生きづらさの原因は幼少期にあり [その1]
こんにちは、siroです(。・ω・。)
私はHSS型HSPの気質を持っています。
HSS型HSPとは、
好奇心が旺盛なのに繊細で傷つきやすい気質のこと。
この気質に出会ったのは、2022年4月。
偶然、YouTubeで知りました。
※出会いの記事はこちら
HSS型HSP専門家の本を読み、
「生きづらさから抜け出すヒントはHSS型HSPにある!」
と直感で感じました。
このnoteでは、生きづらさから抜け出すために
あれこれやってきた自己分析を振り返っていきます。
生きづらさを自覚した出来事
前回のnoteでは、
生きづらさを自覚した出来事と
生きづらさ解消のためにやったこと、
その結果どうなったか?
について書きました。
今回は、
生きづらさの原因になっていた幼少期の出来事を振り返っていきます。
生きづらさの原因ってなに?
YouTubeの心理学動画から
防衛と反動形成を学んだ私。
さらに、沢山の心理学系動画を見て、本を読みました。
南ゆうたさんの動画で
「私はアダルトチルドレンなんじゃないか?」という気づきがあったので、
アダルトチルドレン関連の本を数冊読みました。
(1)子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方
クラウディア ブラック 著
(2)「毒親」の子どもたちへ
斎藤 学 著
(3)自分の「怒り」と向き合う本
水澤 都加佐, スコット・ジョンソン他 著
アダルトチルドレンとは?
つまり、子どもの頃の親子関係が原因で認知が歪んでしまう症状です。
直接的な原因は、身体的な虐待や言葉の暴力、ネグレクトなど様々な家庭内の問題が影響していると考えられています。
私の場合、母親からの言葉の暴力(精神的な虐待)が原因にあると思います。
母親からの言葉の暴力と過干渉
私の母親は、夜勤があるフルタイムの仕事をしていました。
勤務時間はバラバラでした。
さらに父の両親(祖父母)と仲が悪く、祖父から結構いびられていました。
そのストレスを家庭内で大爆発させていました。
毎日クタクタに疲れて帰ってきて夕ご飯を作るのですが、
私が小学校3年くらいから「遊んでないで手伝いなさい!」と怒鳴れたので、
しぶしぶ手伝っていました。
けれど、料理を手伝う時間がものすごく苦痛で地獄でした・・・。
私の慣れない手つきを母親が気に入らないと、
キレられたからです( ; ; )
「なんでこんなこともできないの!!💢」
「そんなチンタラやってんじゃないよ!!💢」
「もういい!!お母さんがやるからどいて!!💢」
「何度も同じこと言わせるな!!💢」
「何でこんな変な盛り付けにするの!!やり直しじゃない!💢」
ことごとく、私がやることを否定されて
罵声を浴びせられて、怒鳴られていました。
当時の私は、「怒るならやらない!」と放り投げたり、
キレ返して反抗したこともあります。
しかし、反抗すれば数倍返しで怒鳴られました。。。
母は、自分が仕事で疲れていること、祖父母とうまく行っていない事を盾に
怒りとヒステリーで私たち家族を従わせているように見えました。
と言うような大義名分を振りかざしているように見えました。
こうして生きづらさが作られていった
小学生の私は、自己犠牲して家族のために働く母が
イライラやストレスを家族にぶつける毎日に心が疲弊していきました。。
家が安心できる居場所ではなかったです。
本当に・・・。
小学3年生からは自分の部屋ができたので、
そこに引きこもって漫画を読むことが癒しでした。
それでも、母親の足音がドタドタ!と聞こえてくると
怯えていました。
父と母、兄と母が喧嘩する声も聞こえてきたので、
イヤホンで防御。
怒鳴り声、喧嘩の声、怒りを表現する大きな足音、
バタンっ!とキツく扉を閉める音、
HSP気質を持つ私には、本当に辛かった・・・。
この幼少期の出来事が
アダルトチルドレンになった原因、
生きづらくなった原因じゃないかと思います。
そして、母親から怒られないように
穏便に生きていくために「良い子」の仮面をつけ始めました。
「良い子」の仮面については、次回のnoteに書いていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!