続 日日是好日への考察、ラジオ体操とマインドフルネス
年末年始に日本に帰国していた時に読んだ本、
『日日是好日』森下典子/著
以前、あの時のわたしが一番出逢いたかった本だったという投稿をしたのだけど、まだまだ語り尽くせない良さがあるので、追記としてここに。
そもそも、日日是好日とは、
『にちにちこれこうじつ』と読み、
受け取り方は諸説あるけど、わたしが気に入ってるのは、
『毎日が最良の日、毎日を大切に過ごせば、悪いことがあった日も良い日と受け止めることができる。』
という意味。
作者が体験したお茶(茶道)の世界をベースに、日常にひそむ生き方のヒントをたくさん気付かせてくれる素敵な本だ。
たとえば、シュークリームはいつだって同じシェイプで同じ味だけど、和菓子は季節とともに形を変えて、食べる人の目を楽しませるばかりでなく、季節感をふんだんにまとったその見た目は、夏の涼しさや春の暖かさという温度まで伝えることが出来る、小さな芸術作品である。
花や草は絶え間なく咲いて、そこには何もない時期なんてない。
その日によって掛け替えられる茶室の掛け軸からは、風や雫が滴る音を感じとることが出来る。
作中で、お茶の先生が作者にこんなことを言った。
「お茶はまずかたちなのよ、はじめにかたちを作っておいてあとで心が入っていくものなの。頭で考えないで、自分の手を信じなさい。」
お茶の作法を学ぶんじゃなくて、手が勝手に覚えていくという感覚を大事にすること。
たくさんのもてなしの“ルール”がある上に、季節によって変化する茶器や作法。
全部をいっきに完璧には出来ないから、かたちが出来たら、そこに自分のタッチを加えていけば良い。
一つ一つの小さな仕草を正確に繰り返すことで、たくさんの「点」を打つ。「点」と「点」が、いっぱい寄り集まって、だんだん「線」になる。
わたしが日常で、手が(身体が)勝手に覚えていることってなんだろう?
ミシンで縫い物をするとき、裾を手縫いでまつるとき、ヨガでサンサルテーション(太陽礼拝)をするとき。。。
縫い物をするときは手が勝手に動くけど、綺麗な仕上がりになるようにひと針ひと針気持ちを込めるし、サンサルテーション(決まった一連のヨガのポーズを繰り返しやること)は、身体が勝手に動くけど、手の先からつま先まで綺麗なフォームになるように全身に集中する。
たとえば、小学生の頃に毎朝通ったラジオ体操。(今もやっている地域あるんだろうか?)
繰り返しやることによって、身体が勝手に順序を覚える。かたちを作って心を入れるって、わかりやすい例でいうと、そういうかんじなのかな、と。
言ってみれば、誰もが一度はやったことがあるマインドフルネスだ。(*良い、悪いなどの価値判断をすることなく、完全に『今この瞬間』に注意を向けている心の状態)
自分がオリジナルで作りあげた箱があれば、そこに自分の心を入れやすい。どんな色にしようか、どんな大きさで、どんな重さで、どんな温度で。
ひいては、身体(箱)だけじゃなくて、
心も‘ここ’に居ること。
未来を心配しても、
過去を後悔しても、仕方がない。
今に集中し、今出来ることを精一杯する。
毎日がそれぞれ違っていて、
良い日であるように。
過去や未来にとらわれずに、
今、瞬間瞬間を生きていれば、
その瞬間瞬間わたしたちは、とても自由だ。