自分と二人きりになってみる#107
前々回は自意識の話、前回は心と魂の違い、でしたが、今回は自分と二人きりになること、魂ちゃんとの仲良くなり方について考えてみます。
ところで肉体は魂ちゃんの乗り物に過ぎない、と言う考え方に触れて、ヨシタケシンスケさんの「みえるとかみえないとか」の1シーンを思い起こしました。(*´∀`*)
ガスライティングとは何か?
さて、今回は視点を変え私も初めて知った言葉、
ガスライティング
から芯の自分=魂ちゃんと「心」との関係について考えてみました。
「ガスライティング」という言葉は、講談社のバタやんさんの放送から知りました。
「ガスライティング」のウィキペディアによる説明を転載します。
放送では、50代の女性の方が実母との関係に傷ついているケースに対して、バタやんさんが『ガスライティングという支配 関係性におけるトラウマとその回復』アメリア・ケリー (著), 野坂祐子 (翻訳)と言う本を紹介されていました。
ガスライティングの事例の中で、とある漫画を紹介されており、
そんなショッキングなストーリーが紹介されていました。
さらにme Too運動にも話が展開されており、性被害に遭った人は1度ならともかく、何度も繰り返されると言う事は被害者にもその気があったのではないかと、よく性被害者に否定的な視線を送られることにも言及されていました。
奪われたのは「魂」なのか「心」なのか
ここでふと、私が思ったことです。
前回の投稿では「魂」と「心」の違いについて考えました。
魂は無限、心は有限
魂は永遠で、心は肉体に付属するもの
性被害者が嫌だと思いながら、繰り返し加害者から離れられないのは、「魂」なのか「心」なのかどちらか。
それは魂ではなく、心である、と。
嫌われたくない、断るともっとひどい目にあわされる、、、と自意識がプレデター(=捕食者)に向けば、主体性が奪われ、簡単に支配されてしまいます。
この比喩からすると、身近な人から否定的な言葉を浴びせ続けられるとカーテンはビリビリに破られ泥をかけられ、乳母車は他人に奪われた状態になっています。
性被害者は魂の乗り物である大切な乳母車を他人に乗っ取られることなんて許していないんです。
乳母車を奪われた赤ちゃんは泣いています。
カーテンを破られ主体性を失ったとき
私もかつてガスライティングの被害者だったなんて大それたことは言うつもりはありませんが、昔の恋人や職場の人に傷つけられ、自分なんて価値のない人間だ、と誰にも迷惑をかけずに消えたいと考えたことがありました。
今思うと、相手は自分が優位に立ちたかっただけ、と分析されますが、その時はそんなことは思わず、ただただ自分自身への信頼が失われ、魂ちゃんの存在も見えなくなっていました。
そんな時、どうすればよかったのでしょう。
破いたり汚したりするヤツから逃げろ、魂ちゃんを呼び戻せ
ガスライティングの著者は、加害者がたとえ身近な人物であったとしても、その人物が有害であると言うことにまず気づくこと。距離の取り方を考える、、。
そして魂ちゃんの存在に気づいてあげる。
魂ちゃんの声を聞こうとすることからだと思います。
そのためにバタやんさんの放送でも土門蘭さんの放送でも、自分とデートすること、自分と2人きりになることをお勧めされています。
また蘭さんのように神社で手を合わせることも、魂ちゃんと対話できる最も簡単な方法なのかもしれません。
一人旅を楽しめるようになった
土門蘭さんも昔は一人旅を楽しいと思ったことがなかった。何故なら、移動など余白の時間ができると、仕事や仕事に関するインプットをしてしまう自分がいたから。
しかし今は車窓から見える景色を眺めて、ただ何もしない。そんなふうに魂ちゃんと2人旅をして対話できるようになったそうです。
まとめ
今回はガスライディングという自分にとって有害な人という言う切り口から、魂や心について考えてみました。
バタやんさんは自分との仲良くなり方について「好奇心と気遣いを自分に全振りしてみる」、と提案してくれています。もしくは、ただ何もせず、ただ今感じたことを慈しむ。
それが自分と2人きりになる、自分とデートすると言うことじゃないかな、と思いました。