赤ちゃん用に自分で作ることにしたのです。世界で1着しかない、特別なオリジナルのベビードレスでした。自分で作って、退院時から生まれたての赤ちゃんに着せて、会う人みんなに「可愛いね!」「手作りなの!?」とたくさん声をかけてもらえて、すごく嬉しかったのを覚えています。初心者ママの子育てのスタートの楽しい思い出です。
一人目出産後1年経たずして、2人目の妊娠がわかりました。性別は男の子。ベビードレスをそのままお下がりする?どうしようかな~と思っていたところ、学生の頃の友人からヒーローの衣装を作って欲しいという依頼をもらいました。オーダーは、スーパーヒーローのアクションシーンで使えるように早着替えできて、和風で、かっこいいもの!というものでした。ぜひやらせてください!と衣装作りに取り掛かりました。
数日考えて、ボタンで早着替えできる紋付袴はどうかな、と提案したのはいいのですが、和裁の知識は全くなし。いろんなショッピングモールの着物を見に行ったり古着屋さんを覗いたりしたけれど情報は得られず。インターネットでもあまり出てこなかったので、タウンページで家から行けそうな和裁の会社を探して、アポを取って訪ねて行ったのです。ところが返事はNO。和服は日本のものなのに、今は生産がほとんど海外にシフトしており、縫うものが入ってこないので教えられない、というお返事でした。カクカクシカジカこういうことがありまして・・・と事情を話したところ、昔の資料なら載ってるかも!と袴の教材を探してきてくださって、コピーを取らせてもらいました。得体のしれない突然目の前に現れた衣装デザイナーを名乗る一人の母親に、厚意でできる限りのことをしてもらい、本当にありがたかったのを覚えています。それで色々ネット検索や図書館通いと試行錯誤の末、出来上がった袴の衣装。とても喜んでもらえて、外務省後援のクールジャパンや海外でのイベントにも呼んでもらえて大活躍だよ!と嬉しいお知らせももらいました。
そんなスーパーヒーローにあやかろうと、余っていた布でミニサイズで初めて作ったのが、この写真のベビー袴です。このベビー袴がものすごい反響で。インスタにのせたらすごい可愛い!と絶賛の嵐でした。着せた姿もすごい可愛くて、可愛い可愛いひたすらずーっと言ってました。(親バカですね)そして調子にのった私は何点か手元にあった生地を使って製作。「販売してもいいですか?」と許可をとり、minneで売り出しました。子育ては上の子も下の子も赤ちゃんみたいな感じで毎日忙しかったけど、すごく兄弟仲良しで、いつも一緒に遊んでいる。2人とも本当に可愛い!兄弟の育児も楽しくスタートできました。
そして間をおかず3人目の妊娠。(私は注射が世界の何よりも苦手で、かつ5人兄弟の長女でワイワイ育ったため兄弟も欲しかったので、20代のうちに3人産む!と子供の時から決めていたのです。)3人目は女の子。ピンクのベビー袴にフリフリをつけたデザインで作りました。とにかくベビー袴は可愛い!そして使いやすい!めっちゃ褒められるし最高!と思っていたので妊娠中から生地を買いに行って製作。ブルーとピンクのフリフリで小花柄を散りばめ、とにかくゆめかわなデザインに。退院時に着せ、助産師さんや看護師さんに褒められ、お宮参りでもいろんな人に褒められ、七五三でも写真をとってもらったりしました。3人目もやっぱり可愛かった・・・赤ちゃんって最高!そして、こんなに楽しく子育てが始められたのはベビー袴のおかげ!ちょっと汚れてもすぐ洗えるし♩いいものができてよかったな~なんてお気楽に考えておりました。
ここまでベビー袴のおかげで、トントン拍子に子育てがスタートできた私ですが、ここである子育ての壁にぶち当たってしまいました。退院後家に帰ったら、とにかく全然手が足りない!!!3人の子供の同時のオムツ変え、3人同時のお風呂、離乳食、ご飯、ミルク、夜泣き・・・外出ができないので2人乗りベビーカーをネットで探し、抱っこひもとの合わせ技で移動せねばならず。当時夫の仕事の都合で田舎に住んでおり、車を運転していたので、チャイルドシート3台に子供を乗せて運転しながら寝かせ、1時間かけて運転してマックかスターバックスのドライブスルーを買って、子供が寝ている間に海辺の駐車場に車を停めて飲む、というただそれだけが、唯一の休息の時間。買い物もネットスーパーを駆使して、生後一ヶ月くらいまでなんとか暮らしていました。でも全然自分の時間がないし、夜も寝れないし、誰ともずっと話さないまま一瞬で一日が終わってしまう。夫は仕事が忙しく、当直もありとにかく家にいない。家にいるときはとにかくよく子供を見てくれ家事もしっかりしてくれるいいお父さんなのですが、週6日は全く頼れず朝から晩まで一人で子育て。ちょっとネットやインスタを見れば楽しそうにみんなキラキラ社会人をしていて、なのに自分は朝から晩まで何一つできていない。家は今日も散らかり放題で3人の子供の泣き声だけが家に響いている。とてつもない孤独な育児に陥ってしまったのです。
そんな状態だからネットショップも続けられるわけもなく、一時的にショップを閉鎖する事態に。とにかく落ち込んで深い深い悩みの谷底に沈んでいました。でも友人も忙しそうだし、インスタだけが世界とのつながりになっていたので、色々作ったご飯とか、お花とか、子供の写真、風景の写真を投稿して、数少ない友人のいいねをもらうことだけが社会とのつながり、心の支えでした。
ギリギリの精神状態、もう耐えられない。自分がコントロールできず子供に怒鳴ったり叩いてしまいそう。何もかも放り出して逃げてしまいたい。でもできない・・・。そこまで追い詰められて初めて、子育て支援施設のドアをくぐりました。3歳1歳0歳の3人の子供を連れてボロボロの私に、子育て支援センターの職員さんは「よく頑張ってここまできてくれましたね。とてもえらいよ。もう大丈夫。」と優しく声をかけてくれました。もう職員さんの前で大泣き。張り詰めていた糸がプツンと切れて、ワーワー泣いてしまいました。本当はもっと早く1人目の時から気軽に子供連れて行けばよかったのに、なんだか敷居が高いし、地域の知り合いもいないし、自分も若くて一人で子育てできる!と強がっていたし、言葉の通じない3人連れて初めての場所を調べて行くなんてハードルが高すぎて・・・育児でノイローゼになってしまう前に本当はもっと早く行くべきなのに、子育て支援の場にすら行けなかったんですね。
勇気を出して子育て支援の施設に相談に行って本当によかった!相談の間、子供達は別の支援員さんが見ていてくれ、育児からいっとき離れて休憩もできました。私は子供の発達のこととか、イヤイヤ期の対応の仕方とか、ネットで調べた情報では全然太刀打ちできなくて、ただ圧倒されるばかりでとても困っていました。相談員さんがその時にしてくれた子育てのアドバイスは子供との接し方を学ぶ大きなきっかけになりました。私はそれから何度か通って、少しずつ落ち着いて子育てできるようになってきました。それにちびっこ3人連れ歩いてるのにびっくりした地域の人が毎回可愛いね、と声をかけてくれるのが嬉しくて、毎日のように近所のスーパーや公園、図書館を散歩をするのが日課になりました。
そんな時のことです。夫に再び転勤してくれませんか?という話がきました。(1年ちょっとしかまだ住んでないのに!)しかも、話を聞くと急遽欠員が出て・・・めちゃくちゃ忙しい職場に呼び戻されてしまう!私は夫と話し合いをしました。これ以上、忙しくなったら、私もあなたも過労死してしまうよ?(本当に追い詰められてますね・・・)
そうして紆余曲折あり、東京に引っ越してくることになりました。東京は新卒で入社したアパレルの会社で働いていたことはありましたが、2時間電車に乗って通勤していたので、住むのは初めて!ものすごい田舎の山や田んぼの中でポツンと暮らす毎日から、高層ビルがたくさんあって多くの人がせかせか行き交う場所での毎日へ。そもそも茨城出身で東京が住める場所だとは思っていなかったけど、すごくたくさんの人が住んで、通ってきていた!毎日が刺激的!典型的なお上りさんなので、ベビーカーと抱っこ紐スタイルでいろんなところに出かけよう!と意気込んでいました。最初は。
子供達は環境の変化にびっくり!大自然の中から都会への引っ越し、引越しもほぼ一人で片付けたのですが、とにかく子供達が荒れて荒れて・・・夜泣きはする、謎の原因不明の病気にかかる、発達検査は引っかかる、ご飯は食べない。脱走したり地面に寝転んだりおもちゃは散乱し、イヤイヤ期もありトイレトレーニングも進まず、あちらこちらで泣き叫ぶ声が聞こえるけど私の体は一つしかない。とにかく毎日が地獄絵図。もう育児の大変さはMAXに突入。夜寝静まった一瞬と、3人で仲良く遊ぶ可愛いほんのいっときの瞬間に癒されるけれど、それ以外はもう目も当てられない。マンションの隣のコンビニにも行けない。道ゆく人が「頑張れ!」と飴ちゃんを渡してくれるのが心の支え。子育て支援の場に時々大泣きしに行く。(本当に居合わせたスタッフさんには申し訳ないと思いながらもギリギリすぎて・・・)寝ていないので記憶もかなり飛んでいて、写真を見ないと断片的にしか思い出せず。上の子は年少の年になり、なんとか近くの公園でママさんたちから情報を得て、教えてもらった幼稚園へ途中入園。幼稚園の先生たち・・・もう神様にしか見えません!
そして、怒涛の幼稚園生活でも、さらに色々あるのですが長くなるのでまたそのうちに。上の子たちが小学生、末っ子が幼稚園年中になり、いよいよ赤ちゃんではなくなり育児の質が変わってきた、でも一番辛いところは抜けたかな・・・いま私はそんな段階です。子育てしながら子どもにたくさん育ててもらった10年間でした。
この10年間、めちゃめちゃで忙しくて体力勝負で辛かったです。でもそれ以上に3人の子どもたちの笑顔が可愛くて、楽しい瞬間もたくさんあって、地域の人に見守られながらなんとか日々をやり過ごしてきました。そんな育児生活だったけど、かなり幸せだったと思います。今の私があるのは本当に助けてくれた心優しい地域の人たちとママたちのおかげです。そして、その状況をわかった上で服を作り続けられるように衣装のオーダーを頼んでくれた知人友人にも感謝しかありません。自分にできることで恩返ししたい!今育児真っ最中で日々頑張ってるママたちを助けたい。そのために私ができるのはママと子供のための服作り。そうして再びヒトノワHITONOWAというブランド名でショップを再開することにしたのでした。
ショップを休んでいる間にベビーの袴はいろんな人が代わりに作ってくれて、少しメジャーな存在になっていて驚きました。雑貨屋でも手に入るし、都心の百貨店でも結構な金額で売られていて、いろんな人が必要として声をあげてくれているんだな、とわかりました。
でもまだまだ知らない人もたくさんいると思うし、皆がショップまで足を運べるわけではない。コロナと少子化ダブルパンチの世の中で孤軍奮闘しているかつての私のようなママさんに届けるために、もっとできることはあるはず。型紙は度重なる引越しでも大切に運んできたし、作り方もしっかりまとめてあるので、minneでこの度オーダーメイドを再開します。
ベビー袴のオーダーページ
https://minne.com/items/2277873
思い出の元祖ベビー袴や、ママのためのワンピース、オーダーメイドで世界で1着のもの、少しずつ必要な人に届けられるように、進んで行けたらいいな。楽しくて幸せだけどものすごく大変な子育てを乗り切る力に必ずなってくれると思うから。小さい時本当に可愛かったな~とベビー袴着用の子供達の写真を毎日見返してほっこりする毎日です。でものんびりしている暇はない。ここからがスタート!
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!みなさまの子育て応援しています☺️
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