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11:11投稿。小川名建設様から再掲シェア。
もう一つ史実の歴史。
お三の宮日枝神社の裏に末社としての「堰神社」
「堰」とは「咳に通じる」事からも「堰と咳が同音であることから、咳の病に霊験あらたかと広く信仰を集めている。」と言う事です。
私が何故か「耳鼻科系」「呼吸器系の持病」を持ち合わせているか判るでしょう。
そしてご神体の「性器」の石仏…
こちらも川崎市の金山神社と同じく地域の歴史や生活での信仰を表す史実となります。
ホトカミから。
このお三の宮の近くには旧赤線地帯や遊郭やそれをもてなした料亭などがあった日本橋、そして今も「曙町」や「末吉町」「福富町」と言った横浜の有数な風俗街があった事を考えれば何故ここに「性器の石佛が」と判る部分でしょう。
そしてまた近くの南太田に「鬼子母神」と言う「人の子供を食われて全ての子供への慈愛」を祭った「日蓮宗西中山常照寺」があるのも判ります。
参考。
自分の子を愛奴(経によって嬪伽羅という)と名づけ憐愛した。鬼子母は性質邪悪で、常に他人の子どもを殺して食べたため、仏はこれを教化しようと愛奴を隠したので、鬼子母は探し求めることができず、悲嘆にくれた。そこで仏は、汝は千人中ただ一子を失うにさえ悲嘆懊悩するのに、汝に子を食われた親達の胸中はいかばかりか、と説いて、子を返した。以後鬼子母は、仏に帰依し、誓願を立て、産生と保育の神(ときには盗難除の守護)となる。
そして私が何故「お三の宮日枝神社の氏子」として今も活かされているかもこれで次から次へと事実が判ってくるでしょう。
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