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夜明け前はいつまで続くの。

ずっと、苦しかったと思う。
まわりの人にも自分にも、全力で生きろよ!と思っていた。

だから、許せない人が出てくるし、息子はつらいことがあっても助けを得られず、絵に描いたような不登校に突入した。

その間私を癒してくれていたのは、息子のピアノレッスン動画だった。何度も何度も見て、かわいい笑顔や先生とのおもろい会話、だんだん上達する姿を繰り返し見た。

ピアノは息子が幼稚園の年長から始めて小学校5年生まで続け、コンクールにも挑戦した。本当に楽しい日々だった。

息子は勉強はできるほうだったが、忘れ物が多く、宿題を提出できないことが多かったので、高校受験で苦労するだろうと思い、一緒に頑張れる中学受験をすることにして、ピアノはいったんやめた。

そして、中学受験の1ヶ月前に夫が謎の病気で倒れ、息子は祖父母に預けた。受験当日は、夫が入院できていたので息子を受験会場に連れて行くことができた。

それから一年は、夫はずっと病院で、一緒に暮らせる日が来るのかわからなかった。夫の病気がなんなのか、わかったのは入院して3、4ヶ月後だった。
「スティフパーソン症候群の疑い」
100万人に1人と言われる難病。最近、セリーヌ・ディオンさんが告白された病気だ。

私は、自分に降りかかってきた現実はすべて自分が創り出している説を信じているので、その原因となる部分をカウンセリングを受けて特定し、潜在意識から変えていくことに取り組んだ。

私が幼い時に生まれた勘違い。繰り返し潜在意識の中で強化してしまったものを、解きほぐして、本当はこうだよと教え続けてきた。つまり、私は無力な自分を育て、その怒りを夫に向けていたらしい。だから、私はそもそも無力じゃないし、力をつける努力を諦めた怠慢さを思い知って、人生をやり直す決意をした。その私をいつも支えてくれた夫の愛を心からわかるように教育を続けた。

夫は奇跡的に回復し、その年の11月に退院することができ、そこから1年と5ヶ月が過ぎた。その間肺炎などで4回入院したが、何とか自宅療養ができている。

その最中に息子の不登校が始まった。進学校でうまく勉強のペースを作れない、まだまだ幼い息子に対して、私は本気出しなさいよくらいにしか思っておらず、理解者がいないまま、息子はつらい時も耐えてきたのだろう。

私は夫の家族に対しても、全力を出してくれてないと感じ、同じ熱量で夫の病気を治そうと考えてくれてないことに怒りを感じ続けていた。

私が限界を超えるぐらい頑張らないと、レアな難病が治る方法が見つかる現実を作り出せないだろうと思って、自分のできる範囲を超えるようにして、ヒイヒイ言いながら今日まできた。10年前は専業主婦だった私は、今は塾ひとつ、英語教室よっつを経営している。と偉そうに言ってみたが、すべてまわりの人に助けてもらって何とかなっている状況だ。

息子の不登校をきっかけに、今のままではダメなんだとわかった。

私はどんなに素晴らしい人たちに囲まれて、支えてもらっているのかを思い知るべきだし、がんばリ方が必死すぎるのは、深層レベルでは、まだイヤイヤやって抵抗しているからだ。
私は私自身を、嫌々ではなく喜んでやれるよう導かなくてはならない。

まわりの人の力を借りて、息子の不登校は3ヶ月で終わった。1日も登校できなかった息子が毎日学校に通っている。

それでも、まだまだ、私と息子の間に問題はあるし、私の仕事もまだ軌道に乗っていないし、夫は仕事に復帰できていない。

修正が十分ではないのだ。
きちんと問題を捉え直すとき。

まず、私の成長にも、息子の成長にも時間がかかることを認識してあせらないことと、今努力していることを認めること、自分のありたい姿をきちんと明らかにすることが必要だと思う。

忙しいからと言って曖昧にして逃げると、息子も夫も結果を出せないよ、と自分を脅しながら、しっかり自分を肯定し、神ぶりを褒めるのだ。全部引き受けるのは神の仕業😊

できるできる。結果を出すまで楽しんで走り切るのだ!


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