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「ぱん」のこと

タイのその小さな島へ行ったのは、二十年以上前、夫婦でバックパッカーを始めた頃のことです。

その島は、犬が首輪もせずにその辺りを自由に歩き回っているような、のんびりとした島でした。宿で飼われている犬もいれば、そうではなさそうな犬もいて、そんな犬たちは観光客から貰う食べ物で生き延びているようでした。
そんなわけで私たちも、泊まっていたバンガローへ来た犬に、朝食用に買ったパンを千切って与えました。
「ぱん」と名付けたその犬はガリガリに痩せており、他の犬と群れをなすこともなくいつも一匹で、私たちに直ぐに懐き、私たちの借りたバンガローのベランダでよく寝ていました。人の心を敏感に察する術を身につけていて、私たちとの距離を心得ており、何かあるとサッと身を隠し、いい頃合いにまた現われるという具合で、そうやって生きることを覚えたのだと思います。レストランへ行けばパンよりももっと良い食べ物を、テラス席の客に貰えるのだろうに、気の弱そうな「ぱん」は、体つきからしても縄張り争いには勝てそうにはありませんでした。

ある晩、夫と大喧嘩をした私は外の空気を吸おうと思い、一人でバンガローを出て海岸へ向かって歩き始めました。するとベランダで寝ていた「ぱん」がついてきました。いつもは絶対に行かない縄張りの外までついてきたので一緒に海岸を歩いたのですが、犬なりに何かを察し、心配をしているのが痛いほど伝わってきました。

気が付くと十数匹の犬の集団が、直ぐ近くに来ていました。その内の一匹で一番体も大きく、ボス的な存在のセントバーナードは、近くの宿で飼っている犬だと気が付きました。一週間ほど前に撫でた犬だったのですが、さすがに首輪もしていない犬の集団に近寄られると少し足がすくみました。
私の心配をよそに、その十数匹の犬は私の臭いをかぎ、その後は全く興味もない様子で、波がザブンザブンと打ち寄せる波打ち際で勝手に散歩をして、暫くするとまた集団になって帰って行きました。明るい月明かりの、波が大きな晩のことでした。
そんな状況の中、隣にいた「ぱん」はこれ以上下げられない限界まで尾を下げて、ずっと私の後ろに隠れていたのですが、それでも「ぱん」が居てくれた事で心強かったことに感謝して、バンガローへ帰り、夫と仲直りをしたのでした。

その島を出発する朝、荷物を背負って歩き始めた私たちの後ろを「ぱん」がついてきました。途中までついてきた「ぱん」が、ある一線でピタリと立ち止まったとき、それが縄張りギリギリの線だと気が付きました。その線を絶対に越えようとはせず、その見えない線の上に立ち、じっと動かず、手を振る私たちを見ていました。
その姿は、ベランダであられもない格好で寝ていた「ぱん」とも、海辺で私の後ろに隠れて情けない顔をしていた「ぱん」とも全く違っていました。
全てを悟っているような目が今でも忘れられません。そうやって何人もの旅人を見送ってきたのだろうと思います。

今でも時々タイのあの小さな島のことを思い出します。
あの月夜の波打ち際での不思議な犬の散歩のこと、あとは「ぱん」にパンよりももっと高級な肉でも与えればよかったと、後悔が押し寄せるのです、波のように。

満月の夜の砂浜十匹の犬が現れ波と戯れ 大西ひとみ


#短歌 #tanka #旅