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火星星座と肉体の性別・内側の性別

今回は女性からみた火星のお話です。

女性の場合、火星星座が好みの男性とよく解説されています。


1. 火星蟹座の特徴



自分の火星は蟹座です。

蟹座的な男性が好きになりやすいです・・・という事。

でもあまりピンと来ないんですよね。

自分は、「ノーアスペクト火星」です。

他の惑星と連動しておらず、「ぼっち状態の火星くん」です。


ぼっちくん火星は、ソロパフォーマンスにみたいに発揮されて暴走気味になるか、男性からパワハラかDV受けやすい性格であるとか。

と思いきや、ほとんどやる気0状態であるように見える事も。
なんだか、極端ですね。

そして、同性から、男性に対する態度を叩かれやすい傾向も。

DVに合う傾向も高いみたいです。

悪い意味で、
ぼっち火星蟹座は"受け入れることに貪欲"というのかな。

むしろ、この火星に対して自分に感じるのは、好みの異性のタイプではなくて、

自分の中にある男性性の性格要素に近い気がするのです。
異性に対する理想ではなくて、自分の男性性への理想を指してるのでは?
 

相手が女でも男でも、相手にある女性性に対して自分の男性性が「応えたい」という願望がある。

それが、「守りたい」この人を守りたいと思うベースになっている。

もちろん、その逆もあって、
相手の男性性に応えようとする自分の女性性格も感じ取れる。




2.自分自身とパートナーになる、本当のパートナーシップを考える


私が、私の中に"僕"をみつける。

それは入れ替わる為の人格ではなくて、理想と私の中間のバランスに存在する性。目には見えないもう一人の自分であり男性の自分。


彼は「自立」を求める。

経済的なとこを私は考える。

けど、彼はこの世界でその姿のまま共に、私と共同で同じ肉体を共有しながら表現することを求めた。


自分の中にある個としての性(男)と肉体の性(女)がパートナーになっている状況。


私の性のエネルギーは他人には向かわず、自分の中で循環している。

外からの要因(月の満ち欠け)などを肉体が受け取り、五感をとおして”性のエネルギー”が沸き起こり、チャクラで肉体と精神と心を浄化させ満たす。

(この自己のうちで起きる浄化作用、癒しの循環も深い関係性があるように個人的には思うところですが、今回は端折ります)


3.性エネルギーを生エネルギーへ変換する


第二チャクラの「私はここでこの性を生きる」という意思にかなり直結している。


性のエネルギーの発動が他の人間(男性の肉体)ではなくて、自分をたらしめる、内側の要因と外側要因のごく狭い境目に集結されている、そんな感覚もある。

自分の中だけで、性欲エネルギーがチャクラに転換してる気がするんです。


世の中のありとあらゆるものに流れや、サイクルを私は感じとるのだけど、そうした流れの一つであるのではないか?


チャクラも、惑星と何かしら繋がりがあると思う。

そして、こう感じるのも、女性の肉体に私が入ってるから、そう感じるのかもしれない。

4.性エネルギーがやがて変容するものとは

火星は蟹座の表現力の、
"受け入れることで己の器を知る"へ向う。

蟹座サインでなくとも、火星の働きかけから学びがすすめば、生きる土台にプラスして"自分への許可"の自己受容から器への形成へ入っていく。


その過程で、自他を超えて普遍的な愛の表現へと昇華されるのではないでしょうか。

その普遍的な愛は、慈愛と慈悲に繋がる。

これが自身の器に満たされ溢れるときに、他者へ限りなく注ぐことができていくのではないか。


それは、現実の世界の理性という分離の力が働く中でも繋がろうと働きかける力という側面でもあります。


5.自他を越えるエネルギー

火星は、蠍座の副支配星です。

蠍座のもつ能力に火星の特性も出ていると思われるのが、

"他人との一体化するエネルギー"

どちらの星座も水星座で感情をつかさどりますし、
蟹座は自己の沸き起こる感情の発見をするサイン。蠍座はその先の他人と自分を認識し、個別にある感情を越えるパワーをもちます。

私は、アセンダトが蠍座なので、より一層そう感じ取りやすいかもしれません。

性の力は第2チャクラの生きる喜びと輝きに満ちた力の源である。



6.自分という所在

世間的には性・エロスの対象は自分ではない肉体が対象。

その分離した肉体に自分の欲をぶつけたい衝動と、相手の反応をみて、自分が存在しているのを感じ取り"生きている"と言うライブ感を感じているように見えます。

(もちろん、そうじゃない人もたくさんいるだろうけど。)

・・理解できる人は少ないかもしれない・・・

自分の肉体と存在感を、自分自身の内だけで感じるからこそ、それだけでエロスなんですね。完結してる感があるんです。


”自分という枠”を、感じ取る空間が人格(内面の世界)と現実(外の世界)の間にあるようで。

自他の区切りが境界線と表現するなら、

私という者は、その境界線の線ではあるけれど、その線はかなり広い面積をもったような空間だとしたら・・・

そこでは、人間の五感と世の中でのモラル的な摩擦がある。

つまり、理想と現実の葛藤という戦いがある。
(魂のあり方と実生活の維持の葛藤も)

女性での火星が異性のタイプだ、の話に戻りますが、

もともとが、他人に期待を持たない性格なので外にいる男性に好みとか、タイプが、という思いがないです。

好みというものは、期待を少なからず含むから。

強いて言うなら、中性的で女性的な雰囲気の儚さがある方に興味は持ちますが、そこまでです。

興味を持つ、その相手に接点をもったとしても行き着くのは

「自分の育む糧はそこにあるのだろうか?」

という行動原理があるから。


その糧も自分の中にある肉体のない性に個を与えていく。

私の中で、男性性が一人の人間のように意思をもち主張してくる。その主張は信念をさらに深く強くさせる。


なんだか恋愛的な異性の見方としては規格外な見方をしているようにも思えてきます。

ひとりぼっちの火星と並んで在るように、
私という人格も、またどこまでも「私」しかいない。
そんな世界に生きている。(これはアセンダント蠍の作用も混じった心理かも)

恋愛であれ、それ以外でも、他人という相手は、自分を省みるだけの気づきと学びの関係であることに落ち着くのだ。

もしも・・・誰かに惹かれる状態の時、相手が男ならその方の中にある、女性的なモノに引き付けれらる事はあります。

相手が女性なら、男性性がどれだけ成長しているのか?なんて見方をします。

どちらでも、肉体的な性というより

相手の中にある女性性と男性性のバランスが気になるし、それに私の男性性と女性性が共に反応している。

その経験は

「個性は外にある、外に出すものでないのかも。一人の内に在る分だけ存在するようなものかもなぁ。」

なんて思ったりしてます。

7.コンプレックスの中に潜む純粋な魂の願い

私の場合、実は…

根本的に男性に対して攻撃的である。

拒否感がある。(コンプレックス)

それが包み隠しのない異性への心の態度なんですね。(人前では必死に隠してますけどね)

これはつよいです。なので他人には知られないようにと、作られたのが虚像のような、ホログラムの蟹座っぽい男性像。

それをとりあえず無意識ではあるけど、認めておいて自分の性格の一部にとりこんだと考える。未熟な自分の男性性の理想像として作り、それに準じて振る舞おうしていた。

(この時点では、内側に肉体のない性など感じ得なかった)


では、私の中にあるホログラムな火星蟹座(理想の男性像)とは?

簡潔にいうと、”否定せず、受け入れること”のできる人。

昔から自己主張できない私は尚の事、この理想に苦しむことになった。

「理想を追うことの苦しさなぜあるんだろう ?」

この苦しみは怒りと繋がっている。怒りの根源(火星の要素の怒り)は、理想のあり方と持ち方に問題があり、ここから始まっていることに気づいた。

そして、いつも結果的には、「受け入れ守ろう」と理想に準じてこう行動してみるが、上手くいかずに守りが反転して、守っていたモノにたいして反撃したくなるんですね。(実際に責めないですが内心で相手をメタメタにディスる事も・・・これものちに自分を責めてしまう要因になっていく。)


そんな私には、核がないのです。

自分の守ろうとする行為の奥底には、守るという理解が上っ面だから。

守ろうとしている対象が他者であると思っているが、突き詰めれば、守ろうとしているのは、「誰も守ってくれないんだ。」という自分自身を守りたい。というカラクリ。

それに気づいた時、絶望的だった。自己愛的、エゴイスト、誰も愛せない人間なんだ、そう思った。

"絶望から逃れて生きるために、自分に生きる許可を誰かに求めている。"

そういう状態だった。

「それでも、そんな自分でも自分を受け入れたい」そう自分自身に願った。

これは願いで、願いとは、”転換するポイント”でもある。

人はだれしも純粋な願いを持っている。(理想ではない魂の願い)

純粋なものこそが人を動かし動かされるから。その法則は自身にも当てはめることができる。

「自分で自分に許可しよう」そう転換したとき、この火星蟹座のホログラムは自分を隠す虚像から、器へ変容した。

その器に注ぐのだ。

自分の火星の力が働き内面的な己との葛藤の中で、戦い勝ち取ったものをその器に注ぐ。

内面に眠る自身の本質は、外の事象や他人、物質を通り目の前に現れる。その時に、自分のうちへ帰還するモノは普遍的なモノではないだろうか。

8.老化の過程が魂を輝かせる

ここで一つ重要なのは火星が活性化するのが、約35歳から45歳くらい。その時期に火星をより意識しやすくなる。

中年期に性エネルギーが乱れやすい年齢期でもあるのは、肉体的変化と火星の力を意識しやすいからなんでしょうね。

老化というとマイナスなイメージですが、老化は「生死の中庸的な学びの時代」だと受け止めています。

論語の孔子の言葉に

「私は15歳の時に学問を志した。30歳で精神的に自立し、40歳で迷うことがなくなった。50歳で与えれた天命を理解し、60歳になれば人の意に耳を傾けるようになった。70歳で、心で思うままに行動しても道徳的な道を踏み外すことがなくなった。」

この生きることの孔子の言葉に火星は目覚めと学ぶべきことを人間に訴えているようにも感じました。

性エネルギーですが、この社会とこの世界での歴史で随分捻じ曲がった意味として捉えられています。

世は性にオープンに。グラデーションと言いますが。

在るが儘だと思うんです。

性は個を存在させ統合させようとするためのエネルギー。

自分の中にさえある、個を知る力。
個と個が摩擦する時に発せられる熱そのもの。

自分の中にある女性性も個であり、男性性もまた個であると見ている。

そのエネルギーのあり方に向き合い、

取り組むことが「自分が自分として生きていくことに許可」するプロセスも組み込まれているように思うのです


だからこそ、世の中年世代さん(私も。)今こそ自分の生きるエネルギー(性エネルギー)が肉体のどの年代のステージにあるのか?と向きあってみよう。きっと、生きる力の見え方が変わってくるでしょう。


9.怒りを導くものは支配かセルフコントロールか



火星の特徴の瞬発力や体を動かすは、性的な行動にも直結しますが、応用もできます。体を動かすスポーツなど。

ぼっちタイプの火星は、”修行的”にこの働きをします。

ここまでの内容は、まさに修行的な見方で取り組みだよねって思う。

こういう思考回路もヨガや水泳、ランニングの時にふと脳内に浮かんだものから。

孤独なスポーツは動く瞑想とも言える。
同い動きを繰り返したり、呼吸に集中するものはそういう”ひらめき”や”境界線の奥行き”を体感させるからだろう。


男性でぼっち火星、アウトオブバウンズ火星であると、スポーツ選手だったり、格闘家になったりする。

性のエネルギーを生きる力に転換して、理想と現実を上手く生きる調和したライフワークになっているんでしょうね。



火星の力の一つ「怒り」は「変容」への始まりでもあります。

その怒りが眼に見える爆発的なものでなくても、「違和感」として存在する事もあります。

ここで、それを無視していると、自分のうちで自分の根底に転換できないと、そのぶんの怒りの力は他人へと向けられる。

「どうしてわかってくない?」

「愛されていない」

「居場所がないようにおもう」

も根源はそこにある。

憎しみ、所在なさ。


でもちゃんとそれらを解決し、プラスに転じるチャンスは誰にでも平等にあるんです。

火星を通して、自分のマイナスを先に見出し、中年でどれだけその項目を生きる活力に活かせるか?という人生の仕事がやってくるのです。

この向きあいと、理解があってプラスに転じる。


ある意味人生の好機でもある。

転じて、プラスになっているかは、

自分で自分の行動を愛せるか?そのプロセスで、自他ともに心から喜べることがあるか?

が見極めるポイントです。

ここに本当の「喜び」があるし、その喜びは生きる活力の糧になる。自分の存在を自分が受け入れている土台が出来上がる。

10.その理想は個性か虚像か

火星蟹座の話に戻るが、

火星は好みの異性のタイプではなく、自分で自分の男性性をホログラム的に確立してそうあろうとする行動心理そのものと言える。

火星蟹座である私には、

蟹座のような、やわらかさ、受け入れる、おおらか、な人物像が自身の男性性に理想として現れています。

けれど、あくまで心のうちのホログラムであり、理想。

ここで、一つの罠が「理想と一体化」してしまう事。


理想は、人生のペースメーカであると私は考えます。

ですから、自分とは個別なのです。一体化してはいけないのです。

人生のマラソンコースをどう走っていいのか迷ってしまうから。

若い時は理想に打ち砕かれます。(20歳〜
30代前半までくらい)

火星の活性化の前に
25歳〜35歳くらいで太陽星座の活性化があります。

"社会でどう自分を確立させるか"

の挑戦が先にあるのでその経験から、火星へと続く。

社会へ立ち向かう個人から、世間で自分と他人との摩擦にあう。
そこで、原型のあった異性の姿が理想としてたちあがるのではないか?と私は思います。


否定的である自分を嫌われないよう、受容的であろうとか。

雑でだらしないからこそ、清潔にこだわらねば。とか…。


同族嫌悪もこのあたりで繋がりがありそうです。


本人の自覚しきれていない、けれど感覚的に先にのんとなく感じている自分の認めたくない要素は、それこそ本質にもっとも近い。

だから、苦しくなるのを予感して避けたがる。それ以上自分の核に迫ろうとする恐怖感。

ここをこえるには、それでも真っ直ぐにみつめなくてはいけない。それが出来るのは本人だけだから。


惑星の力を発揮する12の星座というスタイルの要素こそが良い悪いを超えて、本人の隠している本質に繋がっている。コアな要素。


わたしの経験では、理想を理解するまえにぶち当たり、理想に苦しむことが多かったので

「いっそ捨てて持たずに生きてやる」

くらいだったのですが、そうすると、惑星の力(自分の本質と持っている力)をも無視してしまう。

自分の居場所がみつからなかったり、壁をむやみにつくり外の世界と共感しずらくなります。

生きづらさが日常を支配していくことに行き着いてしまう。より多くの人はここで、依存や支配へ意識を変えてしまう…。

ここを、自らへ切り返す。外へ他者へ向けたくなるのですが

自分の内で「人に分かって欲しい、理解し繋がりたい」と思うぶんだけ自分の苦心する核へ立ち向かうのです。

それが本当の勇気で、男性性の核になる。


そこまでくれば、性エネルギーの変化した器もあるし、存在する意識から男性性の核も備えてることに再発見できたなら

その頃には、自他ともに何かを許せるし、認めることのできる人間にまで到達している。

生きること生かされることで大切な核によりそって生きようとするとき、正しくあるならば全て行いは副次的な成長も伴う。

11.怒りとトラウマを火星の情熱で燃やすとき


自分の中にある火星蟹座の男性像は実態がないホログラムだったとしても、自分の一部なのです。(これはどの星座サインでも共通)

では、いつ「彼」は現れて、外の世界とどのように接触したのか?



誰しもがもつコンプレックスとトラウマは、魂と心を深く繋ぐ抜け道

と私は考えます。

彼はじぶんの理想として私の対人の人格の一部としてあった。

自分の過去から紐解いていくと、つまりトラウマがありコンプレックスが生まれた幼少まで遡るとします。

幼い頃から男性に対し敵対心があった。とくに大人の男の人には攻撃的でした。「近づかないで」「話かけないで」「見ないで」といった感じ。

小学生の時初めて担任の先生が男だった時は、衝突がすごかったですね。ちょうど10歳の頃なので特に異性を意識していたし。

そのような心理になった土台も、私には父親不在というコンップレックスがあったから。暴力を受けるだけの関係性でした。

母子家庭の中で、母自身も「男なんかに負けるな」と私に言いつつ、弟には「男だろ」の差別的な態度で厳しく接していました。

なので、気づけば「男なんて」と敵視し、負けてはいけない。と心理の奥底で基盤が作られていった。

けれど、そんな基盤自体に自分が一番嫌気がさしていたことに、ここ数年かけて気づいた。

その男性への全否定が逆転して「全肯定する」の自分のうちでの虚像が成り立った。それは逆転であり、救いのような自分んの為だけの理想。

ぼっち火星の特徴でもある「自己主張できない」もあいまって、
他人に否定を出せないが為に、自分を変え続けることで受け容れてきた身代わりの虚像(ホログラムな蟹座の人物像)が限界をむかえる。

嘘というもの、嘘にまつわるものには、それ自体に核なるものを持てないから脆い…。


抜け道に入るとき大きな怒りが現れる

現実で最近体験した事なのだが、
仕事で無理な対応を迫られたりする事が急に増えた。しかも、男性社員から。そんなことが半年以上まえ続いていて、ピークを迎えていた。

「自分が耐えればいい。自分が相手を拒否しないように努力すればよい」
そう思えば思うほど苦しさと怒りがつのる。

それは、やがて事がエスカレートしていくことに、耐えられないくらにになった。(怒りメーターが振り切れそうになることが繰り返される)

仕事中にも関わらず、普段温厚マイペースの私でさえ、愛想笑いも消え失せ、クビになっていもいいからその場で反論しそうになった。反発したくなった。それ程に頭に血が上った。

その怒りの対象は相手の性格もあるが、相手のうちに「情熱のなさ」が垣間見えた時にさらに怒りが増す…。

「お前は、生きる情熱を放棄するのか?」と思ったんです。

でもこれって自分自身にも同時に反響していたんです。(魂の声は自他ともに反響する)

「自分よ、自分をだせよ。それがお前の戦うべきことなんだぞ」と。
現実から内面世界が連動していた。

これもあとから気づいたことですが。

ブチギレへの爆発にならず、助けになったのは、「仕事への自信」「任された事が自分の中で責任を持てること」への実感と手応え。仕事で生じてきた結果について”喜び”が存在したこと。

そこまで、知らず知らずに積み重ねていたものが自分の中に確実にあった。

もともと喜びに対して、無頓着な性格なので、
(現状を悪化させないようにとか、よりよく成るために気ぬかないぞ。と、そっちにエネルギーを向けるので。私の金星乙女座と1ハウス射手座と天王星の影響かも。)

この体験と同時に

喜びに対して、初めて実感を持ったくらいです。

もちろん、喜びという視点がなければもっと悪化していただろう。

それを気づかせてくれた恩人が職場にいた。
その人と出会い、たくさんの会話もあってそこで得た知識が私を冷静にさせてくれていたのもある。

そしてその人は喜びについて、私に新しい視点を持たせてくれた。

その人は、とても美しいです。そして力強い。私の理想に近い。もう一人の自分をその人の内に見ることもあった。

自分と世間への在り方、理想との距離感のとり方や、対人においての心の余白スペースがあることにも気づかせてくれた。


12.自分自身へ発揮するリーダーシップ

本来私という人格が自信もない、引っ込み思案気質であったとしても、
それでも任された仕事に対して、自信のなさよりも、人に尽くしたい、人に楽しみを届けたい。

いまの自分を超えたい。

その思いで、自分のスキルと知識の限界に挑み続けてきた。

動機なんてそんなもので、自信もクソもない。やるかやらぬか。(これも火星の働きかけの心理、闘争心)

私には、"自分"というものが人よりわからない。

そう心得ている。それもあって自信はない。それを全面に出していても、なにも救われない。

「私が私を救いたい」と自ら願ようになった時、

なんだか、自分のなかで覚悟が出てきた。

"できるからやる" じゃなくて、
"自分の為にやろうとする事があるからやるんだ"。

と意識が変容した時に、自信のない自分への挑戦が出てきた。

それも、火星の要素、"行動力と挑戦"が、これまでの保守してきた自分との戦いになっていく。

そこに他人は居ない。ひたすら、抜け道から入ったルート上で独り向きあい戦い、挑む。終わりもない。

無闇な戦いではない。惑星のもたらしてくれる事象には、この世界で存在することの肯定感を気づかせてくれることばかりだから。

火星は、私の場合

自分自身へのリーダーシップと、パートナーシップを学ぶことを教えてくれた。

その道は、我々が個々に持つ太陽星座への能力の理解と魂の仕事へ通じている。

何者でもない。何者にもならないし、人間の枠を超えてもいい

自分が無い。わからない。
いいじゃないか。"わからない"と"無い"の感覚を持っているじゃないか。必要なのは、こういう時こそ"耐える"こと。
自分自身に辛抱強くあれ。自身の持つものを細分化しれ見つめる。気長に。

自身を今一度手足のない存在としてみてみるといい。
肉体有りきの存在という思い込みが先にあったのなら、壊してみようか。と私は私に語る。

そして、うちにいる私は肉体有りきの私と、純粋な存在の私とをみわける。

己の内に在る"私は私をたらしめるモノたちのリーダー"であるべく振る舞う。

世界に否定ばかりする。

それもいい。否定はいまの自分を知る境界線を描く。自他を分けながら、統一しながら同時進行で世界を受け入れて、突き放して子育てしているのだ。そう思う。

"自分を形作る要素そのものを育てるのだ"
同時に一挙に手放す、覚悟を持つ。

その両立を目指している。
目的は自立だ。

人の男性性と女性性の両立こそ、自立の基礎。精神の自立から、これからの生活収入の方法、生活スタイル、社会との関わりの位置付けが解き明かされていく筈だ。


過去の私は「人を愛する資格もない。愛せる力もない。」と思い苦しんだ時間もありました。
けど、もし同じように悩む人がいたなら、

自分に生産性がないとか、価値がないとか、無能だ。無学だ。と悩む人へ


「大丈夫だよ…」と伝えたい。


誰にでも、あなたがあなたとして存在するために秘められている力があるんです。

攻める者も、否定する者も、己自身を恐れる心から生まれた者に過ぎないから。

自分と他。その摩擦熱は、怒りの火種やモヤモヤさせる悩みのタネだけど、向き合い獲得し、地に足をつけて生きている感覚を自分に目覚めさせる力です。

火星はそれを導いてる。

是非、自分の火星に興味をもったら向き合ってみてください。
きっとモヤモヤや違和感が、安定感、静寂、しずかな喜びに繋がるヒントがあるはずです。


最後まで、読んでくれてありがとうございます。

何かあなたのヒントになることがあれば嬉しいです。

おーん。






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