あきらめるという言葉に思う
ある子供が、大人から「あきらめるの?あきらめてもいいんだよ」と言われている場面に出会った
「あきらめる」という言葉を使われることに、私がなんだか悲しく、苦しくなってしまった
あきらめるという言葉を使うことが、あえてなのか
頑張る気持ちが出ることを期待してのものなのかもしれないし
経験としてそういう成功パターンがあったのかもしれない
あきらめる、投げ出す、逃げる
この言葉から受け取る私の感覚なのかな
あきらめてなんか無い!って気持ちを引き出すための「あきらめてるの?」だったのかな
楽しそうだ、やってみようって気持ちで向かえたら、それが理想的
しかし、みんなが楽しいと思うことが、その子も楽しいかは分からない
楽しくなさそうだ、やりたくないとなることだってある
同じことができることを求められるのは、時に、それは誰かにとって、つらさがあるのかもしれない