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4C読書:「努力論」幸田露伴著を読んで、

私は「努力」という言葉について、

「努力します」を言い訳けの言葉にしないで、やることを決めて、それに必要なことを分析し、早速に実行すれば良い。自分に出来る粒度に行動を細分化、具体化して、それを一つづつ積み上げるなら、結果はついて来るものだ!

30年以上のサラリーマン経験において私は「努力など要らない」との極論を、自分の周りで振り回していました。

出会ってしまった!

 神宮外苑の銀杏が黄に色ずく日曜の午後、新宿の紀伊国屋で「努力論」〈幸田露伴〉に目が止まり、このシンプルな名の本の前から動けなくなりました。

 本の内容を一言でいえば「幸せになる方法」です。

 冒頭の一文は次のように言います。

努力こそ人を幸福にする最善の道。

幸福三説

幸田露伴は、この本で幸福三説を説明しています。

1.惜福しなさい
2.分福しなさい
3.植福は他を凌駕する

ですから、「植福の説」を読まない訳けには行きません。
「露伴さん、どのようなことを教えてくださるのですか?」

世の中のためにあなたは何ができるのですか?

幸福の種を播いた結果は「惜福」や「分福」をも凌駕する

このように仰るのです。

 他人が幸福であることは、それほどに羨むことではない。「幸福である状態」とは、放たれた矢が天に向かって昇っている状態と同じで、力が落ちた時に矢は落ちることを免れない。

と、言います。

 いま、健康であっても、健康で在り続ける状態を失えば不健康になる。
 いま、どれほどのお金を持っていても、それが段々減るのなら、心は幸せを感じられません。「有福」とは、いずれ失われるもの。

「惜福」は福を失わないように惜しみ保つこと。
「分福」は福を他の人と分かち合うこと。

そして、「有福」「惜福」「分福」などよりも卓越している、良いことが「植福」です。

「植福」とは、自分の力や感情や知恵をもって、世の中に対して吉慶や幸福をもたらす物や作品、知識や情報などを寄与することです。
つまり、人の世の慶福を増進し、成長させる行為を「植福」というのです。

人類の歴史を変えた「植福」のパワー

 人類には「植福」の精神や作業があったから、他の動物とは異なることができました。
文明というものは、すべて、ある人々が福を植えた結果であり、
災禍というのは、すべて、ある人々が福を植えなかった結果です。

 「植福の工夫」をすることで、初めて人は人としての価値が生まれるというべきです。

 福を有する人は、福を失うこともある。
 福を惜しむ人は、福を保っているだけ。
 福を分ける人になって、人は他人に福を施すことができる。

 福を植えるに至って、福をつくれる人になるのです。

ただ、人間であることの証として、未来に種を播け!

感謝します

 今日も 本から大切なことを教えてもらいました。ありがとうございます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。



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