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道は私の中に

生まれ持った気質みたいなものからは、やはり逃げられない。

年々、そう感じることが増えている。

私の場合は、
・好奇心の赴くままにいろんな場所に足を運ばずにいられないこと
・そこでクリエイティブな人たちに出逢うこと
・表現(絵、文章、音楽など)してシェアすること
・企画し人を誘い集うこと
といったことがそれに当たる。

要するに、「気付いたら勝手にやってしまっている」こと。

こういった行動のクセみたいなものを、そのまま仕事にできないかなと思って、いま試行錯誤している。

というのも、私はどうにも人生の中で「好奇心」と「自己表現」の優先順位が高いようで、それ以外のことに従っている時間が長くなると違和感が募ってしまうから。

「ここは私の居場所じゃないなぁ」と感じてしまうと、命がシクシクしているのを感じる。

だけど私はこれまで、それらのことが収入に結びついた経験が乏しく、好き勝手やっては散財を繰り返してきた。

守るべき我が子ができた今でさえも、結局のところ「好奇心」と「自己表現」を通して自分の生きがいを追い求めたくなってしまう気質は残念ながら変わらない。

でもこれまでと明らかに違うのは、私の人生の優先順位の中に、ようやく「お金」が入ってきたこと。

お金そのものというより、それを通して得られる「家族との穏やかな暮らし」が最優先事項としてランクインしている。

私は、エネルギーの注力先を見つけて注ぎまくって循環させているいそがしい状態(ワクワクに従って駆け回っている状態)が大好きなので、
つまるところ「好奇心」と「自己表現」が「収入」に結び付いたら最強なのでは?と思う。

それができるならみんなやってる、そんな夢みたいな状態になれるわけない、と言う人ももちろんいるけど、私の周りでそれを叶えてる人は少なからずいるし、そういう人たちは口を揃えて「瞳ちゃんならできるよ!」と何の疑いもなく言ってくれる。

アイドルになったことのない人が、アイドルを目指す人に苦言を呈するのと同じで、目的地があるならそこに到達している人にナビをお願いするという当たり前のこと。

そんな試行錯誤の中で始めたことのひとつが、富山の地域情報誌「Takt」さんのライターのお仕事。

ときどきお手伝いさせていただいているという程度だけど、各地の取材に同行してお話を聞いて文章に起こすという一連のことに、違和感なく取り組めている。

それは、主要なことは本業のプロの編集者の方々に託しているおかげでしかないけれど、それでも私の文章が、誰かの楽しみに繋がっていると思うととても嬉しい。

私自身、辛いことがあったとき、Taktさんにたくさん救われた。

魅力的なお店や催しの情報を見て、「ここ行ってみたい!」ってワクワクして、実際に足を運んでみていろんな出逢いがあって。そんな時間を過ごしているうちに、心が軽くなっていった。

だから、私の文章で、誌面の向こうの人たちにそんな時間を提供できていたら嬉しい。

自分の生み出す文章や表現で、周りの人たちをほんの少しでも豊かにするような仕事が沢山したいと心から思う。

生まれ持った気質によって、これまでたくさんの人にいろんな場面で迷惑をかけてきたし、そのたびに自分を責めてきた。

でも、それが自分のダメなところだという話ではない。

周囲との「調和」を無視してそれだけを追い求めようとするから亀裂が生じてきたのであって、気質自体に良し悪しはない。

調和を図ることをサボらずに、周囲の人たちに気持ちよく応援してもらえる関係を築ければ、むしろもっともっと自分にとっての「快」を追い求めることに集中できる。

至極シンプルに、私は、冒頭に箇条書きしたようなことをしたくて仕方なくて生まれてきたという、それだけのこと。

それに従うことと収入とが結びついて周囲との調和が取れれば、またより一層それに従うことができるという好循環が生まれると思う。

そのための道は、きっと私の中にある。

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