見出し画像

顕在化した過ちや失敗を指摘するだけならアホでもできる#80

昨今とある県知事がパワハラやおねだり問題で四面楚歌の状態なのに、辞めないということで、世間を賑わせています。

この知事を例え話に批判的な文脈で話していたら、ある人から

「当事者にしかわからないことがあるのに、第三者が騒ぐのはどうかと思うよ」

と言われて、ハッとしました。

これって昨今言われているキャンセルカルチャー、そのものかもしれません。

キャンセルカルチャーとは

輝かしい経歴があり賞賛された人でも、ひとたび過ちやネガティブな出来事が起こることで
世間の潮目が変わると、集団でその人の存在を否定し、社会から抹殺(キャンセル)してしまう現象のことです。

直接的な実害がないのに、野次馬的に騒ぎたてる。そして悪いことをした人に対しては何を言ってもいい、という感覚になる。

これは批難している側も思考停止に陥っているのではないかと疑ってみたほうがいいかもしれません。

失敗過ち(欠けているところ)をつつきたくなる心理

これを炎上と言ってしまえば簡単ですが、
まず絶対安全な場所から批難批判をするズルさがあると思います。

そして私が好きで何度も引用させていただいている、澤円さんの「メタ思考」ランドルト環の話。

ランドルト環

目に見えている欠けているところを指摘するだけなら、アホでもできるわけです。

不倫報道も赤字決算も   

ひとたび不倫報道がされると、不倫はけしからん。未成年の喫煙報道があれば、喫煙はけしからん。誰でも(アホでも)そんな事は言えます。

私の好きな河合隼雄先生の言葉で、

「100%正しい忠告はまず役に立たない」

「こころの処方箋」河合隼雄

があります。 

非行少年に、非行は良くないですよと言う、
喫煙している人に、
喫煙は体に良くないからやめたほうがいいですよと言う、

、、、何の役にも立たない忠告です。

翻って、赤字決算を見て取引金融機関が、
赤字決算は良くないですよと社長に言う。

そんな指摘はアホでもできます。
仕事上でも、身近にこんな例はたくさんあると思います。

家庭でも会社でも

家庭や会社でミスをした、
何してくれてんねん、注意力が足りないからだ
そんな指摘は誰でもできます。

本当に状況を改善したい、自分も指摘された側も互いに納得したい、と思うのであれば、
相手をただ下げるのではなく、まずは認め尊重することは必須です。

凹んでいる人をよりがっかりさせることに意味はあるのか。やったことは自分に返ってきます。

以上、世間をにぎわせている、県知事の話から内省した私の話でした。

最後までお読みくださりありがとうございました。私に考える機会を与えてくれた方にも感謝。



いいなと思ったら応援しよう!