好きな歌に好きを言いたい【番外編:あみもの第三十一号より】 2020/08/06
御殿山みなみさんが発行されている短歌連作サークル誌「あみもの」、こちらは固定メンバーなし、提出義務なし、誰でも三~十五首の短歌連作を投稿できる月一回のサークル誌です。
今回は最新号「あみもの 第三十一号」から、気になった歌・連作をピックアップしてみたいと思います。Twitterで流したものの再掲なので、制限された文字数に納めるよう書いており、それゆえ言いっぱなしな感じになっていますがご容赦ください。
トンネルと短い問いとFMと短い答えとトンネルの出口
/さよならあかねとたろりずむ
前の歌で給油しているので、車でのトンネル通過だろう。FMは雑音だらけ、声が聞こえづらくて自然と会話は短くなる。単語の羅列により、トンネルの中だけ車内の空気が微妙に気まずくなる感覚が伝わる。
コンビニへ行こう行こうと思うのに今日も花屋がやたら手を振る
/八重柏誉一
花屋の店員が実際に手を振っているのではなく、店頭の花々に呼ばれる感覚をそう表現している、と読んだ。生活必需品を売るコンビニへ行きたいのに、それより花に惹かれてしまう主体の心の内を想像させられる。
半夏雨眠たいところにのどぼとけまた触らしてくれてありがと
/のつちえこ
のどぼとけは基本剥き出しなのに、相当気やすい仲でなければ触らせてもらえないパーツだと思う。梅雨の明ける気配がない陰鬱な気分の中、のどぼとけを触っても嫌がらない相手のいる幸せが、ささやかでうれしい。
揺れる 世界 /さはらや
一首ひくよりも連作で見てほしい作品(なのであみもの31号を見てください!)バランスボールの左右にある似て非なる世界、そのあとの三首の、半歩下がったところから見ている感じも好き。
こんな曲が五年前からあったんだ、って五年後も思うだろうか
/橙田千尋
五年後に「これ五年前からあったんだ」と思うかもしれない曲は、すなわち現在作られている曲ということになる。今作られて五年後に知る曲、それを今知ることはできない。中身不明の箱を持たされている感じがする。
信号が黄色に変わる瞬間を渡りつづけて止まれない街
/三浦なつ
信号が赤じゃなくても止まっていいのに(もし歩行者なら尚更)、でもずっと赤信号にかからない時って何となくそのまま進んでしまう。休みたい気持ちを持ちつつ環境に流されて止まれない、というのは比喩なのかなとも思う。
糞のカノン /若枝あらう
さはらやさんのと同様、これも一首ひくより連作通して見てほしい作品。俳句で同じ季語を上句使い、中句使い、下句使い、で3パターン詠むのは見かけるけれど、短歌ならこの手があったか、と。自分でもやってみたくなりました。
人間を好きになろうとしてるんだ全身で鳴る打ち上げ花火
/ひろうたあいこ
打ち上げ花火ほど、擬人化して悲しいものはない気がした。木っ端みじんになって初めて価値があるなんて。それでもこちらを好きになろうとするのか。もしそういう人がいたら距離を置いてしまうかもしれない。
この腕が食用になる世界では希望が満ちてきちんと死ねる
/瑠璃紫
自分はなぜ生まれ、育てられたのか。その目的が[食用]とはっきりしている世界のほうに生きやすさを感じる、それは裏を返せば今抱えている不安の表れということになるのだろうか。少し怖くて何だか惹かれる歌。
引力を見出すならば雨でいい 雨でよかったはずだったのに
/松本未句
リンゴは落ちるのになぜ月は落ちてこない?が万有引力の法則の発見というけれど、なぜリンゴ?雨でもよかったのに。でもリンゴだからこそこの話がここまで流布しているのかも。雨は気にせず今もどこかで降っている。
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(「あみもの 第三十一号」へ寄稿した自作「獣の声で歌え」はこちら→)
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