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霊長類学は”オワコン”なのか!?【その2】:山極さんはなぜあんなにゴリラに似ているのか
前回の記事では、霊長類学の歴史(記載的・逸話的・博物学的研究→体系的な理論と量的データ分析にもとづく実証的自然科学)をざっくり振り返りつつ、今後も霊長類学は「理系(自然科学・生物学)」の一分野として発展していく(べきな)のか、という問題を提起した。
しかし、前回の記事にも書いたように、私自身は霊長類学が(あるいはどの学問であれ)理系なのか文系なのかということにはあまり興味はない。霊長類学の専門家ではない多くの人にとっても、理系/文系とか学問のディシプリンのような「お堅い」話は、あまり関心はないのではないかとも思う。
そこで本記事では戦線をさらに拡張すべく、一見全然違う話から入ってみよう。たぶん次の問いなら、多くの人に興味を持ってもらえるはずだ。
山極さんはなんでそんなにゴリラに似てるんですか?
おそらく山極さんを直接/間接に見たことがある人であれば誰もが聞いてみたいのではないか(…しかし本人に直接聞くのはなかなかハードルが高いかもしれない)と思われる疑問である。私は今さら山極さんに怒られても失うものもないので、全人類を代表して聞いてみたいと思う。
どうだろう。山極さん、ほぼゴリラじゃないですか。
山極さんの風貌を見て「ああ、この人はチンパンジーの研究者だな」と思う人はまずいないだろう。山極さんが、ゴリラと生活を共にしながらゴリラの研究をしてきた、と言えば、万人が深く納得するのではないか。
実は上記の京都新聞のリンク先のイベント紹介の記事中、「ゴリラを専門に研究してきた山極壽一さん」という部分は、記者の方の初稿では「ゴリラを専門にしてきた山極壽一さん」となっていた。新聞記事でもあるので表現の正確さを期して「ゴリラを専門に研究してきた」と修正してもらったのだが、しかし実際には「ゴリラを専門にしてきた山極壽一さん」という形容の方がより正確なのではないか、とも思っている。山極さんのゴリラと過ごしてきた日々を「研究」という表現に落とし込むのは、山極さんがゴリラと関わってきた生を矮小化しているようにも感じられるのである。
実は山極さんに限らず、動物研究者が対象動物に似る、という現象は、業界では昔からよく知られた経験則である。
たとえば、私の元指導教員だった西田利貞さんは、1965年からタンザニア・マハレのチンパンジーの調査を開始し、2011年に亡くなるまでの46年間の生涯をチンパンジーの研究と保全に捧げてきた、世界のチンパンジー研究のパイオニアでありトップランナーであり続けた人だった。
この西田さんがまた驚くほどチンパンジーにそっくりなのである。
写真で見てもよく似ていると思うが、ちょっとした仕草や表情、歩き方も、チンパンジーそっくりだった。なぜ二足歩行しているのにチンパンジーと歩き方が似ているのかは言葉ではうまく説明できないのだが、西田さんが歩く姿を見たことがある人にはわかってもらえると思う。というか、山極さんの歩き方もゴリラですよね。
![](https://assets.st-note.com/img/1738743775-CiTkvDzaqpsUFKmdEN1BMh9n.png)
西田さんの写真は以下のリンク先ページにたくさんあるのでぜひ見てほしい。若い頃からチンパンジーに似ていたようにも感じるし、年を追うごとにさらにチンパンジーにどんどん近づいていっているようにも思うが、どうだろう。
ゴリラと共に暮らしてきた山極さんがゴリラ化し、チンパンジーと半生を共に過ごした西田さんがチンパンジー化する。不思議なことのようにも思うが、しかし人類史上、最もゴリラに肉薄したのが山極さんであり、最もチンパンジーに接近したのが西田さんなのだから、彼らがその生涯をかけて近づき理解しようとしてきた相手に似てくるのは、至極当然のような気もしてくる。
本記事ではまず、この「知ろうとする相手に似る」という現象について考えてみよう。
「サルがうつる」こと、「サルになる」こと
日本の霊長類学は、1948年に宮崎県・幸島のニホンザルの研究からスタートした。その後、日本各地に生息しているニホンザルを餌付け・人付けすることで、ニホンザルの社会を間近に観察できるようになり、次々と新たな発見がもたらされた。
日本の霊長類学創成期の方法論的な特徴の一つが、サルの個体識別である。
私もよく「チンパンジーの顔を見分けられるなんてすごいですね」と、ほめられているのかどうかビミョーな線の感想をいただくことがあるが、たぶん時間と気合いがあればだいたい誰でもサルの顔を見分けることはできるようになると思う。
しかし、日本で霊長類学が始まった頃は、日本人研究者がサルを識別して個体ごとに名前をつけていることは、欧米の研究者の間では擬人的な誤りだとして信用されていなかったという。
日本の霊長類学者のサルの個体識別には、顔の目鼻立ちなどの外見的な特徴だけではなく、サルの個体ごとの「性格」を識別することが重視されていた。たとえば「いつもビクビクしている」とか「気が強い」とか「うるさい」とか、個体によって異なる行動の傾向を「性格」として捉え、その性格にちなんでサルの個体を名付けていった。これは、動物個体に機械的に番号をつけて識別していくような欧米的な個体識別(下記の黒田の引用を参照)とは大きく異なっている。むしろ人間同士の付き合いの中で相手を識別するやり方を、サルの識別にまで拡張したような方法だったと言ってよいだろう。
こうした、サルの個体ごとの性格の識別を進めていくと、単に個体を識別するだけではなく、個々の場面でなぜその個体が特定の行動を取ったのか、ということについて、相手の立場に立った理解、つまり相手の生活世界に感情のレベルで「共感」することができるようになる。このような相手の性格の識別にもとづく行動観察と理解の方法を、今西錦司の弟子であり日本霊長類学第一世代の一人である河合雅雄は「共感法」と名付けた。
このあたりの経緯は、伊谷の弟子の一人であり、山極さんや私と同じ人類進化論研究室の系譜に連なる黒田末壽が、『科学的方法とは何か』(浅田彰・黒田末寿・佐和隆光・長野敬・山口昌哉による共著、中公新書、1986年)の中でまとめている。
私たちのサル学は、まずサルの顔を覚えて一頭一頭識別するところから始まるのですが、これが実に含蓄に富む作業なのです。最初、サルを個体識別しようとしたときに、顔で見分けることには到底、自信も何もなく、それでいろいろなマークによって一頭一頭区別していったのですが、それは実は欧米の人たちのサルに対する態度、あるいは個体識別と全く同じ方法でした。ところが、そのうちに急にサルが顔でわかるようになり、それと同時にサルの社会生活が生き生きと見えだした。いわば左右の視野の中に別々にあった平面的写真が重なって、急にパッと全体が立体化してみえてくるという経験をしたわけです。
黒田はこの「サルの個体識別ができるようになること」について、近年の論考でも繰り返し言及している。
…観察者にはまず、サルの表情や姿勢から,相手がどのように反応し、リラックスし、緊張するかを感じとることが要請される。この感情移入ないし同化過程を経て、類人猿やサルが異化でき観察が可能になる。
とはいえ、私の場合がそうだったように同化過程は人によっては簡単に実現できない。私がニホンザルを観察し始めたとき、サルたちの島で朝から晩まで見続けているにもかかわらず、傷などのマークでしか個体を識別できなかった。それがある朝、突然、声だけであのサルとわかったあと、他のサルたちも顔や後ろ姿だけで識別できるようになった。それと同時に姿や行動がサルたちの性格を表しているように感じ始めた。個々のサルから受ける感受が人間からの感受の領域に移ったのである。だが、もちろん、それでサルがわかるわけではない。サルたちは人間の他者並み、あるいはそれ以上に冷たく不可解な部分をもっている。「サルがわかった」という思いはあらゆる次元で、見続けているうちに裏切られる。これは思い込みの訂正や仮説の立て直しに尽きない。対象動物と自己の同化—異化の過程も含めて考え直せ、より謙虚であれと迫るのである。観察はその繰り返しである。
転換は、幸島で3週間ほど経って自分にはマーク識別しかできないとあきらめ始めたとき、不意に生じた。朝の起きがけに声だけである個体がわかったのだ。それからするすると人格的識別ができるようになった。そのときの感じは、懸命に考え続けて難題が解けたとか、ハードなトレーニングの末に100m走の記録がのびたとかいうのとは違って、錆びついていくら押しても動かなかった転轍機が不意に勝手にガチャンと動いたような感じに近い、まったく不作為で受動の出来事だったが、他方で受動・能動の区別が無意味になる現象でもあった。というのは、新しいレール上から眺める景色ではサルの存在感が増し、彼らの振るまいがより細かに感じられるようになり、彼らの世界が私を包んだという感覚の一方で、私は彼らの世界へ踏み込んだはっきりした感覚があったからだ。
どうだろうか。サルの個体を識別する、ということが、単にサルの顔を見分けることにとどまらず、サルの性格や社会を理解するための大きな一歩となる(そしてそれは常に観察によってあらゆる次元で裏切られる)ということがお分かりいただけるのではないか。
このとき、観察者のサルへのある種の感情移入が生じ、またそこでいわゆる「擬人主義」の問題も同時に生じることになる。そして、そうした感情移入が、相手への同一化、つまり「サルになる」ような変化を観察者の身体や行動に生み出す。
…観察上の擬人主義の問題ですが、これは感情移入、あるいはサルと共感するという言い方でいわれているところです。これが成立するには、動物と神と人間を互換可能なものにみるという文化的背景もかかわっていますが、そのことはさておいて、僕は、この感情移入は観察対象の目のレベルに向かうことによってその社会のリアリティーを抽出するという、決して主観的ではない—客観的というのは多少問題がありますが—有効な方法と考えています。
僕たちは「サルがうつる」ということをよく言います。いつの間にかサルの仕草が身についてしまうということがあったりして、何となく雰囲気がサル的になる。それはサル社会、サルの存在そのものに同化するような作業を僕らがやっていることの副産物なのですが、そういう態度は観察者の客観性を放棄しているのではなくて、彼らの社会内部の構造を引き出すことにつながっていくのだということです。
僕らがサルを個体識別するときは、とにかく感情移入をして、あれは横着なやつだとか、行動や姿形から連想できるいろいろなパーソナリティーみたいなものを仮説的に設定します。それによって、彼らの全体性をとらえることができる。しかも、そのときに部分—顔の一部、手足の先の一部といったところまでが、パーソナリティーによって全体をあらわすようになる。つまり、Aというサルだからこういう手をしている。この手はAというサルの手だ……というとらえ方ができるのです。これは識別作業の効率化にとどまらず、サル社会を生き生きととらえることを可能にします。もちろん、感情移入から出発して得たサルのイメージはあくまで仮説であるという覚醒は忘れてはならないのですが。
サルの個体識別におけるパーソナリティー、つまり性格の把握と、それを可能にする観察者による感情移入、仮説的なパーソナリティーの持ち主としてのサル同士の社会の理解(と終わりなき仮説の修正)、そしてそれらの作業を通じて観察者が同化しようとする相手である「サルがうつる」現象。
ここまで見てくると、ゴリラと共に暮らし、ゴリラの群れに分け入ってゴリラの社会や生態を理解しようとしつづけることで、いわば「誰よりもゴリラになろうとしてきた山極さん」がゴリラのような風貌や仕草を身につけてきたのは、まったく当然のことだと感じてもらえるのではないかと思う。
生態的参与観察と「自然がほほ笑む」とき
そして、このことは前回の記事で書いた「霊長類学は今後も自然科学(生物学)として発展していく(べきな)のか」という問題ともつながっている。なぜなら、誰よりもゴリラになろうとしてきた山極さんは、ゴリラのことを「自然科学として解明されたこと以上に〈わかっている〉」と思われるからである。
黒田末壽は、フィールドにおけるサルの理解を導く観察の方法を「生態的参与観察」と名付けた。これは、文化人類学や社会学で、異文化のコミュニティに調査者が入り込んで観察をおこなう「参与観察」と呼ばれる手法を、サルの生活空間、つまり生態的な背景にまで拡張したものである。
生態的参与観察は、参与観察の相手を(人間から:西江補足)自然あるいは特定の動物にうつしたものと思ってもらうといい。相手は人間と違うから、感情を分かち合ったり、生活をともにするのはむずかしい。サルたちと自然のなかで生活することはできないが、生活空間をある程度共有することはできる。とくに相手が高等ほ乳類ならば、「飼い主はその犬に似る」というように、気分や表情を共有することだって起こりうるし、ニホンザルやチンパンジーそっくりの表情をかいまみせる霊長類学者は何人もいる。
<生態的>という言葉をつけるのは、相手の動物の生活空間、すなわち自然を、観察者が生活空間として共有する大切さを強調したいからだ。私の場合は、チンパンジー、ピグミーチンパンジーを観察するときは、彼らの顔と行動の特徴を覚え、歩くところを丹念に歩き、食物を口に入れて味わい(口やのどが腫れる物もある)、彼らが見る物を見つめ、同じように鳴いてみることをやった。そして、夜の森林を星明かりだけで歩けば、月が出たときチンパンジーが鳴く気分がわかるような気になるし、同じように雨に濡れると、その心地よさも心細さもわかるような気になる。そのような態度で彼らを見ていると、ちょっとした身振りに敏感になったり、その意味するところに見当がつくようになってくる。ある方向に走りだしたとき、それがパニックなのか、おいしい果物を求めての移動か、それとも他集団と闘うためかが、予測がつくようにもなる。もちろん、見当だけで彼らの行動を説明するわけにはいかないから、その成り行きを確めて予測の正否をチェックするのである。
このやり方は多かれ少なかれ動物・植物の行動や生態の研究者、霊長類学者がやってきたことである。そして猟師がそうだ。日本霊長類学者のパイオニアの一人、河合雅雄は、サルに人格を認めて彼らを人間を見るのと同じ眼で観察する方法を「共感法」と名付けているが、私はそれを類人猿が棲んでいる空間ごとすることを目指したのだ。これは、チンパンジー、ピグミーチンパンジーの観察眼を磨くだけではなかった。森の細部や動物が見えるようになり、植物はそれぞれの臭いと味と場所として、あるいは柔らかいクッションとして意味を持ってくるのだ。季節の変化にも敏感になってくる。つまり、自然になじんでくるのである。それは参与観察で相手の文化が自己に参入してくるのと同じで、自然が私の中に入ってきたのである。
黒田は、生態的参与観察によって観察者の身体が自然になじむことで、動物の生活世界の理解が深く豊かなものになることを繰り返し強調している。おそらく多くの動物研究者にとって、「自らの身体が動物の生活世界に入り込む」ことによって動物の世界が見えてくる経験は、なじみ深いのものではないかと思う。
そして、動物の生活世界に調査者の身体を参与させ、動物との生活を共にする単調で苦痛もともなうフィールドワークの果てに、ごくまれに訪れる(かもしれない)「僥倖」を、伊谷純一郎は「自然がほほ笑む」と表現した。長い引用になるが、伊谷の名文をぜひ味わってほしい。
半世紀に近い野外での研究活動を振り返ってみて、けっして忘れることのできない、なにか凝縮された刹那についての、いくつかの回想がある。野外研究に徹してきたフィールドワーカーのだれしもが、そういう記憶を脳裏に刻み込んでいるにちがいない。それは、私たちがやっとのことで野外から掘り起こすことのできた結晶のようなものだった。うんざりするほど長いフィールドワークの末に、自然が観察者にほほ笑みかけてくれた瞬間、とでも表現すればよいのだろうか。
(中略)
それらは野外研究が絢爛たる花を咲かせた瞬間だった。私の専門とする分野のみから例を引いたが、他の分野、他の研究対象、そして動物写真家の世界にも同様のことが言えるだろう。ただ研究の場合は、その刹那がすべてではない。新たに見出された断面は、まずその普遍性を問いかける。さらに全体像の解明を要求する。従来の仮説の改変と、それに代わる立論が求められる。
(中略)
しかし、フィールドワーカーがそういう観察の機会に恵まれる確率は、彼らの野外での活動の万分の一にすぎないのである。道もない原野や森の中を、茨に傷つき足にまめをこしらえながら終日歩き、茂みやブラインドの中に身をひそめて待ちに待ち、あるいは単調きわまる行動の連鎖を時間刻みに野帳に記し続けるというのが、フィールドワーカーの活動の常態なのである。
しかしそれは、累々たる空虚の集積ではない。フィールドワーカーはその単調な活動に身をゆだねながら、思考しつづけるだろう。現象に秘められたかすかな兆しを継ぎ合わせ、その彼方を類推し続けるだろう。夢は無惨に打ち破られるかもしれないのだが、それは、訪れるかもしれない決定的瞬間に備えての心の準備なのである。このドライヴがなければ、そして自然の懐に身を置いていることへの悦楽がなければ、数十年にも及ぶ野外研究の持続はありえなかっただろう。
ところで、今回の記事で書いてきたような「サルがうつる/サルになる」ことや、生態的参与観察による動物の生活世界の理解、またその先に訪れる(かもしれない)僥倖としての「自然のほほ笑み」は、いずれも自然科学的な対象理解や説明にはなじまない。
自然科学においては、そもそも観察者の身体は観察にバイアスをもたらす阻害要因であるため観察現場に持ち込まれない方が望ましい。いわば「身体なき神の視点」からの観察とデータ収集こそが、自然科学による客観的な対象理解として求められているからである。そこでは、観察者自身の身体の「参与」や、また「サルがうつる」ような身体の変容は、まったく視野に入ってこない(というか観察者の身体やその変容は「ノイズ」として排除される)。
また、ごくまれに訪れる(かもしれない)「僥倖」のような決定的瞬間は、「事例報告」としての価値はあるが、その普遍性を示すためには結局のところ「同じ事例が繰り返し起こること」を確認する必要がある。「自然のほほ笑み」のような一回性の事象は、例外的な特殊事例として、普遍性を求める自然科学の埒外に置かれるのである。
このように、今回の記事で提起した「山極さんはなぜあんなにゴリラに似ているのか」という論点や、そこから展開した「サルがうつる/サルになる」こと、生態的参与観察による対象理解、ごくまれに「自然がほほ笑む」ことは、前回の記事の論点だった「霊長類学は自然科学として発展していくのか」という問題とも大きく重なる部分があることがわかるだろう。こうした必ずしも自然科学的とは言えない、しかし自然科学と排他的なわけでもない「動物のわかり方」については、伊谷や黒田が論じてきてはいるものの、これまで霊長類学の中で十分に議論が深められたことはないと思う。
というわけで、山極さんにはフィールドワークを通じて「ゴリラになる」過程について、またそこで山極さんが身につけてきた「ゴリラ的な身構え」について、さらには山極さんが経験してきた「自然がほほ笑む」瞬間について、霊長類学と自然科学との関わり(さらにはより大きな学問的な広がり)を考えながら、詳しく聞いてみたい。
さらには、こうしたフィールドワークの面白さや魅力、醍醐味を、われわれはどのように表現し、伝えていけばいいのかについても、話してみたいと思っている。
最後の表現の方法については、また稿を改めてまとめておこうと思う。