記録|メッシュワークゼミナール#08
土曜日はメッシュワークのゼミナール。
と書いているうちに、1週間経ってしまった。
プロジェクト共有の中で、誰かの言葉ではっとさせられる連続。
自分の違和感を、心に潜む言語化できないけど何かを、誰かが言語化してくれる時間でした。
プロジェクト進捗シェア
◾️Kさん|焚き火
・どうなるかわからいことへのドキドキ。
・昔は、仕事が降ってきていてそれをこなすことが精一杯。
∟今は、自分で企画をして推進してしていく部署。
∟自分はどういうところに課題感を持っているんだろう。
・目的意識への抵抗感、目的がないとうまく機能しない自分。
・焚き火は目的意識がない。いや、目的がないことなどあるのだろうか。
・対等に話せる。
わかりたいテーマ
・「居場所」としての火のある空間。
・目的への抵抗と目的への依存(目的があることへの抵抗と、目的への依存)。
∟目的性・無目的性が行ったりきたりしている。
・共同生活と焚き火が地続き。
∟なぜ始まったのか:
∟寮をコミュニティに開いていこうという試みで始まった。
∟様々な手段があるなかでなぜ“焚き火“なのか。
∟自分自身を開いていいくこと=コレスポンデンス
∟苦手意識への憧れ、開いていくことは難しいのではいい
・火を囲むと言うこと
∟黙っていても大丈夫。
ディスカッション
・対角線を増やす
∟直線だとそこから逃れようがない
∟開く対象物が違っても、結果的に開いているように見える
・ことばにすることの恐れ。
・プロセスのなかで何が起きているのかをきちんと、どうアプローチで明らかにしていくのか
・見なければいけないこと
∟火と別の人との関与
∟お祭りのようなわかりやすいこととは違う
∟火との距離感とか向き合う方向
感じたこと
目的意識への抵抗感と、目的がないまま進むことや、目的を与えられないまま事が進むことへの不安がある。暗闇の道を手探りで進むことへの不安や、社会的な何かにおいて自分が機能しているという実感を持ちたいということなのか。
◾️Mさん|何もしないことをする
ディスカッション
・仕事をしているときのオフは本当にオフにするけど、今“何もしない“というところにいると、感覚に従いながらあれこれ動いている。
・ことばを介していない分、残るものがある。
・“⚪︎⚪︎人的な考え方“みたいな見方はしないようにしている。
・日本人の代表性みたいなものはわからない。それがわかって何なんだろうと言うことがある。
・状況・歴史的文脈において、民族間の関係ができている。
・“らしさ“を探しにいくと本末転倒になる。
感じたこと
Mさんの記録やフィールドワークを読むと、その生き生きとした言葉や気持ちの移り変わりを感じ、ドイツでの暮らしを通し社会ルールや他者とのコミュニケーションにおける違和感や、言語や文化的背景が違う他者と関係を築くということのダイナミズムをその描写から受け取らせていただいている。
私は“世界をぼんやり眺めていて、言葉のその先の受け取る誰かを想像しながら、叙情的に書いてしまう“という癖がある“ということを、Mさんの記述を通して自分との差異に気づく。“今“を終えるとどんどん記憶が過ぎ去ってしまう中で、どうそれを体の中に、ノートの上に記録したらいいのだろう。感情が生まれなかった日、矢の如く1日が過ぎ去った日、私の重い肉体は、“思い出す“という行為すらどうするのか忘れてしまうくらいになって夜を迎える。
◾️わたし|森
わかりたいこと
◎なぜ森へ惹かれるのか
∟理路整然ではないもの・混沌の美しさ
∟五感で受け取る、 五感を使って“感じる“力の回復
∟“死ぬ“や“終わり“への概念のシフト(死が生につながる循環)
∟非言語でのコミュニケーション
∟菌類 → 目に見えないものがシステムを作り上げている
∟五感の感覚が鈍くなることへの恐れ
∟“感じる“と言うことへの鈍感さの中で東京で生きている
∟大阪に住んでの時はそうでもなかった
◎森によってなにがわかりたいのか
∟人間の感覚で捉えきれないものを捉えたい
ディスカッション
・“自然“というものをどう捉えるのか
・森を思想的にどう捉えるのか
∟他自然主義:人間だけが自然を既定するのでは様々な他者が世界を捉えている。
∟森の生活:都市の人たちにとっては非日常。非日常を求めて行かれる。
・自然のなかで生活することを選ぶ人。
・どこからが森で、どこからが森ではないのか。
・FWするとしたら直接的な森との関わり。
∟キャンプ/林業 どういう人を見て生きたいのか
∟直接森との関わりがないと
∟自然を取り扱う時に難しいこと
∟観念的になりがり。都市とは違うものとして考えてしまう。
∟観念的な森を捉えていては
∟非西洋社会・ポスト人間的な世界観。
∟複数形の自然があるという世界観・宗教観。
・日本社会のなかにおける他自然主義で生きている人は
∟自然と共に生きている人
・森・山
∟熊の殺傷処分/山と動物との共存
∟いろんな立場をとる人がいて、それぞれに立ち位置がある
∟互いの視点が遠いところにある
∟自然との付き合い方
∟どこにいるかで見える景色が違う(ライフスタイルで見え方が違う)
・森と関わりを持つ多くのバリエーションがある(木こり)
・どういう風に森と関わっているのか?
・“森を“どのように好きなのか“を深めていく。
∟森にいけない時はどんな状態なのか
∟何が解消されている
∟森に行っていないときの状態がどんな状態なのか
∟普段の生活と森の時間。行き来する私の中で見えてくるものがあるのあ
∟感情的な部分の変化を見ると内観・内省になるのでそれだけでは捉えきれないものもあるのでは
・移動
∟その部分だけ切り取るんじゃなくて、森にいる状態を作るためには前後が付随している。
・ふさわしい道具。
・都市から森への経験。日常のなかでどんな場面で何が表出しているのかしていないのか。
感じたこと
私は森の何がわかりたいのだろうかと思う。“森の“ではなく、“森を通して“みたい世界があり、掴みたい何があるのだと思う。森と都市、森と海、二項対立によってどちらかの正当性を振り翳したい訳ではない。私は、実は森について何も知らないのでは、入り口に立つことすらできていないのではと思う。表面上の“森“を指でなぞるように知っているような顔をしながら、そこへ住まう人に足を踏み入れようとした時に受けいれてくれなさそうな怖さも同時に抱えている。
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