生活保護費減額をめぐる行政訴訟の歴史的快進撃、その理由
「ゆがみ調整」の問題点
2024年1月15日、鹿児島地裁は、鹿児島県内の生活保護利用者30名が鹿児島市、出水市、国を被告として提起した裁判で、保護費の減額処分の取消しを命じる原告勝訴判決を言い渡しました。これは、「いのちのとりで裁判」としては14例目の原告勝訴判決となります。
さらに、1月24日には、富山地裁でも勝訴判決。
2014年2月25日に提訴された佐賀県を皮切りに全国に広まった「いのちのとりで裁判」の発端となったのが「生活保護費の減額処分」です。
減額処分の違法性を考える上で「デフレ調整」の問題点である「物価偽装」については、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所も過去にブログやこのNoteでも発信し、かなり理解が浸透してきたように思います。
統計不正が憲法25条を踏みにじった、生存権の大幅縮小~日本史上最大の生活保護費減額の背景 Statistical fraud trampled on Article 25 of the Constitution thus significant reduction of the right to live with dignity~ Background of the biggest welfare cuts in Japan | 生活保護相談・申請のことは行政書士法人ひとみ綜合法務事務所 (seiho-navi.net)
物価偽装のほか、この行政裁判の極めて高い勝率の背景には、もう一つの問題点があります。
それは、「ゆがみ調整」の問題点である「2分の1処理」です。
「2分の1処理」が大きく報道されたのは、2016年6月の北海道新聞の記事のみで、その他のメディアで大きく報道されることはありませんでした。「2分の1処理」の悪辣さを世に知らしめるべく、白井康彦氏が発行された100頁以上に及ぶ詳細レポートも上記の行政書士法人ひとみ綜合法務事務所のホームページのブログでどなたでも読めるように公開していますが、文量が多いため今回は、白井康彦さんの膨大なレポートをもとに「ゆがみ調整」の問題点の概要をわかりやすく紹介していきます。
「ゆがみ調整」とは、世帯類型ごとに設定される生活扶助基準額の「多すぎる、少なすぎる」の歪みを是正しようとする措置です。
厚労省は、ゆがみ調整案を社会保障審議会生活保護基準部会委員と協議しながらまとめました。
その世帯類型ごとの調整の程度を厚労省が『勝手に一律半分にした』ので「2分の1処理」と言われています。
世帯類型ごとの調整の程度のデータは、精密な分析作業で得られた統計データです。その統計データを厚労省が秘密裏に改竄しました。これ自体が「統計不正」といえます。
いのちのとりで裁判の判決で最初に2分の1処理を生活保護法違反と認定したのは、熊本地裁判決(2022年5月)であり、2分の1処理を「ゆがみ調整の本質的部分の改変」と表現しました。では、実際に2分の1処理をした結果、どのくらい変化があったのでしょうか。
北海道新聞の本田良一編集委員が2013年生活扶助基準改定に関して情報公開請求を行い、開示拒否に遭いながら審査請求まで実行して、政府に極めて重要な資料を開示させました。
この資料の一部は、行政書士法人ひとみ綜合法務事務所のブログにも公開しています(本Noteサムネイル画像はその一部)。
生活保護費減額取り消し訴訟、鹿児島地裁も勝訴! ~Kagoshima District Court ruled the reduction of welfare payments illegal~ | 生活保護相談・申請のことは行政書士法人ひとみ綜合法務事務所 (seiho-navi.net)
開示された資料は、当時、厚労省社会・援護局長であった村木厚子氏と同局保護課課長であった古川夏樹氏が内閣官房副長官であった世耕弘成参院議員と面談したときに提示した文書です。
この文書のタイトルは「生活保護制度の見直しについて」となっており、生活扶助基準改定についての説明もあり、生活保護基準部会委員には示さなかったデフレ調整の内容や2分の1処理の説明もあります。
この文書の5ページ目にあるのが上記サムネイルの表です。この表を見ると、2分の1処理の説明は、注釈欄に「(注2)年齢・世帯人員・地域差による影響の調整を1/2とし、」という文言があるだけです。
この文言の意味をどれだけでの人が理解しているのでしょうか。
この表をよく見てください。
矢印の左側が、2分の1処理とデフレ調整(物価偽装)をする前の検討結果の数値であり、右側がダブル統計不正を実行した後の数値です。
この著しい数値の変化を見ると、ここが2013年生活扶助基準改定の悪辣さの核心部分だといえます。
村木氏と古川氏は、この変化のカラクリを自民党内で生活保護予算大幅圧縮を唱えていた中心人物であった有力国会議員には伝えたにもかかわらず、基準部会委員や国民には伝えなかったという事実に驚きを隠せません。
北海道新聞の記事により、2分の1処理の存在が明らかになった為、いのちのとりで裁判では行政側が2分の1処理の実施理由を説明しなくてはならなくなりました。
行政側が持ち出した論理は、「2分の1処理は激変緩和措置である」と「増額になるときも減額になるときも2分の1処理をしたのだから公平だ」というものでした。
じっくり検討すれば、「苦し紛れ」の度合いが非常に強いことが分かります。2013年生活扶助基準改定案を公表した当時、厚労省は2つの激変緩和措置を講じたと説明していました。
1つは、「基準改定を3年かけて段階的に実施する」、もう1つは「基準改定で基準額の減額率が10%を超す場合は10%にとどめる」というものです。ここでの「10%」は、ゆがみ調整とデフレ調整を総合した最終的な減額率になります。ゆがみ調整案の検討では、生活保護基準部会が関与した段階では、子供のいる多人数世帯などで10%を超す減額率になる場合がありました。そのままでは、そうした世帯に厳しすぎる為、厚労省は最終的な減額率の下限を10%にしたのです。
この2つの激変緩和措置は、概ね頷けるものだと思います。基準部会委員からも批判の声は出ませんでした。
そうした事情もあってか、裁判で行政側は「2分の1処理も激変緩和措置だ」と言い出したのです。
減額の度合いが半分になる2分の1処理は「激変緩和措置」と思えますが、増額の度合いが半分になる2分の1処理をどうして「激変緩和措置」と思えるのでしょうか。
「激変緩和は行政処分の影響で痛手を受ける人の影響を緩和するためのものだ」と考える人がほとんどであると思います。
ところが、行政側は、ゆがみ調整で増額になる世帯についても増額の程度を半分にして「激変緩和措置だ」と言い張ったのです。
裁判では、当然のように原告側は「ゆがみ調整で増額になる世帯については激変緩和措置などありえない」と主張しましたが、これに対抗する行政側の論理は「増額のときも減額のときも調整の程度を半分にするのだから公平だ」という公平論でした。
この公平論は、その場しのぎの言い訳にも思えますが、いのちのとりで裁判の各地の判決では2分の1処理が違法ではない理由にされることが多いことに驚かされます。
2分の1処理で増額の程度を半分にされる世帯にとっては、この公平論は怒りの対象になるはずです。
それでも、この公平論に乗せられてしまう裁判官が多いのは何故でしょうか。ここからは想像になりますが、裁判官の「当事者の気持ちをあまり考えない傾向」「行政側の主張を鵜呑みにする傾向」も大きく影響していると思いますが、「数字の大きさをあまり考慮しない傾向」「数量的思考を軽視する傾向」も影響しているのではないでしょうか。
数字の大きさは、不正行為の「悪辣度合い」に関しては非常に重要な判断要素だといえます。例えば、詐欺罪を見てみると、被害額が低い場合や、被害額がゼロ、つまり詐欺の未遂事件の場合には、裁判にならない、または、裁判になっても執行猶予判決を獲得できる場合が多いです。
しかし、被害額が100万円を超えるような詐欺では、前科等がなくても即実刑になる可能性があり、数千万円や1億円を超えるような事件の場合には、3年以上の実刑判決となるはずです。
2分の1処理については「ゆがみ調整による増額の程度を半分にする場合と減額の程度を半分にする場合の金額の影響がどれほど違うか」という視点で検討を進めてみると、増額の程度を半分にする影響の方が圧倒的に大きいのです。
そのため、2分の1処理を実行した場合と実行しなかった場合を比較すると、実行した場合の方が生活保護予算をはるかに大きく圧縮できるのことになります。
この結果を見ると、2分の1処理を実行した真の目的は「生活保護予算をできるだけ多く削る」ことではないかと思わずには居られません。
この比較計算を粘り強く実行されたのが、いのちのとりで裁判埼玉弁護団の小林弁護士です。生活保護の世帯類型は、居住地域や世帯人員の年齢、世帯人員数で非常に多数に分類されます。その上、生活扶助基準額は「第1類費」と「第2類費」に分離して計算した後で合計する仕組みになっています。また、第1類費の数字は世帯人員数に応じた「逓減率」という数字も掛け合わせて算出する仕組みにもなっています。
こうした事情があるので、この比較計算が非常に煩雑なのです。
小林弁護士の計算によると、2分の1処理を実行したことによる年間の影響額は約91億円だそうです。厚労省の説明では、ゆがみ調整の影響額は年間約90億円なので、ゆがみ調整の影響額のほとんどが2分の1処理によるものと言えます。2013年生活扶助基準改定は、政権交代前には2分の1処理とデフレ調整の話はありませんでした。その状態であれば、生活扶助基準改定は「増額になった世帯や減額になった世帯が混じり合って全体としては生活保護予算額はあまり変わらなかった」という結果だったと推測できます。
生活保護基準部会は、2013年1月18日に報告書をまとめました。その報告書は、2分の1処理やデフレ調整をまったく反映していない内容でした。基準改定の行方を観察していた関係者らの間では「平均してみれば生活保護世帯にとってそれほど打撃にならない内容の改定になりそうだ」と安心感が広がったといいます。
ところが、9日後の1月27日に厚労省が最終的な基準改定案を発表すると、関係者の間で衝撃が走りました。平均約6.5%という予想外の大幅な減額改定だったのです。また、生活保護世帯の約96%が減額改定だったので、増額改定の世帯はほんのわずかにとどまりました。小林弁護士の計算結果をじっくり確認していけばカラクリは分かるのですが、膨大な計算であり、確認作業も大変ですので、ゆがみ調整の複雑な計算手順を簡略化し、ゆがみ調整とデフレ調整の影響を総合的にとらえるモデル計算の手順を考えてみましょう。
まず初めに、
ゆがみ倍率=ゆがみ調整後の基準額÷ゆがみ調整前の基準額
デフレ倍率=デフレ調整後の基準額÷デフレ調整前の基準額
という倍率を考えてみます。これらの倍率を用いると、2013年基準改定のすべての調整を終えた最終的な基準改定後の基準額は
改定後の基準額=改定前の基準額×ゆがみ倍率×デフレ倍率
という計算式で表されることになります。
ゆがみ調整の増減率や減額率という「金額変化率」は世帯類型という「項目」ごとに異なりますが、デフレ調整(物価スライド)の減額率という「金額変化率」はどの世帯類型(項目)でも同じになります。「項目ごとの金額を改定するプロセス」として考えると、2013年生活扶助基準改定は
①項目ごとの金額変化率が異なる金額改定プロセス
②全項目一律の金額減少率を適用する金額改定プロセス
③2つの金額改定プロセスによる総合的な金額減少率が10%を超えたときは
10%に抑える激変緩和プロセス
この3つのプロセスの組み合わせと言えます。
2013年基準改定では、デフレ調整として利用した物価指数下落率は4.78%であり、これを四捨五入した4.8%という数字を厚労省は使いました。生活扶助基準額の削減率が0.048(=4.8%)ですので,
デフレ倍率=1-0.048=0.952
となり、すべての世帯で同じ倍率になります。
一方、ゆがみ倍率は世帯類型ごとに異なります。ここでは
ゆがみ倍率=1+ゆがみ調整による増額率
または、 ゆがみ倍率=1-ゆがみ調整による減額率
として、ゆがみ倍率を定義します。
例えば、
ゆがみ調整による増額率が9%(=0.09)であるときは、
ゆがみ倍率=1+0.09=1.09
ゆがみ調整による減額率が8%(=0.08)であるときは、
ゆがみ倍率=1-0.08=0.92
となります。
ゆがみ調整の2分の1処理を、このモデル計算では、ゆがみ調整による増額率や減額率を半分(2分の1=0.5)にする措置だと想定することにします。生活扶助基準額や2分の1処理の計算過程は複雑で、こうした単純な計算では正しい数値は出ず、かなりの誤差が出ることもありますが、2分の1処理のカラクリを考えやすくするために計算過程を大雑把に単純化しています。
(例1)
ゆがみ調整による増額率が10%(=0.1)であるとき、2分の1処理により増額率は5%(=0.05)になりますので、ゆがみ倍率は、1.1→1.05と変化します。
これに先ほどのデフレ倍率0.952を掛けてみると、
2分の1処理を行う前:1.1×0.952=1.0472
2分の1処理を行なった後:1.05×0.952=0.9996
となり、2分の1処理を行う前は「4.72%増額」であった基準額が、2分の1処理を行った後は「0.04%減額」という結果になります。
(例2)
ゆがみ調整による減額率が10%(=0.1)であるとき、2分の1処理により減額率は5%(=0.05)になりますので、ゆがみ倍率は、0.9→0.95と変化します。
これに先ほどのデフレ倍率0.952を掛けてみると、
2分の1処理を行う前:0.9×0.952=0.8568
2分の1処理を行なった後:0.95×0.952=0.9044
となり、2分の1処理を行う前は「14.32%減額」であった基準額が、2分の1処理を行った後は「9.56%減額」という結果になります。
(例2)では、減額率が半分になる為、基準額の減額分が少なくなり、受給者の負担が緩和される結果となりましたが、(例1)では、本来増額されるはずの基準額が減額されるという結果になりました。もちろん、この計算は単純化されたモデル計算ですから、実際の結果とは差異はありますが、増額が減額になるというカラクリが含まれていることは理解できるかと思います。
ゆがみ調整の問題点を紹介してきましたが、どのように感じられたでしょうか。
「2分の1処理」という悪質な操作を平然と織り込み、ほぼすべての生活保護受給者の基準額を不当に減額した2013年生活扶助基準改定案の違法性を問う「いのちのとりで裁判」は、隠蔽されていた情報を根気よく開示に導いた北海道新聞の記者、各所の努力を集約し世に広めようと尽力されている白井康彦さんはじめ多くの方々の正義が試される裁判でもあります。
同様の生活保護の減額処分をめぐる裁判は、全国29の都道府県で起こされていて、原告の勝訴は14件、敗訴は11件。現在、地裁14件、高裁1件の勝訴となっておりますが、上述の勝訴理由の背景を知れば、決してこれは多くはないことがわかるのではないでしょうか。
敗訴になった裁判があることに、疑問を感じます。まだこれから判決を待つ裁判もあります。世の関心が高まることにより、勝訴が過半数超の異例の展開から、今後の判決では当然にすべて勝訴となることを期待したいと思います。
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