双極性障害と性欲の関係とは
双極性障害の人は、躁状態の時に性欲が旺盛になると言われています。
すなわち、うつ状態ではない気分がハイな時に、下半身の活動が極めて活発になり、例えばハプニングバーに行ったり、マッチングアプリで相手を探してはコトに及ぶというようなことです。
そういう人は当然のように、躁状態が終わると、自分の行動を激しく後悔します。
「また知らないおじさんとやってしまった」と嘆きつつ、手元にある 2万円が入った封筒をじっと眺めたりするのです。場合によっては、1周間ベッドから起き上がれないほどのうつ状態に陥ります。
さて、双極性障害における性欲は医学的にはよくわからないことが多いそうです。双極性障害に関する科学的知識はネット上にたくさん出回っていますが、それらを見る限り、明確なことが書かれていません。
他方で、哲学はあるていど、メンタルの状態と性欲の関係を、精神分析的に語ります。
たとえば、キルケゴール哲学を援用すれば、「反抗のセックス」という言葉が浮かびあがってきます。
「わたしはダメだ。生きていけない。もう死にたい」という自責的な「弱さの絶望」に対し、「神はなぜわたしをこんなふうにつくったのか! わたしはもっと要領よく生きる人間として生まれてきたかった」などと思う気持ちを「反抗」とキルケゴールは定義します。
うまれもった性格というのは、究極的には神がつくったものだから、神に対する反抗をキルケゴールは「反抗」と呼びます。
神に対して、もっともわかりやすいかたちで反抗しようとすれば、それはセックスでしょう。
マッチングアプリで知らないおじさんとセックスする女子に対して「自分のカラダを大事にしましょう」と説教する人がいますが、彼女は神に反抗している最中なのです。
躁鬱の躁とは神に対する反抗の時期。
他方、鬱とは自責的な時期。
両者がランダムに顕現するのが双極性障害。
上記以外の説明として、躁状態のときは「この自分=双極性障害のこのイヤな自分」を抜け出すチャンスだと思って、あらゆる可能性を試す、ということが言えます。
あらゆる可能性を試す、すなわち、自己破産するほど大量に買い物をするとか、あたらしい出会いを求めて出歩く、自分のことを生まれ変わらせてくれそうな相手とセックスをする・・・・
可能性とは無なのだ、と主張するキルケゴールも、じつは性欲旺盛だったと言われています。
彼もまた、躁のとき「女を買って」自分の可能性を試すことで神に反抗していたのかもしれません。
というわけで、科学の心理学が言及できない心の領域のお話でした。