ほんとうは、あなたと深く向き合いたい。【歌詞考察「Pale Blue」】①「花束が意味するもの」編
ほんとうは、相手ともっと向き合いたい。
もっと深く、安心感で繋がりたい。
今日のテーマは、「『理想(幻想)』を超えて相手と向き合う」です。
これを、米津玄師さんの「Pale Blue」の歌詞の考察を通してお伝えしたいと思います。
「現実は、理想と違って辛かった」。
理想が「幻想」だったと気づく。
相手に知らぬ間に期待して、裏切られて、
苦しくて。
逃げたくて。
だけど、本当は向き合いたくて。
そんな風に感じたこと、ありませんか。
私はすごくあります。
この記事を読むと、もしかしたら、人生に生かせる気づきが得られるかもしれません。
そして、『Pale Blue』を通すことにより、
今後どこかで『Pale Blue」を耳にするたび思い出すかもしれません。
私は、歌詞が大好き!歌詞の考察も大好き。
(どれぐらい好きかというと、卒論のテーマに歌詞を選んじゃうくらい。昔から大好きでした。)
歌詞ってすごいんですよ。
一度その意味の深さやメッセージに気づいたら、その歌を聞くたびにそのメッセージがインストールされてゆくんです。だから、きちんと歌詞を噛み締めて歌を聴くと、人生が豊かになってゆくんです。
もちろん、歌詞の考察に正解なんてないと思います。
あくまで私がこう感じる、という「見方の一例」をお伝えするだけです。
人それぞれ、感じるものが違っていいと思います。
でも。
「Pale Blue」は一見ただの恋愛(夫婦関係)ソングですが、見方によっては、人生全てに生かせる視点が得られる曲だと思っています。
恋愛だけじゃなく、仕事でも、友達関係も、学校も、家族関係も。
だから、視点の1つとして、「こういう見方があるんだ」と知っておいて損はないはずです。
なんか堅苦しいことを言いましたが、
とりあえず、私は、米津玄師ファンで『Pale Blue』が大好きなんです!
なので、これを読んでくださったあなたが、『Pale Blue』によって、何か気づきが得られるお手伝いができたら嬉しいなと思っています。
米津玄師の「Pale Blue」に出てくる「花束」が意味するものは何か
今人気の、米津玄師の「Pale Blue」。
その1番のサビの歌詞。
「わたし あなたに恋をした 花束と一緒に」
「花束」って、なんだろう?って思いませんでした?
私、ずっと思ってました。
あ、もしまだ聴いてない方はコチラ!
「リコカツ」は、結婚への幻想が崩れて離婚を決意する話。
「花束」の意味を考察する前に。
ちょっと前提を共有したいと思います。
この『Pale Blue』は、連続ドラマ「リコカツ」の主題歌です。
歌詞を考察するにあたって、ドラマの内容がとても参考になります。
おそらくドラマに合わせて作られた曲なので。
なのでドラマの内容を簡単におさらいします。
あらすじはこう。
交際ゼロ日婚した夫婦が、いざ生活を始めると互いの価値観の違いに直面。
結婚後すぐに離婚を決意する。
でも何やかんやあって、やっぱりお互い好きだ!ってなって、再び交際を始める。
…最初、なんてトンデモ話なんだと思いました。
「そりゃ、交際0日婚したらそうなるだろうよ…」というお茶の間の呟きがあったのではないかと、余計な心配をしてしまいます。
ちなみに「リコカツ」って、「離婚活動」の略です。
気になる方は、まだ途中までですが、コミカライズ化されたものが無料で読めます。(ドラマの方が原作みたいです)これで最初の方の内容かなり把握できます。5分ぐらいで読めますよ。
全話見たい!ドラマで見たい!北川景子の美しい姿を拝みまくりたい!という方は、パラビで全話配信しているみたいですよ!(ドラマは完結しました)
でも歌詞を考察するだけなら、
ひとまず無料漫画だけで十分です!
しかも一話だけでOK。
読むのに5分とかかりません。
さて、改めてざっくりまとめると、こんな筋書き。
「結婚への幻想を抱いて結婚した」
「でも、互いの価値観の違いに耐えられなかった」
「それでも相手のことは好き」
「改めて、お互い向き合って、やり直そうとする」
こうしてみると、
「夫婦が価値観の違いを乗り越えて相手に向き合う」
ところを描きたかったドラマなのかな〜と思いました。
そして、きっとそれは、
世の中で今必要とされている、
需要があるテーマだからじゃないかな、と思いました。
「花束」は結婚に対して描く「幻想」の象徴かもしれない
やっとテーマに入ります。
「花束」が意味するもの。
私は「結婚に対する『幻想』の象徴」なんじゃないかな、って思ってます。
結婚式って、必ずと言っていいほど、花嫁が花束(ブーケ)持ちますよね。
独身時代、「ブーケトスに憧れる!」っていう女友達もたくさんいました。
結婚式と、花束は、切っても切り離せないものです。
さらに、「花束」って、純粋無垢な少女が持っているイメージありませんか?
曲中に出てくる花も「エーデルワイス」。素朴で可愛らしい白い花です。
きっと、『Pale Blue』の花束も、どちらかといえば素朴だったり、可憐なイメージの花束じゃないかと思うのです。
これがもし、バラやコチョウランの花束だったらまたイメージは違ってくるかと思うんですけど。
決してそういう、バラやコチョウランみたいなゴージャスな花ではないと思うんです。
(MVで米津さんが持っていた花もそんな感じじゃなかったですよね。)
少女が抱きかかえていそうな、可憐な花束。
そして少女は、「結婚」というものに甘い幻想を抱いているのです。
素敵なドレスを着て。
綺麗に着飾って。
その日ばかりはお姫様のような扱いを受けて。
みんなから祝福されて。
まるでシンデレラみたい。
そして、理想の夫と仲良し夫婦になって、幸せに暮らす。
そんな想像を、みんな一度はしたんじゃないでしょうか。
「リコカツ」の主人公の咲もそう。
結婚することに対して、運命の人と出会うことに対して、すごく幻想を抱いていた女性です。
コミカライズ版の第一話では、「ああやっと、私は運命の人に出会えたんだ。これから幸せな家庭を築いていくんだ」って、言っています。ちなみに結婚初日です。(無料漫画で数分で読めます。)
しかし、その数日後には、離婚を決意するのです。
「花束」は、そんな美しい、結婚に対する「幻想」の象徴なのではないかな、と思います。
歌詞の中の、
「わたしあなたに恋をした 花束と一緒に」
って、
「私はあなたに恋をしていました、結婚に対する幻想を持ったままの状態で。」
っていう意味なんじゃないかと思うんです。
そう捉えると、すごくしっくりくるのです。
「誰かに、何かに幸せにしてもらいたい」だけじゃ幸せになれない
「結婚したら幸せになれる」
「運命の人に出会ったら幸せになれる」
誰もが思ったことがあるのではないでしょうか。
でもこれは言い換えると、こういうことです。
「結婚が、私を幸せにしてくれる」
「運命の人が、私を幸せにしてくれる」
本当にそうなのでしょうか。
結婚したら、運命の人に出会えたら、幸せになれるのでしょうか。
結婚して数年以上経ってる人ならきっとわかると思います。
どんな運命の人と結婚したとしても、現実はなかなかうまくいかないな、と。
結婚は、確かに素敵なこと。
運命の人も確かにいるし、出会えるのはとても素敵なこと。
出会っただけじゃ、結婚しただけじゃ、どうも幸せにはなれないみたいなのです。
みんな「辛さを超えて誰かと向き合う」姿が見たい
「現実は、理想と違って辛かった」
そんな経験、ありませんか。
私はたくさんあります。
でも、それを越えるのってなかなか難しい。
特に、夫婦関係ってそれが一番顕著なんだと思います。
離婚率が多いのも、きっとそのせい。
相手に幻想を抱いてしまっていて、その幻想が幻想であると気づいた時、簡単に崩れてしまう関係も多い。
だからこそ、一度「離婚だ!」となった夫婦が、再び本当に向き合っていく姿を、みんな見たいと思うのかもしれません。
私は時間帯的に毎回は見られなかったんですが、それでも、ダイジェストで主人公たちが再びやり直そうと決めたところを見て、泣きました。
「ああ、よかった」って。
自分がなかなかできないことだから。
でも本当は、したいことだから。
誰かがそれを叶えている姿が見たい。
だからこそ、金曜10時という、いわばゴールデンタイムの連続ドラマの脚本に、こういうストーリが選ばれたのだと思います。
「互いに向き合う」ことが求められる時代
サビの2番の歌詞は、
「わたしあなたに恋をした 苦しさと一緒に」っていう歌詞です。」
1番の歌詞は
「わたしあなたに恋をした 花束と一緒に」
だったんです。
「花束」→「苦しさ」に変わっているんです。
これは、お互いの価値観が違うことに直面して、だけど、それでも相手のことが好きだ、となった時。
それでも向き合おうとしているからこその「苦しさ」なのではないかな、と思っています。
リコカツの筋書きにもとってもリンクしていますよね。
恋をして胸が苦しいのも。
結婚して、離婚したくなるほど辛くなるのも。
それは、相手や、周りの誰かと、向き合おうとしているからだと思います。
人は、誰かと真剣に向き合おうとした時、少なからず辛くなるものです。
だって、自分と価値観の違う人間と、相対しているわけじゃないですか。
人が今まで持っていた思い込みを外すほど、辛い作業はないから。
人間の脳は、潜在意識は、「変わりたくない」って思っています。
「今ままでこの状態で無事に生きて来れたのに、なんで変えなきゃいけない」
って常に思っている生き物です。
だからこそ。
「自分と違う相手」と向き合う時。
「すっごく辛い無理なこと」をいわば選択しているわけなのです。
これが、相手が、特に仲良くもない友達とか、そんなに合わない相手なら。
向き合わずに、軽く流すことも選べます。
だけれども、夫婦ってそうはいきません。
何せ、四六時中一緒にいるわけですから。
家族になって暮らすんですから。
「仮面夫婦」なんていうのもいるとは思います。
でも、昨今の感染症騒ぎで、夫婦が一緒にいることが増えた、というご家庭も多いのではないでしょうか。
だからこそ、「夫婦がお互い向き合うこと」が、今までよりも求められる時代になっているのではないかな、と感じています。
辛さから逃げてばかりだと、虚しさと冷たさが待っている
何も、これは夫婦や恋愛に限った話じゃありません。
例えば仕事の相手。
もし、お金のためだけに仕事をしていて、相手と別に仲良くなれなくてもいいや、仕事だけの付き合いができたらいいや、と思うのなら今からお話しすることは必要ないのかもしれません。
だけど、もし。あなたが、仕事を通じて真の仲間に出会いたいとか。
一生の友達に出会いたいとか。
そういう思いがあるのであれば、
やっぱり、相手と真摯に向き合わなければいけないのです。
向き合うことは辛いし、とても怖いことです。
正直、私も、まだまだちゃんと向き合えていないのです。
自分を出したら、正直な気持ちを伝えたら、嫌われてしまうのではないか、とか。
私なんかが、相手になってしまっていいのかな、とか。
いろいろ考えてしまう。
そして、ついつい無難な選択肢を選びがち。
その結果、結局誰とも深く繋がれなくて、一見周りに人がいるように見えても、どこか冷たくて、強烈に寂しい。
そんな風になってしまいます。
真の仲間に出会いたいから。苦しさも幻想も超えていく。
私はもう、そんなの嫌だ、と思っています。
仕事をすることを通じて、生涯の仲間に出会いたい。
相手の人生に残るような、いい影響を与える仕事がしたい。
だから、そのために、辛くても、目を背けないで向き合おうと思います。
具体的には、日々きっと忘れず意識するしか、今のところいい方法が浮かばないですが。でもそれが、究極の方法でもあるんだろうなと思ってます。
だからこそ。
私は大好きな『Pale Blue』を聴いて、その度に、そのことを思い出そうと思います。
甘い幻想から、真実の輝きへ
幻想が幻想だと気がついた時。
それが、本当の始まりなのかもしれません。
夫婦関係も、お仕事に対しても。
幻想だと分かったからこそ、「じゃぁ本当の姿はなんだろう」って向き合える。
幻想のままじゃ本当には分かり合えない。
だからこそ、人は、一度は幻想から目を覚まされる経験をするのかもしれません。
「ずっと。恋をしている。」
この「恋」は、なにも、文字通りの恋じゃなくたっていいと思います。
お仕事への恋。お客様への恋。恋っていうか、純粋な「好き」の気持ち。
大好きで、でも最初は幻想を抱いていて。
ある時幻想が解けて、辛くなる。
だけど、辛くても、向き合って。
それはとても苦しいけれど、やっぱりずっとずっと恋をしているんです。
「好き」なんです。
パートナーが、仕事が。
だからこそ、幻想が消えたところが始まりなのかもしれません。
辛さを超えて向き合った先に、
きっと、幻想よりもずっと素敵なきらめきが、そこに見えてくるのだと思います。
米津玄師「Pale Blue」歌詞解説、「花束」編でした!
続く...かも。
おまけのあとがき
別記事にまとめましたが、実は、米津さんは歌詞の考察されるの好きじゃない説があります。。。
ところで、本当は今日は、習慣化11日目。
チャレンジレポを書く予定だったんですけど、もはや関係なくなりましたね!!笑
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました💕