見出し画像

霊長類学は”オワコン”なのか!?【その3】:人間とゴリラが似てくる/似ているのはなぜか


「霊長類学は”オワコン”なのか!?」の記事も、これで3本目である。1本目は「霊長類学は自然科学として発展していく(べきな)のか」という問題を検討し、2本目では「山極さんはなぜあんなにゴリラに似ているのか」という人類最大の疑問から、生態的参与観察や「サルになる」こと、「自然がほほ笑む」ことなど、フィールドでサルを理解することの奥深さと醍醐味について扱ってきた。

3本目である本記事では、フィールドワークのおもしろさをわれわれはどのように表現して伝えていけばいいのか、という表現方法やメディアについて扱おうと思っていたのだが、よく考えてみると「山極さんがゴリラに似ていること」に関連した霊長類学の重大な問題が未検討だったことに気がついた。

一つは、そもそも霊長類学において個体識別や生態的参与観察が目指したのは「サルの社会とその歴史の解明」だったということであり、もう一つは、霊長類学に固有の問題意識としての「人間の進化の隣人としてサルを見る」という眼差しである。

そこで本記事では、この霊長類学の核心に迫る(かもしれない)「社会」と「進化」という大問題を扱ってみようと思う。ただし、いずれもきちんと論じるとむちゃくちゃ重厚になるので、ごくかいつまんでわかりやすくポイントだけ整理してみることにしよう。

なぜ人はサルに似ているのか:根源的問いにさかのぼる

サルになり、サルの社会に入り込む

日本の霊長類学が戦後すぐに始まったとき、その原初の問い「人間社会の起原と進化」であり「家族の起原」であった。この問いが持つ「人間はどこから来たのか」いう含意が、人々を強く惹きつけたことは想像に難くない。

この問いを立てたのが、日本の霊長類学のパイオニアである今西錦司である。今西はニホンザルの研究が軌道に乗るよりも前に、『生物の世界』『生物社会の論理』『人間性の進化』といった著作をまとめ、のちの日本霊長類学の方向性を定めたと言われる。そこで目指されたのが、ヒト以外の霊長類の社会構造とカルチュア(文化)の解明であった。伊谷純一郎が日本霊長類学会設立記念講演のなかで「今西先生がこれまで口を酸っぱくして言ってこられた“歴史主義的立場に立った比較社会学”という領域」(伊谷 1985「サル学事始めの頃と今日の課題」)と述べているように、「サルの社会の構造と歴史」の解明は、日本霊長類学の黎明期から明確に意識されていたと言ってよい。

しかし、日本霊長類学会が設立されたのは今西や伊谷がニホンザルの研究を始めた1948年から大きく遅れた1985年のことであり、その設立記念講演で伊谷があらためて今西が与えた初期の課題に注意を促している点は注目に値する。霊長類学の歩みの中で、当初の「サルの社会の構造と歴史」という課題への意識が退潮していることが見て取れるからである。

そもそも、日本の霊長類学がサルの個体識別を進めたのも、サル同士の社会関係を明らかにするという明確な目標があったためだし、またサルに感情移入したり生態的参与観察をすることで「サルがうつる」ほどサルに肉薄しようとしたのも、サルを身体化し「サルになる」ことで、サルの社会に観察者自らが入り込んで、その機微を社会の内側から理解しようとしたからに他ならない。

当然のことだが、山極さんも著書の中で繰り返しこの点を強調している。一例だけ引用しておこう。

人間の言葉に翻訳せずに動物を理解する

これこそぼくがずっと抱いてきた「社会とは何か」という疑問に解を与えてくれる学問
でした。こうしてぼくもサル学の世界に身を投じます。このとき、小学校時代に抱いた「動物を話をする」という夢も復活しました。

ただし、サル学で採用したのは、ドリトル先生とは異なる方法です。それはつまり、サルのやっていることを人間の言葉に翻訳して理解するのではなく、サルがやっていることをサルとして理解すること「君たちは、サルになり代わってサルの日々の生活を記録し、その歴史を編みなさい」。これは今西さんの有名な言葉ですが、大切なのは「サルになり代わって」の部分です。要するに、人間の立場のまま人間の目でサルの生活を眺め、それを記録するのではダメだということサルの群れの中に、群れの一員として入って、サルたちのやりとりを眺めることが大切なのです。

山極寿一(2020)『スマホを捨てたい子どもたち』(ポプラ新書)p.61–62

しかし、この「サルの社会の解明」や「サルの社会の歴史」への眼差しは、霊長類学が自然科学(生物学)の一分野として発展していく中で、中心的な関心ではなくなっていった前々回記事【その1】参照)。それは、霊長類学の健全な発展なのか、あるいは「オワコン化」なのだろうか

日本霊長類学誕生60周年記念の雑誌『霊長類研究』特集号(2009年)に掲載された「日本の霊長類学:歴史と展望」という総説の中で、山極さんは、欧米の霊長類学が「他の学問分野から借りてきた理論を霊長類を対象にして実証しようとしている」と批判しつつ、日本の霊長類学は人間とサルの連続性という文化的背景があるため、「新たな討論の場や学問世界を創出できる」と希望を述べている

だが、霊長類学から他の学問分野へパラダイム・シフトを迫るような新しい考えが最近出ているとは言えないむしろ、他の学問分野から借りてきた理論を霊長類を対象にして実証しようとしている研究が少なくない。これは、霊長類学が確立された学問であるとの錯覚から、しだいに他の学問分野との討論が薄れていることを示しているのではないかと私は思う。欧米では未だに霊長類学は、文化人類学、社会学、哲学など人間や文化を対象とする学問と大きな距離をもっている。とくに人類の祖先をサルや類人猿と共通のものとする考え方には宗教と大きな開きがある。霊長類学の知見を現代の人間の実践的な生き方や考え方に生かすには、まだ大きな障壁が立ちはだかっているのである。一方、日本の霊長類学は人間を対象とする学問と初期の時代から密接に交流してきた日本霊長類学会に続いて生態人類学会が設立され、霊長類と人間を研究する人々が同じ場で討論しているのが好例である。宗教界も人間と霊長類との連続性に強い疑義を唱えることはない。幸い、日本には霊長類の基礎研究を尊び、それを人間学に生かそうとする伝統があるこうした学問や社会の土壌を生かしつつ、日本の霊長類学は新たな討論の場や学問世界を創出できるだろうと私は思う。

山極寿一(2009)「日本の霊長類学:歴史と展望」『霊長類研究』24(3): p.183-186

この論文が書かれた日本霊長類学60周年からさらに15年が経った。私には日本の霊長類学は「順調に欧米化を進めている」ように見えている。つまり、現在の霊長類学は、山極さんが15年前に批判したような「他の学問分野から借りてきた理論を霊長類を対象にして実証しようとしている」研究が標準となっているように見える。

山極さんの現状認識はどうなのだろうか。「霊長類学から他の学問分野へパラダイム・シフトを迫るような新しい考え」は出ているのだろうか。日本と欧米という二分法自体がどうなのか、ということも含めて、現在の日本の霊長類学の(あるいはより大きな話としては学問全体の)位置づけについて話してみたい。


ヒトとサルを進化でつなぐ

そもそも山極さんがゴリラにそっくりなのも、元を正せばヒトとゴリラが進化的に近縁な生き物だから、という生物学的な近縁性が背景にある。身も蓋もない言い方になるが、山極さんならずとも、あなたも私も人間はみんなゴリラにかなりよく似ているのである。

「人間はどこから来たのか」を考えるにあたって、当たり前だが過去の人間はすでにこの地球上には存在しない。とくに化石に残らない過去の人間の特徴(その代表的なものが「行動」や「社会」であろう)を類推するにあたっては、進化的に近縁な現生の生物、つまりサルとヒトを比較することが重要だと考えられてきたわけだ。

その目的のために、今西錦司以降、日本の霊長類学は「人間社会の起原と進化」を解明すべく、現生のサルの社会に入り込み、その構造と歴史を記述してきたことはすでに説明した通りである。また、伊谷純一郎が「霊長類と自然人を進化でつなぐ」という直観にしたがって、自然に深く依存して暮らす人々の生態と社会を解明する生態人類学を創始したことも【その1】の記事で触れた。伊谷は、霊長類の社会構造の進化を再構成し、その業績によって人類学のノーベル賞と言われるハックスリー賞を受賞したことでも知られている。

しかし、これも本連載で繰り返し述べてきたように、現在の霊長類学において「人類の進化」という問題はすでに重要な問いではなくなっているように思われる。むしろこの問いは、生物一般としての(ヒトを含む)サルの進化、という問題に解消されており、「人間はどこから来たのか」という問いは、もはやまともに問われなくなっていると言っていいだろう。

このことを黒田末壽は「やがて霊長類学は進化生物学の中に溶融され独自性を失うだろう」と予期している。しかしこれはもはや「予期」ではなく、すでに現実化していると言うべきかもしれない。

(類人猿を人間に引き上げる方向と、人間を生物一般の地平に置き直す二つの方向性のうち:引用者補足)あとの方向は、人類進化を生物進化の一般原理によって説明することである。この観点に立てば人間を特徴づけるとされている行動・生理・能力なども自然と社会環境による選択圧と適応によって生じたもので特殊というわけではなくなり、類似した自然環境と社会システムをもつ生物なら多くの性質を共有していて当然になる。この立場は1960年代から登場したネオダーウィニズムと社会生物学に生態学・行動学を総合した進化生態学によって確立した。進化生態学は1980年代に霊長類研究の仮説構築とデータ解釈の主要な方法となり、その転換はrevolutionと呼ばれた

この流れは日本の霊長類学も変えた「人間を見るように」霊長類を見る霊長類社会学はグドールと同じ(類人猿を人間に引き上げる:引用者補足)方向を向いている。しかし、すでに1970年代から変化が起きていた。情報が蓄積され観察とデータを記録・分析する方法が確立されてくると、人間の社会学や人類学からの援用なしに研究テーマが設定できるようになるし、生態研究は方法的にはもとから人間の学から自立しているそうした観点からは、「人間的理解」の方法は擬人主義でうさん臭く写りだす。そこに人類進化も現生霊長類研究も進化の一般原理で分析・解釈する進化生態学が入ってきた。こうして、人類学のいわば下位分野であった霊長類社会学が自身の客観的な方法をもつ霊長類学として自立する。

これは、神学から出発した近代自然科学が自身の論理をもって自立し、神を否定する学に成長した皮肉な歴史にアナロジーできる。なぜなら人間理解の学から出た霊長類学は独自の学となり、いまや人間を遺伝子の複製作用一般に解体する方向に向かっているのだから。このアナロジーはつぎの予期も告げる神学としての特権性を捨てた自然科学のように、やがて霊長類学は進化生物学の中に溶融され独自性を失うだろう

黒田末寿(2016)「伊谷純一郎の霊長類社会学:「人間的理解」と思考の型」『科学と文化をつなぐ:アナロジーという思考様式』(春日直樹 編、東京大学出版会)

霊長類学の魅力の根源は「ヒトとサルがこんなに似ているのは不思議だ」という誰もがわかる素朴な実感に結びついているところにあると思う。「山極さんがゴリラにそっくりなのは不思議だ」というのはその一つのバージョンなのである。そして、その素朴な実感を「人間はどこから来たのか」という普遍的な問いへと展開し、ある種のロマンとうさん臭さを合わせ持ちつつ、一方では自然科学の一分野として体系化し、生物学としての成熟と専門化(細分化)も進めてきたのが、現在の霊長類学ではないかと思う。

さて、霊長類学は進化生物学に溶融して独自性を失う(失った)のか、あるいは現在でもなお霊長類学としての独自の問いの射程を持ちえているのだろうか

私も山極さんも「人類進化論研究室」の系譜に連なっている。「人類進化論」は今なお霊長類学の課題(の一つ)でありえているのだろうか。この機会にあらためて山極さんとじっくり話し合ってみたい。


そういうおまえは何をやってきたのだ、と言われるかもしれないので、これまで「人類社会の進化」について書いてきたものを貼っておきます。私の章だけならコピーほしい人には差し上げます。

全部英訳されているので、全世界の英語読者の皆さまも読んでね。

For English readers, please read the anthologies translated in English below.


いいなと思ったら応援しよう!